●はじめに
「政治的テロ」や「無差別爆弾テロ」の嵐が吹き荒れた1970年代の初め、ヨーロッパ各国は残虐なテロリストへの対抗手段として対テロ部隊を編成した。1977年に発生したルフトハンザ航空機ハイジャック事件を解決したドイツ第9国境警備隊GSG9、1980年の在英イラン大使館人質事件で救出作戦を成功に導いた英国陸軍特殊空挺任務隊SASなどは、まさにその一例だ。
70年代後半にはアメリカがこの動きに同調。国外で発生したテロ事件に対処するためにデルタフォースを陸軍に編成し、国内のテロ事件専用としてFBI連邦捜査局に人質救出部隊HRTを創設した。アメリカ国民が地球上のいかなる場所でテロ事件に遭遇しようとも、直ちに救出できる体制を整えた。
一方、日本も本格的な対テロ対策を開始した。近年、警察庁は特殊急襲部隊SATの所在を明らかにし、警視庁、大阪府警、北海道、千葉、神奈川、愛知、福岡の県警本部への設置が完了した。1995年に起きた函館空港全日空機ハイジャック事件に出動したSATの活躍は、読者の記憶にも新しいはずだ。
ハイジャックやろう城事件に出動する彼らの任務はテロリストを制圧し、人質の安全を確保することにある。テロリストの安全を確保することは二の次、時には射殺も辞さない覚悟で突入していく。
とはいえ、軍隊に所属する対テロ部隊と警察機関に属する対テロ部隊には大きな違いがある。警察の場合、軍隊と違い、犯人の射殺は最終手段となる点だ。必然的に法を厳守することが求められ、あくまでも犯人逮捕が原則となる。
「一滴の血も流さずに犯人を制圧し、人質の身を確保すること」。これが警察機関の対テロ部隊に共通する考え方だ。引き金を絞ることはすぐにできる。だからこそ、“犯人射殺”は他に方法がない場合の最終手段とされる。さらに警察の対テロ部隊は「凶悪犯罪」にも対処しなくてはならない。犯罪者を問答無用で撃ち倒すことは警察にはできないのである。その結果、警察の対テロ部隊にはより高度な逮捕術が必要とされる。
また近年、国連のもとに各国軍隊は、平和維持部隊の一員として、地域紛争の調停に派遣されるようになった。警察官も志願制で同様の任務につく。だが調停役という立場上、武力に頼った実力行使はそう簡単には行なえない。こうした状況で必要となるのが、銃器を用いずに相手を取り押さえる逮捕術であり、護身術である。
テロリストや凶悪犯罪者を相手にした戦いの多くは、室内で行なわれることも忘れてはならない。武道のように畳やマットが敷き詰められ、試合場が明確に定められているわけではない。
建物内部はもちろん、航空機や列車、遊覧船、バスの車内で、しかも足場が極端に悪い階段や狭い通路で行動するケースもありうる。相手が潜んでいるかもしれない場面で突入することもあるだろう。相手は障害物を至るところに設置し、行く手を阻むかもしれない。不意打ちも考えられる。こうした圧倒的に不利な状況下での戦いを想定しなければならないのだ。
室内における戦いは、専門用語でCQB(Close Quarter Battle:近接戦闘)と呼ばれる。小説や映画では派手に撃ち合う銃撃戦が描かれるが、現実は違う。無闇に発砲すれば、銃弾は内装や窓ガラスを撃ち抜き、周囲の者を巻き添えにしかねない。列車や遊覧船といった鉄の固まりの中で発砲すれば、銃弾が容赦なく跳ねまわり、人質を傷つける。時には発砲した本人が負傷してしまうこともある。
つまり、銃器はテロリストや凶悪犯罪者に対抗できる万能品でないということだ。多くの対テロ部隊はほとんど銃を発砲することはせず、特殊な格闘術を使って制圧するようになってきた。銃を撃つとしてもセミオートで1発ずつの射撃。正確に狙って撃つ。フルオートで弾丸をばら撒くことは絶対にありえない。
銃を撃ったところで小説や映画のようにテロリストや凶悪犯罪者が吹き飛ぶようなことはないし、常にその場に直ぐ倒れるかといったらそうでもない。抗弾ベストでも着用していようものなら、あっという間に反撃されるのがオチである。訓練を積んだテロリストは2秒もあれば、反撃を開始する。考える時間を与えることなく、格闘術で制圧したほうがより安全なのだ。
