●はじめに
本書は、自宅で手軽にできる肉体の強化法を紹介したものだ。
肉体の強化、などと言うとずいぶん大ゲサに聞こえるが、早い話が駅の階段を息を切らさずに駆け上がれる心臓とバネの効いた脚、1日中立ち仕事をしていてもダルくらない腰、そして日々のストレスに打ち勝てる体力をつけよう、ということである。ついでに風呂上がりの鏡の前で、がっかりしないだけの引き締まった体が造れれば申し分ない。
ここで取り上げる種目の多くは、一般に筋力トレーニングの方法として普及しているダンベルや専用器具を使ったものではない。ミリタリーと武術の世界で採用されている数々のトレーニング法を参考にして、自分の体重を利用するセルフレジスタンスエクササイズ(自負荷運動)と呼ばれる内容を中心とした。
なぜミリタリーと武術系か。それは彼らが過大な筋力よりもスタミナを持った実践的な体を望み、主に持久力の強化にウエイトを置いているからだ。
ファイティング シェイプ
軍の中でとくに戦いのエリートを育てる特殊部隊では、体の総合的な実践性を最優先し、隊員たちに過酷な訓練を強いることで知られる。
そんな彼らを志願兵の中から選抜するテスト例を見てみよう。
英陸軍SAS(特殊空挺任務部隊)では、25キログラム以上のベルゲン(英軍採用の大型バックパック)を背負い、64キロの山路を地図とコンパスを使って約20時間で単独で踏破しなければならない。米軍の特殊部隊員の体力資格なら、23キログラムのラックサックを背負って8キロを45分以内に走破し、BDU(バトルドレスユニフォーム=戦闘服)とコンバットブーツ着用のまま75メートル以上泳ぐ。中国人民軍の特殊部隊では40キロ強行軍の後に3分間100回のプッシュアップをやらせ、北朝鮮人民軍には30キログラムの個人装備で70キロの断食行軍訓練があるという。各国とも似たような内容で優秀な兵士を選抜し、かつ鍛えている。
距離とか時間などの具体的な数値を、私たち一般市民が行なうトレーニング目標に当てはめることは当然できないが、この内容から分かるのは、軍にとって強靭で優秀な兵士とは、長くつらいストレスに耐えられるだけの肉体と精神力を持っていることを意味する。粘り強くタフという言葉がぴったり当てはまる特殊部隊員の外観は、ハリウッドのアクション映画に登場するような怪力を誇るマッチョマンではなく、むしろ小柄で痩せてさえ見える。
バランスのある体が大切
そもそも体力とは、体がそなえる複合的な能力のこと。これには筋力・瞬発力・持久力・敏捷性・バランス能力・柔軟性、そして体型や姿勢も含む行動体力(基礎体力)と、さまざまなストレスに対する肉体および精神的な抵抗力を指す防衛体力とがある。
つまり、心身の両要素がバランス良くそろうことで体力は成り立つ。重いバーベルを持ち上げる強い筋力があっても、ちょっと走っただけでバテてしまったり、環境の変化ですぐ風邪を引くようでは、日常生活において体力があるとはいえない。
身体能力を向上させる手段をフィジカルフィットネストレーニング(体の適性運動)というように、身体機能全般をムラなく鍛えてこそ自己の要求に応じた能力、すなわち体力が向上するのである。
体力造りは時間がかかる
ミリタリーや武術系で行なわれるトレーニングには二つの特徴がある。
一つは先に述べたようにスタミナに深く関係してくる心肺持久力と筋持久力のアップに重点が置かれていること。
もう一つが、彼らの場合トレーニングを集団で行なうため、個人レベルで利用できる器具類があまり使えず、そこで狭いスペースでも手軽に誰もができる動きが考えられた。
それらを参考にした本書では、比較的簡単な動作でしかも効率良くできる内容に絞ったが、もちろんミリタリー系といえども、短時間で肉体を強化改造できる秘密のトレーニング法など存在しない。しっかりとした計画に沿って実行しても効果が現われるまで、通常エアロビクスで6週間以上、筋の明確な増加にいたっては8週間以上もかかってしまう。この時間を最初に理解しておかないと、望む体は手に入らない。
動機が何であれ自分で始めたトレーニングは長続きしずらいのが世の常で、ホコリのかぶった鉄アレイやエキスパンダーを部屋のすみに転がしている人は少なからずいることだろう。独りで適当にトレーニングをやっていると単調な動作のくり返しがつまらなく、しかも結果がすぐには出てこないことが長続きしない原因と考えられる。
多くの人はトレーニングの結果を早く求め過ぎて失敗する。ローマと体は1日では成らないことを、まず頭に入れてから取り組もう。
さらに、日常もトレーニングの場として動作に軽い負荷をかけるように意識しよう。
例えば、歩くスピードを今までより少しばかり速くする、エレベーターなどは使わずに階段を駆け上がる、電車の吊革には薬指か小指1本だけをかける、常に下腹部を引っ込ませるよう意識する等々。
また体を内側から強化するために、日々の生活からジャンクフード(質の悪い食品)と喫煙を遠ざけ、何よりも規則正しい睡眠が体調維持には不可欠である。
●監修者のことば
人間社会について回る病魔を克服するのは難しいが、座して病魔の襲撃を待つこともない、というのが私の持論である。
長生きして楽しい人生を送りたければ、その基本となる体を鍛えるのは当然といえる。ところが、その当然な事実を分かっていながら、日常において実行している人が意外に少ないのには驚かされる。これは日本もアメリカも同様である。
体のトレーニングを敬遠している多くの人たちは、「時間がない、場所がない」ということを最大の理由にしているが、それは単なる言い訳にすぎない。当人自身もそのことはよく承知しているはずだ。
