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著者のことば |
●監訳者あとがき 第2次世界大戦中、ナチス・ドイツ軍では、正規の国防軍のほかに武装親衛隊(Waffen-SS)と呼ばれた戦闘組織が、ヨーロッパの戦場で勇名をとどろかせました。 ドイツ国防軍とともに、各地の重要な戦闘に参加し、勇敢に戦ったこの武装親衛隊は、ドイツ軍の中でもエリート部隊として、その装備も国防軍より優先され、つねに重要な激戦地に投入されたのです。彼らはエリート集団としての誇りを持ち、多くの兵士は国防軍以上に激しく戦い、数々の戦功を挙げています。 親衛隊SS(Schutzataffel)は、ヒトラー総統の身辺警護をする、ボディーガード部隊として出発。ナチス・ドイツの発展とともにその組織を拡大し、ヒトラーの「私兵」から「党の軍隊」へと成長しました。1934年、SA(突撃隊)粛清後は、ヒトラーにとって信頼できる直属の軍隊として、親衛隊戦闘部隊(SS-VT)が3個連隊編成されました。 この連隊組織は職業軍人を多く合み、最高水準の軍事訓練を施されたエリート部隊とされ、ポーランド戦においては積極的な軍事行動を展開し、1940年3月10日に武装親衛隊と改称されました。 武装親衛隊はその後、国防軍と肩を並べて戦闘していくうちに、次第に増強、再編成がくり返され、急速に師団数も増大、終戦時には外国人義勇兵部隊も合めると40個師団(90万人)にも及ぶ、巨大な武装組織と化していったのです。 しかし、同じ親衛隊ということで、秘密警察ゲシュタポに代表される、容赦ない治安維持行動や強制収容所警備での残虐行為、そして占領地域で大量虐殺を行なうために組織した、特別行動隊(アインザッツグルッペ)などの「執行者」としてのイメージも一方にあり、そのため武装親衛隊は反ナチスから憎悪の対象になったこともまた事実です。 そんなことから、戦後はSS兵士たちの多くが、かつて誇りをもって着ていた制服を脱ぎ捨て、国防軍の制服を身につけ、連合軍やレジスタンスの追及の目を逃れました。その結果、武装親衛隊の軍装は数が少なくなり、現在、同親衛隊のコレクションが貴重なのも、そのことが理由の1つといわれています。 武装親衛隊の軍装、とくに迷彩服は、ドイツ軍装品コレクターの中でも特別であり、戦車服、降下兵スモックなどと並んで最も手に入りにくいものです。また高価なため、着装して楽しむコレクターはどうしてもレプリカ品でガマンしなくてはならないアイテムです。 私も昔、SSの迷彩スモックを手に入れようとがんばりましたが、20年前の日本ではむずかしく、外国のオークションに知人を通じて参加するのですが、落せなくてくやしい思いをしたものです。 また、ナチ物はレプリカ品が多く、通信販売でヨーロッパやアメリカから買ったものの、小包を開けるとレプリカだったということが再三で、ずいぶんがっかりしました。 その後、日本でもドイツ軍に関する書物が多く出版されたり、実物を売る軍装品屋も出てきて、たいぶ勉強させてもらいましたが、武装親衛隊のコレクターになることは断念、イラストを描く仕事が本格的になるにつれて、広く浅くの軍装品コレクターとなってしまいました。 しかし、今回、出版されたこの写真集を見て、武装親衛隊のコレクターを止めてよかったと、つくづく思いました。それほど本書には、質の高い、膨大なコレクションが登場しています。あらためて、武装親衛隊物の世界は奥が深いことを痛感させられました。 迷彩服にしてもスモックの最初期型があり、オーバーオールの搭乗服やグレーの防寒ユニフォームなど、さすが本場のコレクターならではです。 さらに、日本では禁止されている銃器類も豊富に登場し、装備品との組み合せ方やポーズもきまっています。数々のシチュエーションを鮮明なカラー写真で見せてくれる本書は、軍装品コレクターのみならず、ミリタリー関係のモデラーやイラストレーターの最高の参考資料となります。 現に私は、この翻訳が出版される前に原書を入手して、ドイツ兵のイラストを何枚も描いていますよ。
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