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はじめに

 強力な敵を徒手(素手)のみで瞬時に制圧する。
 このことだけを目的として編み出された格闘術が『徒手格闘』である。これは昭和30年代、自衛隊の任務に適した格闘術を新たに採用すべく、柔術・柔道・拳法・空手・合気道・レスリングなど、さまざまな素手による武術および格闘技を調査研究し、主に日本拳法をベースに即戦力を持つ技のみを選抜して組み立て直したものだ。
 徒手格闘は戦場体術だけに、環境を選ぶことなくあらゆる場所で、しかもルールのない戦いに対して秒単位で勝ちを得るよう設定されている。武器を持つ敵に素手で挑むという最悪の状況さえ考える。そのため当身技・投げ技・関節技・締め技を含む総合格闘技のスタイルをとる。にもかかわらず構成はシンプルそのもの。通常のスポーツ格闘技と比べて技の数が少なく、複雑な動きを要求される華麗な技など除外されて、実戦本位のどちらかといえば地味な技ばかり集められている。
 なぜなら、多様な訓練と作業に明け暮れる隊員たちは、格闘訓練のみに何百時間も費やすわけにはいかず、限られた時間内で有効な戦技を身につけることが要求されるからだ。そこで効率の良い訓練システムと技術内容が編み出された。
 このシンプルさこそが徒手格闘の特徴といえるだろう。
 戦技・護身・体育そして精神の強化と幅広い効果を持つ徒手格闘訓練だが、近年になってとくに戦技と護身の面の重要さが再認識されてきた。その理由は二つ。
 一つが自衛隊の平和維持活動(PKO)への参加である。さまざまな危険性を秘めた地域で行動する隊員たちは、最低限の護身用銃器を携行するものの、それらの使用は任務の性格上、当然ながら実に厳しい制約を受ける。実際のところ医療関係その他、多くの隊員たちは武器類を持たずに活動する。だからといって何らかの危機に巻き込まれた場合、自分の身を自分で守れないようでは任務の遂行などおぼつかない。こんな時こそ、徒手格闘の護身技術が心身の防衛に役立つのである。
 もう一つが国内での対遊撃戦、すなわち敵コマンド・ゲリラ部隊の掃討における必要性である。少人数で侵入して強行偵察や、レーダー施設・ライフライン・交通機関への破壊工作、要人誘拐などを決行してくる特殊部隊との戦いは、大がかりな戦闘よりも会敵距離がはるかに接近してくる。隠密行動を見破っても、遠方からの砲撃あるいは銃撃戦だけで完全制圧するのはむずかしい。しかも特殊部隊であれば個人レベルで心身ともに相当に鍛えられていると考えられ、彼らの攻撃と抵抗を速やかに無力化させるには、迎え撃つ各隊員が最新の近接戦闘術を身につけていなければならない。そしてこの近接戦闘の根源となる技術が、一般に古くさい過去のものと思われがちな徒手格闘なのである。

 なお本書の実技指導は、国際統合徒手格闘技連盟常任理事および板妻駐屯地拳法部拳志会会長を務める井出幹雄氏(徒手格闘道7段、日本拳法3段)による。細部にわたる井出氏の技術指導と解説、そして貴重なアドバイスによって本書は完成を見た。また撮影においては、同拳志会メンバーの海老澤正夫、今井雅人、島本恵造各氏のご協力をいただいた。
 本書を通じ、これまであまり知られていなかった自衛隊徒手格闘の姿を、技術を通して多くの人に理解してもらえれば幸いである。