フィジカルトレーニングの実践は本当はそんなに難しいことではなく、ちょっとしたきっかけとヤル気さえあれば、すぐにでも始められる。何も特別な器具はいらない。自分の体重をバーベル代わりに利用すればいい。ジムのような広い場所もとくに必要はなく、畳一枚分のスペースさえあれば十分。時間だって、できる時にやればよいのである。考えようによっては実に簡単でしかも金もかからない。
要はトレーニングを継続できるか否か、ここに肉体強化の全てがかかっている。
本書を見ていただければお分かりのように、ここには奇をてらった複雑なトレーニング法は紹介していない。『軍隊式フィットネス』というタイトルから、何か特別な人向けの特殊な訓練のように感じるかもしれないが、実際に軍隊で行なっているフィジカルトレーニングとは、個人が特別な器具なしで体を鍛えることのできる、基礎的な種目ばかりなのである。
しかし、だからといって甘く見てはいけない。本書で紹介するさまざまなトレーニング法をしっかりマスターして実践できたなら、基礎体力はまちがいなく向上する。そして体力面において、各国どこの軍隊であろうとも通用する体になると私は断言できる。それほど、ここで紹介するエクササイズのレベルは高く、効果的だ。
面倒な理屈は抜きにして、今すぐこの本に書かれているトレーニングを実践してみてほしい。1日1回、体を動かすことを1か月続ければ、かならず習慣になるだろう。そして3か月もしないうちに、きっと今までとは違った自分に気がつくはずである。
最近アメリカでは、軍隊式トレーニングを取り入れたフィットネスが人気を集めている。参加者は新兵訓練所で、プッシュアップやスクワット、ロープ上り、ランニングに汗を流す。高い料金を払って鬼教官にシゴかれるなんて、軍隊生活の長かった私にはちょっと信じられない光景だが、健康ブームを反映して、よりハードなエクササイズに挑戦したい気持ちがあるのかもしれない。
私も現役時代、人に倍する鍛練を自分に課してきた。なぜなら「軍の装備は人間が装備に合わせるもの、体の大小によって支給された装備が変わるものではない」という軍用装備の大原則を理解していたからだ。
体が小さいからといって携行する弾丸の数を減らす訳にはいかないし、一人だけ軽いライフルを持つことはありえない。体が小さくてもエリート部隊に残り、任務遂行に破綻をきたさないために、つねに体を鍛えて備えていたのである。
アメリカ陸軍を退役した後も、ストレッチングエクササイズと5マイルのランニングは毎日欠かさず続けている。プッシュアップを含めたエクササイズなどは、ガレージの片隅やテレビの前、仕事机の横など、場所も時間も決めずにやっている。習慣とは恐ろしいもので、一通りやらないと一日が何か落ち着かないのである。
特殊部隊OBの集まりがいまも年1回開かれ、なつかしい仲間が全米各地から集まってくる。会合と並行して隊友誌は年4回発行されているが、発刊当初は1ページにも満たない訃報欄が、最近は数ページに増えてきた。その訃報欄の多くを占めるのが元下士官。彼らの死亡年齢の多くは、まだ55歳から65歳という若さである。
その最大の理由は、アルコールの飲み過ぎと、ベトナム戦争当時大量に散布された「枯れ葉剤」の影響と言われている。
枯れ葉剤が原因かどうかは科学的に証明された訳ではないが、飲み過ぎに関しては、当たらずとも遠からずといったところか。飲む量は現役時代に比べて、増えることはあっても減ることはないだろう。しかも体を動かす機会だけは格段に減っている。現役時代は強靱な心身によって、自他ともに認める精強さを誇った彼らも運動不足には勝てない。
私自身、飲んだ翌日はエクササイズの量も増やして新陳代謝を心がけている。エクササイズは人のためにやるのではなく、自分のためにやるのだ、ということを肝に銘じているからだ。
最後になったが、献身的にモデルをつとめてくれたヒューグル・ライアン、アレックス・オギド、スティーブ・マクレイン、マイケル・ビエラの4人の若者に感謝を捧げる。
●三島瑞穂(MIZUHO MISHIMA BOBROSKIE)
元アメリカ陸軍軍曹で特殊部隊グリンベレー在隊21年のキャリアをもつ。1959年、米陸軍に志願入隊。60〜72年、ベトナム在第5特殊部隊グループ、沖縄第1特殊部隊グループおよびMAC/SOGに在隊し、長距離偵察、対ゲリラ戦など、ベトナム戦争の全期間に従事。特殊部隊情報・作戦主任、潜水チーム隊長をへて、80年退役。現在、危機管理コンサルタントとして活躍する一方、各軍事雑誌に記事を執筆。著訳書に『グリンベレーD446』『コミック・ザ・ナム』『ベトナム戦争米軍軍装ガイド』『第2次大戦米軍軍装ガイド』『ベトナム戦争米歩兵軍装ガイド』『第2次大戦各国軍装全ガイド』(いずれも並木書房)、『有事に備える』(かや書房)などがある。ロサンゼルス在住。
●平山隆一(ひらやま・りゅういち)
1953年、栃木県生まれ。学生時代からの射撃とアウトドア行動熱が高じて78年に渡米。以後、アリゾナ、テキサス、カリフォルニアなどに住みながら北米大陸を中心にバックパッキングの旅を続ける。89年に帰国。これまで、多様なアウトドア行動に対応できるよう、さまざまなトレーニング法を実践、調査してきた。月刊『Gun』誌(国際出版社刊)で「野外実践講座」を連載中。著書に『軍隊式フィットネス』『フィールドモノ講座』『ツールナイフのすべて』(いずれも並木書房)がある。
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