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はじめに(一部)

 ロシア・ウクライナ戦争が生起してから2年近くが経過しましたが、いまだに、その特徴や評価は定まっていません。「新しい戦争」といわれる一方で、特に新しい戦争というわけではないという意見もあります。
  正規戦と非正規戦が入り混じった「ハイブリッド戦争」だといわれることもあります。また「目に見えない戦い」だといわれることもあります。
  このようにいろいろな捉え方があるなかで、本書は、「情報戦」の視点からロシア・ウクライナ戦争を考察しようと思います。
「情報戦(Information Warfare)」とは、心理戦、電子戦などを含む古くからある概念ですが、1990年代半ば頃から米国防総省においてその重要性が再認識されるようになりました。
  当時の米国防大学のテキストでは、「情報戦は戦争を遂行するうえでのいくつかの技術の総称であり、指揮統制戦、電子戦、心理戦、サイバー戦、経済情報戦などを含む」としています。
  また、NATOでは2005年頃から「情報戦とは、相手に対して情報面で優位に立つために行なわれる作戦である。情報戦は自国の情報空間を支配し、自国の情報へのアクセスを保護する一方で、相手の情報を入手・利用し、相手の情報システムを破壊し、情報の流れを混乱させることで成立する。情報戦は新しい現象ではないが、技術の発展による情報伝達の高速化・大規模化という革新的な要素を含んでいる」と定義されています。
  このようにそれぞれに定義されているものの、国際的には統一された定義がないまま「情報戦」という用語が使われているのが現状です。
  さらに、「技術の発展による伝達の高速化・大規模化という革新的な要素」の象徴であるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が広く普及し、情報戦の概念を広げています。
  その一方で、「情報」を取り扱う現場では、秘密工作活動(準軍事作戦を含む)なども「情報活動等」に含めています。ところが、わが国のマスコミなどで取り上げられているロシア・ウクライナの情報戦は、国家によるプロパガンダや偽情報による欺まんなどにのみ焦点が当てられています。
  そこで本書は、情報戦を「相手に対して情報優位に立つために行なわれる情報をめぐる活動や作戦」と幅広く捉えて、解説していきたいと思います。
  そして、ロシア・ウクライナ戦争における「情報戦」を研究することで、次に起こりうる危機(台湾有事など)で、その手段や手法がどう使われるかを想定することができ、事前に対策を立てることも可能です。

目 次

はじめに 1

第1章 米ロ情報機関の戦い 17

なぜ米国は機密情報を公表したか?  17

情報機関と戦争研究所の見解の違い/大統領直轄の専門家集団「タイガーチーム」の役割/9・11テロで失敗した情報戦の教訓/インテリジェンス・インフォメーションとは?/ヒューミントのもたらす重要性/スパイ獲得に活用されるSNS/情報開示の効果/機密情報をあえて公表する意味/見解の違いはなぜ起こるのか?

プーチンの粛清を恐れたロシア情報機関 29

ウクライナ保安庁(SBU)とCIAの協調/ロシア連邦保安庁(FSB)とSBUの争い/ロシア「FSB」内部分裂の兆候

第2章 誰もが情報戦争の戦闘員 35

「いいね戦争」と「ナラティブの戦い」35

さらに進化するSNS上の「いいね戦争」/世論を味方につける「ナラティブの戦い」

ウクライナとロシアのSNS運用の違い 38

ウクライナのSNS活用/SNS投稿を全面禁止したロシア軍/悪意のないフェイク動画の拡散

第3章 サイバー戦における攻防 44

ロシアのサイバー戦能力は低下したのか? 44

破壊的で容赦ないロシアのサイバー攻撃/ロシアのサイバー組織はピラミッド構造

ロシア・ウクライナ戦争にみるサイバー攻撃 47

ロシアのサイバー攻撃の手口/DDoS攻撃が世界的に急増/ロシアはウクライナを支援する東欧諸国に狙いを変えた/「キルネット」による日本へのサイバー攻撃/ロシアのサイバーインフルエンス工作