徒手格闘入門〈目次〉

はじめに

第1章 白兵・徒手格闘略史 8
  戦前の白兵格闘術 各国の徒手格闘事情 徒手格闘の現状 軍隊式格闘術の特徴
第2章 自衛隊徒手格闘概説 17
  自衛隊徒手格闘の誕生 徒手格闘訓練課程 試合教習と防具
第3章 当身技概説 24
  主な急所の部位 当身技に用いる部位 拳足のつくり
第4章 拳 撃 32
  基本突き 直突き 横打ち
第5章 蹴 撃 38
  蹴撃のポイント 上げ蹴り 突き蹴り ヒザ蹴り 関節蹴り
第6章 連 撃 52
  連撃訓練のポイント
第7章 受けおよび反撃 60
  受けと反撃動作のポイント 受けそして反撃の例 横受け 上受け 下受け 
  すくい受け 反撃
第8章 投 げ 技 66
  後ろ受け身 横受け身 前回り受け身
  大外刈り 外掛け 内掛け 大腰 首投げ 背負い投げ
第9章 関 節 技 86
  関節技を掛ける機会 腕ひしぎ 腕絡み 小手返し 小手ひねり 
  小手返しから小手ひねりへの連繋 小手返しへの反撃 小手ひねりへの反撃 
  手首取りに対する反撃@A 連行法 格闘コンビネーション
第10章 締 め 技 112
  締め技のポイント 十字締め 送り襟締め 裸締め 裸締めからの離脱
第11章 対 短 剣 122
  対短剣のポイント 対順手突き 対順手袈裟切り 対逆手突き 対払い突き 
  対腰構え突き 対短剣の応用技
第12章 対 小 銃 138
  右かわし@ 右かわしA 左かわし 対斬撃

 徒手格闘関連用語 150
 
アメリカ海兵隊徒手格闘術 155

[コラム]
徒格式鍛練法@AB
空間訓練と仮標訓練
軍用ナイフ概説
頸部の鍛え方

 


 「あとがき」にかえて
 現実世界の護身術

 最後に、多くの読者が興味を持っているであろう護身術について触れておきたい。
 護身術とは自己防衛術の一部で、とくに暴力をともなう理不尽な攻撃から各自の生命・自由・財産を守る手段である。水と安全はタダ、という言葉がもはや死語となってしまった現在、護身術は日常における危機管理と認識すべきであり、特殊な存在ではなくなった。外出の際の火の用心とか、戸締まりと同じ防犯レベルのものだ。

 護身体術は使えるか?

 一般に護身術というと、暴力行為に対してどう具体的に立ち向かうか、といった体術の面のみに注目されがちである。巷に多数出回っている護身術関係の書籍を見てもそれが分かる。腕をつかまれたら、殴りかかられたら、首を絞められたら……などなど、暴力を受けた際にどう対処すべきか、どう反撃すべきか、写真やイラスト付きで詳しく解説されている。しかし一般市民がこのような護身体術を試みるのは正に最後の手段だ。
 すでに武術・格闘技の経験を十分に積んだ人が、その応用技として護身体術を吸収するならともかく、素人や素人同然の格闘技初心者では、書物を読んで自己流で少々独習したくらいで技を使いこなすことなど、残念ながら無理な話である。何年も格闘の練習をしてきた人でさえ、突然の凶暴な攻撃に対抗するのは厳しいのが現実なのだ。簡単に身につき、強力な敵をやっつけられる魔法のような制敵術など、この世に存在しない。
 とくに女性は非情な暴力に対してその威力と恐さを認識すべき。急所攻撃で大の男を倒せる、といった幻想を本気で信じるとひどい目に会う。危機意識があるなら、日々の行動と服装に注意を払い、防犯グッズを携帯するなどの、常識的な対策に気を配るほうが護身体術を独習するよりずっと確実といえる。
 暴力的トラブルがどのような状況で降りかかってくるのか、私たちには分からない。襲撃のTPOを選び、スターターを鳴らす決定権はあくまでも襲う側が持つ。そのため真剣に護身術を考えると、あらゆるパターンを想定しなければならず、たとえ体術の練習に時間が取れたとしても、それだけではとても対応し切れない。
 攻撃が偶発的なトラブルによるものか狙われたものか。敵は逆上しているのか冷静か。襲われた場所の環境と時間帯はどうか。その時に自分一人なのか、友人・家族が一緒なのか。襲撃者は顔見知りか、知らない人か。単数か複数か。素手なのか武器を持っているのか。そしてあなた自身は、男か女か、暴力的なストレスに強いか弱いか、体力があるのかないのか、格闘技・武術の経験の有無は、その時の服装は……。
 細かく見ていけばそれこそ数限りない状況が考えられるが、一つ共通事項がある。それは、襲撃者がターゲットより力関係で強いと思い込んでいる点である。自分もしくは自分たちより弱そうな隙のある相手を狙う。何かワケありでもない限り、一見してヤバい雰囲気を漂わせる男や、用心深そうな人を襲ったりしない。これは襲撃者にも思考力があることを示す。そこで彼らの行動パターンを知れば、多くの危険は未然に防げることになる。
 護身術を学ぶとしたら、その努力の90パーセントを危機回避の予防に費やすべきであり、実際の格闘戦の想定は10パーセント以下と考えよう。優先すべきは犯罪予防に関する知識と知恵を身につけ、自衛意識の心構えを持つことである。

