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 本書の視点と構成
  近年、一九七〇年代に関しては佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、三木武夫、福田赳夫など、歴代政権担当者の評伝的研究や、日中国交正常化前後の日本外交についての研究が進んでいる。本書ではこうした研究成果に学びつつ、青嵐会の活動が限界を露呈していく過程を内外の情勢に関連付けて解明していく。同時期の国際関係や自民党の党内状況が青嵐会メンバーの動きにどう反映されていたのか、メンバーそれぞれの認識の違いに焦点を当てる。その際、筆者自身が取材した青嵐会参加議員やその秘書、報道関係者などの証言も活用することで、これまで知られてこなかった事実関係を再現していく。こうした証言内容は従来までの青嵐会のイメージを相対化するだけでなく、戦後日本で改憲潮流が有力なものにならなかった要因を考察する上でも役立つはずである。本書の構成は以下の通りである。
  第一章では青嵐会前史として占領期から一九七〇年代初頭に至るまでの期間を概観する。若い読者に配慮し、冷戦の影響と日米関係の推移、池田・佐藤内閣期における自民党政治の完成など、戦後政治外交の諸条件がどのようにして形成されたかを解説する。一九六〇(昭和三五)年の岸内閣による安保改定以降、憲法問題は事実上棚上げされる一方、本来別個の背景から誕生したはずの日本国憲法、日米安保体制、自民党の三つが融合することで戦後日本の政治外交を規定していく過程を明らかにする。
  第二章では一九七二(昭和四七)年の自民党総裁選と田中角栄の勝利を経て、翌々年の「青嵐会は主張する国民集会」開催までの期間を扱う。中ソ対立を背景とした米中接近、それを後追いする形で田中内閣が日中国交正常化を急ぎ、政府・与党間関係の調整を怠ったことが青嵐会結成につながっていく過程をたどる。次に青嵐会の人的構成や、外交・安全保障、憲法への認識がいかなるものだったか、各種資料や証言から検討する。
  第三章では一九七四(昭和四九)年に政治的争点となる日中航空協定調印問題から一九七六(昭和五一)年の三木内閣総辞職までの期間を扱う。青嵐会は日中航空協定反対の中心勢力として活動するが、田中内閣後半期、後継総裁人事をめぐって足並みの乱れを露呈するようになる。続く三木内閣期、青嵐会は自民党の政綱改正をめぐって河野グループと対決する一方、一九七六(昭和五一)年の「政府主催憲法記念式典糾弾国民集会」をめぐって大きな混乱を党内にもたらすことになる。これまでの研究で言及されてこなかった同集会の模様を再現した上で、青嵐会の問題点を整理する。なお、『日本列島改造論』など、田中内閣期における経済分野の事項は主として補論で扱う。
  第四章では一九七六(昭和五一)年の福田内閣成立から一九八〇年代の中曽根内閣期までを扱う。特に日中平和友好条約の国会批准、青嵐会の解散と自由革新同友会(中川派)に移行していく過程や、一九八二(昭和五七)年の自民党総裁選と翌年に中川一郎が自死するまでの動きに焦点を当てる。青嵐会には中曽根派からも多くの議員が参加していたが、のちの中曽根内閣は憲法問題や対アジア外交の面で後退姿勢を示すなど、必ずしも保守政治に徹したわけではなかったことを論じる。
  補論では国土開発の思想という面から田中角栄著『日本列島改造論』と青嵐会メンバーの主張を比較検討する。青嵐会は反田中政治を旗印にして結成されたが、彼らの多くは「国土の均衡ある発展」を志向する点で田中と共通していたことを明らかにする。後半では事例研究として中川一郎、浜田幸一、玉置和郎、渡辺美智雄を取り上げ、彼らが国と地方の関係をどう捉えていたかを分析する。関係者へのインタビューも含め、昭和の終わりから平成の初めに模索された国土開発や地域振興の視点を再現する。
  すでに青嵐会メンバーのほとんどは逝去し、青嵐会を知る世代も老境に入っている。しかし、青嵐会とその時代をたどることは、憲法改正論議、アメリカ・中国・台湾・韓国・ロシアなど諸外国との関係、自民党における派閥の在り方、東京一極集中と地方の衰退など、眼前の問題を理解する上で重要な意味を持つはずである。

 目 次

 