これまで対テロ部隊が用いる護身術を連続写真で、しかも分かりやすく、一般に紹介されたことはない。そこで、私は対テロ部隊が実際に使用している護身術を、一冊の本にまとめてみようと考えた。こうして誕生したのが、本書『軍隊流護身術――Close
Fighting Skills』である。本書で取り上げている技術は、世界各国の対テロ部隊で実際に使用されているものだ。
あらかじめ述べておくが、本書はあくまでも“軍隊流護身術”に関する情報文献である。本書の内容を実践する際は、相手を傷つける恐れがあるだけに十分な注意が必要だ。たとえ護身目的で正当防衛に用いたとしても、相手を必要以上に負傷させてしまった場合、過剰防衛として訴えられる危険がある。まして、いたずら半分に用いたりすることは論外である。その点だけは注意していただきたい。
●あとがき
本書『軍隊流護身術』は、対テロ部隊で実際に使用されている基本技術の数々を一冊にまとめたものだ。すべての技を連続写真で捉え、できるかぎり詳細な説明を加えた。どの技も合理的かつ自然な動きで繰り出せるようになっている。本書を一読された方は、お分かりいただけたと思う。
しかしながら本書で取り上げた内容が、“軍隊流護身術”のすべてではない。建物、旅客機、列車、バス、遊覧船といった状況に応じた、専用の格闘術が存在する。それらの技術は対テロ部隊の機密事項にかかわるため、残念ながら本書では紹介できない。そのような状況別の格闘術は、現在、各国の対テロ部隊が重点的に研究する最先端技術の一つなのだ。
テロリストや凶悪犯罪者の行動様式が変化すれば、当然のことながら対テロ部隊のテクニックも変化する。現時点では機密事項であっても、ある程度の時間が経過すれば、いずれ機密扱いでなくなる日が来るだろう。その時には『軍隊流護身術』の続編として、読者の皆さんにお届けしたいと思う。
最近、私は、司馬遼太郎原作・篠田正浩監督の映画『梟の城』(1999年)のアクションアドバイザーを務めた。「リアリティーを追求したい」という篠田監督の要望にそって、スクリーンに登場する忍者たちに軍隊流護身術やナイフ格闘術を教えた。
従来の忍者映画にありがちな、跳んだり、はねたりといった荒唐無稽な動きをいっさい排除した。少ない動きで確実に敵を仕留める動作だけをアドバイスしたつもりだ。
時代によって用いる武器は変わっても、人間対人間の生死を賭けた戦いに違いはない。
そのことは、三重県上野市の“忍者の里”を訪れた時に改めて実感した。昔から伝わる忍者の秘伝書に残された技の数々が、本書『軍隊流護身術』で紹介したものと実に多くの点で共通していたのである。
私の実践する“軍隊流護身術”の源流の一つが、400年以上も昔の伊賀の里にあったことを知るとともに、各国対テロ部隊が研究する最新の技と日本古来の武術との融合が、新たな道を開く予感がしている。
読者の皆さんには、また新しいテーマでお会いすることになるだろう。その際には皆さんの期待を裏切らないよう、全力を尽すつもりでいる。
●毛利元貞(もうり・もとさだ)
1964年広島県生まれ。高校卒業後、陸上自衛隊入隊。フランス外人部隊伍長、傭兵訓練学校教官を経て、各地の戦場で特殊作戦に参加。以後活動の場を対テロリズム関係へと拡げ、90年には国家指導者(ノーベル平和賞受賞者)警護部隊の対テロ訓練を行なう。以後、CQBおよび狙撃等の各種対テロ戦術訓練を実施。最近はIPSCプラクティカル・シューティング(現在Cクラス)にも力を注いでいる。現在は有限会社モリ・インターナショナルを設立、各種専門分野のコンサルタント業務およびセミナー運営に携わる。また、特殊戦闘の経験および技術を活かして専門誌に寄稿。ノンフィクションの執筆を続ける。最近では小説、コミック原作にも活動の幅を拡げる。著書に『傭兵マニュアル完全版』『傭兵修行』『新・海外サバイバル・ガイド(共著)』『軍隊流護身術』(いずれも並木書房)、翻訳書に『ザ・デルタフォース(監訳)』(並木書房)『世界の最強対テロ部隊』(グリーンアロー出版)、『コンバットスキル1・2(監修)』(ホビージャパン)、小説『デッドリー・フライト96』(KKベストセラーズ)がある。
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