 危機を事前に感知する

 金品目的の路上襲撃に対しては、周囲に視線をムラなく送りながら(おびえたようなキョロキョロ見回す動作ではなく、かといってガンを付けるような見方でもなく、顔を正面に向けたまま目だけ動かす)危険を察知する防衛レーダーを働かせ、胸を張って堂々と歩く。ウソみたいだが、たったこれだけの動作が襲撃の抑止力に働くことは犯罪研究から分かっている。体術を含め、護身の極意とは空間の間において「隙」を見せぬことだ。危ないと感じる連中が前方にいたら、マークされたり目が合う前にさりげなく道を変える。どうしようかと迷いながら、直前になってあわてて足を速めたり方向を変えたりすると、かえって相手を刺激してしまう。どうせ金を渡しさえすれば丸く収まる、などと甘く考えるべからず。卑屈なへつらいの態度は、ついでに獲物を痛めつけてやろうと遊び感覚で待ち構えている連中を喜ばせるだけである。
 本来は安全な場所であるはずの自宅まで暴力犯の対象になってきた。空き巣やその延長のピッキング犯罪はまだしも、力ずくでくる凶悪な強盗襲撃では命に関わる。用意周到な連中は、ストーカー的尾行とネットによる情報調査で、ターゲットの生活周辺を探って計画を練るという。侵入は小包の配送を装ったり、もっと強行にターゲットが家に戻ってくる時を近くの物陰から狙い、ドアの鍵穴に鍵を差し込むか、あるいはドアを開けた瞬間を襲ってくる。いくら音を立てずに背後からでも近づけば、人はその気配を察知できるものだが、前者は注意力が鍵穴の一点に集中しているし、後者は家に着いた安堵感によって、どちらも本能的な防衛レーダーが働かないのだ。何メートルも前から鍵を出して手に握り、家の周囲を見回しながらゆっくりと近づき、鍵穴を注視せずに差し込めるように予め練習しておく。ドアの前に立って鍵を捜しているようではまずい。
 なお、帰宅してすぐにドアチェーンを掛けてはならない。誰かがすでに忍び込んでいた場合、とっさに逃げ出す邪魔をチェーンがしてしまう。屋内の安全が確認できてからチェーンは掛けるべきものと心得る。もし部屋の中で襲撃者と遭遇してすぐ脱出できない時は、窓めがけて物を投げつけてやろう。ガラスの割れるけたたましい音が周囲の耳目を引き寄せ、同時に叫び声も外へ通りやすくなる。
 襲撃者側のノウハウを知ることで、このような犯罪への対策は立てられる。護身体術よりも防犯関連の専門書を当たって自分の生活に合った知識を吸収したい。読んだだけでは実践が面倒に感じられる自己防衛術は、日常の習慣にしていくことで無意識のうちにできるようになるだろう。敵と同様にこちらもゲーム感覚で警戒していけばいい。

 有効な防犯・護身具とは?