序章 青嵐会はいかにして生まれたか 6

広がる政治的閉塞感/五五年体制とは何だったか/青嵐会への評価/本書の視点と構成

第一章 五五年体制の形成と展開 19

第一節 敗戦と占領 19

初期対日占領政策/日本国憲法第九条/冷戦の波及と占領政策の転換/サンフランシスコ平和条約と日米安保条約

第二節 主権回復と政界再編 29

反吉田勢力の台頭/保守合同

第三節 自民党単独政権時代の始まりから「政治の季節」へ 32

「独立の完成」を目指した鳩山一郎/岸信介と「日米新時代」/安保改定

第四節 経済大国への道と自民党政治の完成 37

池田内閣と開放経済体制への移行/佐藤内閣と日韓・日米関係/「ニクソン・ショック」と「保守の危機」

第二章 田中内閣の成立から青嵐会の結成へ 45

第一節 時代背景と人的構成 45

党内状況への危機感/一九七二年の自民党総裁選挙/中ソ対立から日中国交正常化へ/青嵐会結成に向けた動き/役職者に見る派閥分布

第二節 五人の代表世話人 68

中川一郎/湊徹郎/渡辺美智雄/藤尾正行/玉置和郎/『朝日新聞』による報道/保守勢力からの期待/青嵐会の中心メンバーは誰だったのか

第三節 外交・安全保障と憲法への認識 90

「青嵐会趣意書」/「青嵐会の外交の基本方策」/中山正暉の憲法論/「青嵐会は許さない」/「青嵐会は主張する国民集会」

第三章 青嵐会の先鋭化と失速 128

第一節 田中内閣の崩壊過程と三木内閣の成立 128

存在感を増す青嵐会/『人民日報』が報じた青嵐会/第二次田中内閣発足と第二九回自民党大会/日中航空協定締結問題の浮上/自民党総務会を揺るがす青嵐会/「金権政治批判」の高まり/三木内閣の成立と青嵐会/政綱改正をめぐる河野グループとの対決

第二節 政府主催憲法記念式典糾弾国民大会 160

ロッキード疑惑から「三木おろし」へ/玉置和郎と三島由紀夫/「政治といふものはハネ上がつてやれるものぢやない」/渡辺美智雄と「スト権スト」問題/青嵐会を去った山崎拓と松永光/新自由クラブ結成と第三四回衆議院議員総選挙/青嵐会の問題点はどこにあったか

第四章 青嵐会の終焉 196

第一節 福田内閣の成立 196

中川一郎と渡辺美智雄の軋轢/日中平和友好条約の調印/中山正暉の抵抗/青嵐会解散を決定した赤坂会合

第二節 青嵐会以後 215

派閥の体をなしていなかった自由革新同友会/米価問題と元号法制化/四〇日抗争/ハプニング解散/小林興起が見た中川一郎

第三節 一九八二年の自民党総裁選挙 228

「スルメになるな」/浜田幸一とラスベガス事件の真相/玉置和郎の衆議院鞍替え問題/中川一郎の焦りと落胆

第四節 祭りの後 239

中川一郎の自裁/中曽根内閣に見るポピュリズム/中曽根政治が残した禍根

第五節 政策集団青嵐会はなぜ消滅したか 250

補論 『日本列島改造論』と青嵐会に見る国土開発の思想 263

第一節 問題の所在 263

第二節 『日本列島改造論』とその背景 266

第三節 『日本列島改造論』の挫折 270

青嵐会から見た『日本列島改造論』/自民党内と業界団体の反対/田中角栄と日ソ関係/第一次石油危機と高度経済成長の終わり
第四節 中川一郎 278

北海道と国の媒介役を目指して/北海道第五区と中川一郎後援会/北海道振興への視点

第五節 浜田幸一 287

党人政治家への道/東京湾アクアラインと房総半島振興

第六節 玉置和郎 294

宗教界からの政界進出/半島振興法の制定/半島地域の現状と「地域主権」という幻想

第七節 渡辺美智雄 302

インフレ抑制と地方分散を目指して/中曽根内閣と国鉄民営化/広域行政への視点

第八節 小括─国が果たすべき役割と責任─ 315

終章 現代政治が失った青嵐会の精神性と行動力 326

一九七〇年代の教訓/厳密に一元化されていなかった青嵐会の対外認識/「侍」がいなくなった時代と自民党の行方

あとがき 340

菅谷幸浩(すがや・ゆきひろ)
1978(昭和53)年、茨城県生まれ。学習院大学大学院政治学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(政治学)。政治学・日本政治外交史専攻。亜細亜大学法学部、高崎商科大学商学部・短期大学部兼任講師。著書『昭和戦前期の政治と国家像』(木鐸社)、『立憲民政党全史1927‐1940』(講談社、共著)、『昭和史研究の最前線』(朝日新聞出版、共著)、『昭和史講義2』(筑摩書房、共著)