図解 日本帝国海軍全艦船 1868-1945 第2巻『巡洋艦(上下巻)』

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石橋孝夫編著

B4判上製556頁/函入り/重量3.8kg


9784890633807
C0031


発行日 :2024.9

定価 ¥30000+税

「日本帝国海軍全艦船 1868-1945」の第3巻『駆逐艦・水雷艇』が完成した。約5年を費やしたが、途中コロナ禍の3年を挟んでほぼ予定通りだったと思う。駆逐艦は比較的多くの1次資料゛が巷に出回っており、これは戦後の再軍備、海上自衛隊の創設時に駆逐艦を中心とした艦艇の新造計画が進められたことと関係しているのかもしれない。反面、明治期の水雷艇についてはこれまでほとんど知られていない未知の分野と言ってよかった。これは初期の駆逐艦、明治期の3等駆逐艦についても言えることで、これは戦後の艦艇ジャーナリズムの対象゛が太平洋戦争参加艦艇中心で、正統的な艦艇史に欠ける日本特有の現象であろう。駆逐艦、水雷艇は魚雷という海軍兵器゛が誕生後に出現した「魚雷」を主兵器とした戦闘艦艇で、長い帆船時代を経て存在してきた戦艦、巡洋艦等の砲を主兵器とした正統派の海軍艦艇と比べると、その歴史は比較的新しいも のであったが、日本海軍はその創設期がほぼ魚雷の出現と同時期であったことから、その出現は他艦艇に比べてそれほど出遅れた感はない。小型の快速艦艇゛で敵に肉薄して魚雷を放ち巨艦を葬るという戦法が、武士道にも通じる日本人の攻撃精神にあっていて、日本人好みの艦艇とも言えるのか、100隻近い水雷艇を保有した明治期の日本海軍であった。明治期の水雷艇に関しては技術的資料としてまとまったものはないと思っていたが、幸い戦前の海軍大学にあった明治期の艦艇要目簿(明細書)がそっくり残っており、そこに水雷艇の要目簿が32隻分、3等駆逐艦の要目簿が5隻分あり、これは大きな収穫゛であった。(石橋孝夫)