 よく知られる携帯用防犯グッズに、催涙スプレー、防犯ブザー(防犯アラーム)、特殊警棒、スタンガン、小型のフラッシュライトなどがある。
 このうち警棒類とスタンガンは、インストラクターの元で正しく使用法の練習を積んではじめて威力を発揮できるもの。ただ購入して持ち歩くのはお薦めできない。
 飛び道具である催涙スプレーは射程距離が2〜4メートルあり、襲撃者との距離をとったまま動きを止められる。市販されている製品は成分によってCNガスと、OCガスの2種類があり、前者は目を刺激し、高い揮発性があって衣服に付いただけで涙が止まらなくなる。後者はトウガラシを主成分として、神経の麻痺した覚醒剤使用者にも効く強烈さがポイント。揮発しにくく顔面を直接狙う。女性の護身用にはCNガスの噴霧式が向くだろう。襲撃者がフルフェイスのヘルメットを被っていても、胸元を狙えば気化したガスが隙間から昇り込んで涙腺を刺激する。一方OCガスは人間だけでなく野犬避けや熊避けに使えて風に強く、野外へ持っていくならこちらだ。
 このように催涙スプレーは種類によって使い方が少し違い、自分が浴びて苦しまないように室内や風向きなどその場の環境を考慮しなければならず、製品の基本的な知識が不可欠。これらの購入は詳しい使用説明のできる専門店を選びたい。
 催涙スプレー同様に目潰しに使えるのがフラッシュライト。通常の懐中電灯ではなく、タクティカル(戦術的)ライトと呼ばれる大光量タイプのものである。リチウム電池2個と高出力球を組み合わせたモデルで長さは12センチ前後しかなく、これでも直射されると目が眩むほど明るい。犯罪の発生しやすい暗がりでは襲撃者の瞳孔が開いているだけに、さらに効果が期待できる。使い方は、危険を察知した時点でライトを逆手に握っておき、もし襲撃者が迫ってきたら自分の目線の高さで素早くライトを構え、目前の顔に向けてスイッチを押す。闇を切り裂く閃光が敵の視力を即座に奪う。催涙スプレーと違って相撲の猫だましみたいに制敵効果は一瞬しかないので、敵がひるんだそのすきに全力で逃げ出す。あらかじめ室内で正確な照射の練習をしておきたい(ただし人に向けての練習は絶対にしないこと。相手の網膜を傷める危険性がある)。体術を使いこなせる人は、このライトが突く・打つ・払うなどの小武器として応用可能だ。
 悲鳴の代用をしてくれる防犯ブザーは、攻撃性が低い割りに暴力犯に有効とされる。突然鳴り響く120デシベル前後の大きな音が奇襲となって、相手の攻撃を瞬時に止めさせる点は他の防犯グッズとよく似ているが、最大の違いは複数の敵に対応できること。ブザーを鳴らしたまま逃げ回り時間をかせげば、襲撃者たちのもっとも嫌う周囲への注目を大きくできる。もっと身近な事件では、電車の中で痴漢に合った女性がその場で防犯ブザーを鳴らして撃退した例がある。車内の人たちは突然のつんざくようなブザー音に驚いたろうが、犯人が明白でない場合に起きやすい、冤罪トラブルへ発展する心配が少なくて済む。
 防犯ブザーは種類が多く価格が手頃で、アクセサリー的なデザインなど携帯していて不自然さがない。各自の好みと経済力に適した製品が選べるのもブザーの長所か。
 専用の防犯グッズの他に携帯電話が身を守ってくれる。一発で110番にかかるようにセットしておき、襲われた際は携帯電話を手にして、現場が警察へつながっていることを相手に宣告する。これは誰かが襲われている場面に出くわした際にも有効である。離れた位置から警察を呼んだことを大声で怒鳴りつけるのだ。
 ということで、持ち歩く護身具は携帯電話と防犯ブザーを必携とし、あとは高出力フラッシュライトか催涙スプレーを組み合わせるのが最適だろう。
 念のために書いておくが、ナイフ類の街中での携帯は法的にできない。
 刃物類を規制する法律の「銃砲刀剣類所持等取締法」(略して銃刀法)によれば、長さ6センチを超える刃体を持つ刃物(ナイフ、ハサミ、包丁など)は正当な理由がなければ持ち歩けない、となっている。では刃体がそれ以下の小型のナイフならOKなのか?
 ところが刃物の携帯には「銃刀法」だけでなく「軽犯罪法」も関係してくる。
 そこには「正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた者」は、「これを拘留又は科料に処する」と定められている。ここでは刃物のサイズは示されていない。つまり刃体が6センチ以下でも、そのナイフによって人に重い危害を加えることが可能と司法当局に判断されれば、それは凶器として見なされ逮捕・罰金の対象となる。刃物に限らず、野球のバット・警棒・メタルナックル(いわゆるメリケンサック)・アイスピック・ハンマー・ドライバーなども正当な理由なしに持ち歩けば、本来の目的から外れた犯罪の道具として認定されかねないわけだ。
 法律で言う「正当な理由」とは社会的常識に照らし合わせて許される理由であり、ナイフに関してはキャンプや釣り、登山といった環境である。しかし街中では「あれば何かと便利だから」は正当と見なされない。「ただなんとなく」「ファッションとして」「ナイフが好きだから」などの理由は通用しないし、まして「護身目的」などまったくのアウト。また、キャンプや釣りに行くからといって、自宅からベルトに装着してしまうのもダメで、ナイフは目的地に着いて実際に必要になってから身に付けなければならない。ナイフを購入して店から家に持ち帰る際は包装から出さず、必ずナイフと一緒にレシートを持つようにする。常識的に状況を考えれば納得がいくだろう。
 いずれにせよ、悪意がまったくなくても街中や公共の場へ刃物類を安易に持ち出せば、誤解と法的トラブルを招く恐れが高いことを知るべきである。

