はじめに
ケンカ、暴行、傷害、殺人――。
身にふりかかる暴力に対して、人は二つの戦略を「本能的」に使いわける。一つは暴力をふるう相手に逆らわず、身をゆだねる方法。そして、もう一つは徹底的に抵抗する方法だ。
暴力は「殴る」「蹴る」といった身体的な行為だけではない。つきまといや脅迫行為など、心理的な恐怖を与える行為も暴力となる。ある意味では身体的な暴力よりも受けるダメージは大きい。
被害にあっても多くの人は相手に逆らわず、波風を立てることなく、ひたすら耐えて嵐が過ぎるのを待つ。心もからだも傷つけられることに自ら耐えるのだ。
だれかが目の前で暴力にさらされていても、「ほかの人が助けるだろう」と見過ごしてしまう人も多い。結果として、多くの人は「見過ごす行為」を正当化する二次的な加害者になってしまう。
その一方で、切迫した恐怖を身に感じると、人はだれもが機敏に反応する。われ先に暴力を回避しようとするのだ。人はどうして状況によって、異なった反応を示すのだろうか？
恐怖は人を反応させる。これが答えだ。自らの死と結びついてしまうと感じるとき、「逃げるか戦うか」を瞬時に決定する逃避攻撃本能が機能する。
また、恐怖は直感にも直結している。「何かおかしい」「妙な感じがする」という感覚だ。主観的な判断をくわえず、視覚や聴覚といった五感から得た情報を無意識のうちに処理する力は、暴力を回避する最大の武器となるものだ。
とはいえ、現実には逃避攻撃本能が備わっていながらも、多くの人が暴力の犠牲になっている。直感を持ちながらも、人はどうして身を守ることができないのだろうか？
原因の多くは、人間特有の常識という概念が直感で察知した危険信号を打ち消してしまうことにある。暴力は他人事であると考え、「自分は大丈夫」と否定してしまうからだ。
「そういえば、あのとき……」
「まさか、あの人が……」
私のオフィスにやってくる依頼人の多くはこうした言葉をくりかえす。肩をがっくり落として、何度も呟きながら、被害にあった自分を責めてしまうのだ。
「人を疑うことはいけないこと」、そして「相手に嫌われたくない」という気持ちがあるとき、直感は機能しなくなる。常識に反する行為だとして、自らが否定してしまうのだ。
常識とは、人それぞれの知識と経験に裏打ちされたものといえる。育った環境や教育によって、人それぞれによって異なる。つまり、暴力をふるう相手とあなたの常識は同一ではない。
たとえば、一般常識では「金銭欲しさに他人を襲うことはモラルに反する」と考える。ところが犯罪者は「生きるためには手段を選ばず」と思うだろう。「狙われやすい格好をしているからだ」という常識があるからこそ、犯行が成立するといえる。
暴力の被害に遭わない秘訣は「早期予防・早期発見・早期回避・早期対処」に尽きる。心配や不安、常識や否定概念にジャマされることなく、自己防衛できるための「直感」をまず高めることだ。
「襲われたら、抵抗できないかもしれない」という心配や「世の中は物騒だ。いつ狙われるかわからない」という不安は、捨て去ったほうがよい。
身を守るためには、身に迫る恐怖を感じられるようにしておくことがとても大切だ。恐怖を利用することができれば、現実の脅威の正体に素早く気づくことができる。
「気を張らずに気を配る」。がむしゃらに戦うのではなく、直感で恐怖を感じる習慣を身につけておけば、万が一暴力を回避できなくとも、不意をつかれることはない。気持ち的には安定した状態にいるので、回避する時間をかせぐことができるし、自衛術で窮地を脱することも可能だ。
それを可能とするのが本書『犯罪交渉護身術［完全版］』だ。家庭内で起こる暴力からテロリズムまで、あらゆる暴力に対処できるマニュアルといえる。本書がなんらかの役に立つことができるなら、望外の幸せである。
毛利元貞
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