 三十六計逃げるに如かず

 日々の危機意識を高め、防犯グッズも用意した。それでも運悪く危険な状況に出会ったとなれば頭脳から肉体勝負へと世界が移る。とは言ってもまだ格闘戦の必要はない。一方的に襲ってくる犯罪からの自己防衛はケンカとは次元が違い、相手を倒したり謝罪させなくても、とりあえず緊急事態から脱すれば我の勝ちである。
 路上強盗および襲撃から無事逃れた人の例を調べると、ただ走って逃げたとか、接触はあってもせいぜい掴みにきた手を振り払って突き飛ばすくらいの、単純なパターンで済んでいる。もし目の前に誰かが立ちふさがって金を要求してきた時、いきなり防犯ブザーを鳴らすか、大声で「ドロボーッ」と叫んで走り出せば、意表をつかれた襲撃者はとっさに反応ができないだろう。必死に走りながら携帯電話で110番に連絡。この段階まで来れば勝機の光が見えてきた。後は脚力勝負である。再び襲われないように未遂であっても、事件の内容と相手の人相風体を必ず警察へ報告すること。
 ここで問題になるのが体力。数十メートル走ったくらいで息が上がり脚がもつれるようでは話にならず、危機脱出には最低限の基礎体力が要求される。これまで大して体を動かさなかったり長いこと運動から離れていた人は、まず積極的に速めに歩くことから始めよう。『軍隊式フイットネス』や『ホームトレーニング100』(どちらも並木書房刊)などのトレーニング教本を参考に、下半身と心肺機能を中心に強化するといい。

 格闘未経験者向きの護身体術とは?

 ついに最悪の運勢に見舞われた。どうしても深刻な接触から逃れられそういない。こうなれば格闘戦を覚悟して一気に闘争心を奮い立たせる。
 しつこく述べてきたように、格闘技の素人が護身体術の知識と独習だけで、突然向かってくる凶暴な敵を逆に叩き潰せる可能性は限りなくゼロに近い。では振りかかる火の粉をどう防げばよいのか? 答えは、道場かジムに通って汗を流して時には少々の苦痛を味わう。これしかない。結局そこかァ、と思われるかもしれないが、常人がまったくの努力をせずに肉体的に強くなるのは不可能なのである。また、本文でも書いたように、格闘トレーニングの積み重ねは精神的な自信を築き上げてくれるから、そのメリットは小さくないはずだ。あまりにも心理面が弱すぎると、危機の際に恐怖で体が竦んで思考が止まり、ヘビに睨まれたカエル状態に陥って、抵抗はおろか逃げる気力さえ奪われかねないのである。
 格闘技もしくは武術を学ぶ長所が理解できても、厳しい練習に耐えられない、通い始めたとしても長続きしそうにない、という人へはボクシングの実践を薦める。ジムへの入門動機は、体力をつけたいとかダイエットのため、でOK。周知のように、本格的なボクサーになるには、とてつもなく大変な道を踏まなければならないが、ここで目指すのはエアロビクスを兼ねた即席で身につける護身体術である。
 ボクシングジムを選ぶ理由は2つ。基礎体力が向上し、防御技術を比較的短期間に習得できるから。ボクシングは、縄跳びやロードワークが体力トレーニングの基本となり、筋トレは体のキレと打たれ強さを造るために、主に腹筋および背筋の体幹部と頸部を低負荷高回数で鍛える。護身体術でもっとも要求される危機からの脱出に必要な、俊敏なフットワーク、ダッシュ力、そして中間距離を走り続けられる脚力と心肺機能が養成できる。
 シャドウボクシングの動作をくり返すだけの独習では、スタミナをつける効果はあっても相手との距離感覚(間合い)が身につかないし、敵のパンチに対する防御能力はフリースパーリングのくり返しによって培われる。よって格闘技系エアロビクスの場合も、必ずスパーリングのプログラムの組まれたクラスを選ぶこと。
 ボクシングの攻撃技がパンチのみで蹴り技も組技もないため、総合的な護身体術に不十分、という声をよく聞く。その通りかもしれないが、これはあくまでも格闘技の初心者がごく短期間で必要最低限の護身技術を身につけるための選択であり、この時点での攻撃力は重要ではない。攻撃こそ最大の防御、というセリフは攻防一体の技術をマスターした上でいえるものだ。それに、いきなり腰や脚へタックルをかまして寝技に持ってくる襲撃者は普通いない。最初の攻撃は、素手もしくは金属バットなどで殴り掛かってくるはず。要はこの攻撃をフットワークと防御技術で何とかすり抜け、間髪入れずに脱兎のごとく逃げ出す。現実の格闘戦は5秒以内で済ませる必要がある。このわずかな時間内に敵を倒すか離脱しないと、後はジリ貧に陥る危険性が高まってくるからだ。もちろん、ここで防犯グッズを活用することは言うまでもない。
 格闘技初心者が秒単位の反射的な動きを身につけるには、ボクシングジムに通って数カ月間熱心に練習するのが一番である。攻防がパンチによる打撃と防御に集中しているだけに、高度に洗練された動きを教えてもらえる。とりあえずスムーズに動ける体になってから、それで物足りなければ空手や拳法などの道場に移ればいい。
 攻防戦で重要なポイントは絶対に地面に倒されないこと。もし倒れてしまったら可能な限りの早さで立ち上がる。戦いをあきらめて土下座したりカメ状態になって、暴力の嵐が過ぎ去るのをガマン強く待とうなどと考えてはならない。とくに襲撃者が複数の場合、集団心理から暴力衝動がエスカレートし、その興奮が収まるまで、連中は動かさない体をサディスティックに殴り蹴りまくるだろう。その結果、運が悪ければ後遺症が残るほどの傷を負うか、あるいは死に至る。護身術ではカメよりウサギの方が正しいのだ。
 くり返しになるが、護身術の目的は第1にトラブルを未然に避け、第2に、日々用心を重ねても不運にして危機に直面してしまったら、あらゆる手段を用いてその場から逃れること。この2点に集約される。平穏無事な生活を願う善良なる市民が、突然の暴力に対抗するのは容易なことではない。まずは、どうしたら危険な目に合わずに済ませられるか、そして防げるか、さまざまな視点で考えながら知恵を働かせるのが真の護身術といえる。
                                            
平山隆一(ひらやま・りゅういち)
1953年、栃木県生まれ。学生時代からの射撃とアウトドア行動熱が高じて78年に渡米。北米大陸を中心にバックパッキングの旅を続ける。89年に帰国。月刊『Gun』誌(国際出版社刊)で「野外実践講座」を連載中。編著書に『フィールドモノ講座』『フィールドナイフの使い方』『ツールナイフのすべて』『軍隊式フィットネス』『ホ−ムトレ−ニング100』(いずれも並木書房)がある。
井出幹雄(いで・みきお)
1950年、静岡県生まれ。69年3月、陸上自衛隊板妻駐屯地に入隊し現在に至る。自衛隊体育学校曹格闘課程18期。徒手格闘上級指導官の資格を持ち、徒手格闘の教官として指導に努める。役職は全自衛隊徒手格闘連盟常任理事、国際統合徒手格闘技連盟常任理事、板妻駐屯地拳法部拳志会会長。徒手格闘道7段、銃剣道5段、短剣道5段、日本拳法3段。