ウクライナ政府によるサイバー防衛 55

米軍流サイバー防衛「アクティブディフェンス」/侵攻前に運び出された「重要データ」/アクティブディフェンスの重要性

第4章 ロシアによる積極工作 60

ロシアによる偽情報の特徴 60

フェイクニュースの3つの区分/嘘も百回言えば本当になる/偽情報を信じてしまう「スリーパー効果」/危険なロシアの国営放送/見破られたゼレンスキー大統領の偽動画
 
ロシアによるウクライナの弾圧と迫害の歴史 68

大戦中、最大の犠牲者を出した民族/残虐性はロシア軍の伝統か

ロシア情報機関による工作の疑い 72

相次ぐオリガルヒの不審死/ロシアにおける世界最大級の石油会社会長の死/モルドバに対する政権転覆工作/ドニエプル川のダムの破壊

第5章 ウクライナも得意とする積極工作 86

ウクライナで最も成功したプロパガンダ 86

ソ連の流れを組むウクライナの情報機関とその改革/大手メディアも追随した「キーウの幽霊」/日本でも「キーウの幽霊」が漫画になり拡散/「柴犬(シバイヌ)」でロシアの偽情報と戦うNAFO
 
ウクライナが関与したとされる暗殺 95

ロシア国営テレビ編集長の暗殺計画/プーチン側近の娘を爆殺/ロシアによる暗殺の自作自演の疑い/大統領の暗殺阻止、スパイ網の摘発…ウクライナのカウンターインテリジェンス/クリミア橋の破壊─ウクライナの工作活動

第6章 ウクライナのパルチザン活動 109

カラシニコフの代わりにスマホで戦う 109

パルチザンとゲリラとレジスタンス/ウクライナのパルチザンは数百人/パルチザン活動と教科書/SNSを活用してロシア潜水艦元艦長を殺害
 
ウクライナのサボタージュ活動 118

モスクワ近郊の軍事施設で火災・爆発事故/「破壊工作の背後にはキーウがいる」/ロシアのパルチザン狩り

第7章 ロシアとウクライナのガス紛争 123

ノルドストリーム爆破の経緯 123

パイプラインの損傷は計3か所/男女6人による計画的犯行?
 
誰がノルドストリームを破壊したか? 128

ロシアによる工作活動説──破壊する動機がない/米国による工作活動説──情報源が匿名で疑わしい/可能性の高い「親ウクライナグループ」による工作活動説

第8章 テクノロジーが変える従来型の戦争 135

マッチングアプリによる戦い 135

ウクライナが開発した「大砲のウーバー」/米英情報機関がウクライナをサポート/マッチングアプリで素早く火力を集中
 
ウクライナの携帯電話傍受による攻撃 142

開戦以来、最多のロシア戦死者/ロシア国防省のテレグラムによるコメント/ウクライナ側の発表/被害の状況の評価、ロシア国内での批判/携帯電話の発信から場所を特定する方法/携帯電話の使用制限/なぜ前線で携帯電話の使用はなくならないのか?
 
ロシア軍の高級将校の高い戦死率 151

高級指揮官が前線に出る理由/ロシア軍の指揮統制システムの弱点を突いたウクライナ/スペースX社による通信インフラのサポート
 
ドローンの活用 155

ドローンによる攻撃/米ドローンMQ‐9リーパーの墜落/ドローンで敵兵を降伏させる

第9章 PMC「ワグネル」の実態 166

兵站から情報まで、民間軍事会社が果たす役割 166

ロシア政府がワグネルを利用する理由/ワグネルと情報戦

ワグネル傭兵部隊の戦い 171

エフゲニー・プリゴジンにより創設/ワグネルの由来は作曲家ワーグナー/海外で戦闘経験を積むワグネルの傭兵/ウクライナ戦におけるワグネルの人数と待遇/使い捨てにされるワグネルの傭兵/ワグネル内の「内部統制部隊」/悲惨なワグネルの囚人傭兵
 
エフゲニー・プリゴジンの暗躍と最期 182

プリゴジンの事業とアフリカの関係/プリゴジンのアフリカにおける情報工作/正規軍とプリゴジンの対立/ロシア正規軍を公然と批判/1日で収束したワグネルの反乱=^プリゴジンの自家用ジェット機墜落/自家用ジェット機墜落の原因

第10章 戦争PR会社と情報戦 204

進化する戦争PR会社の戦略 204

国家がPR会社を雇って世論を誘導/戦争プロパガンダの10の法則/湾岸戦争における少女「ナイラの証言」/ボスニア紛争で果たした戦争PR会社の役割
 
ウクライナ情報戦争と戦争PR会社 210

ウクライナのプロパガンダ組織と戦略/PR会社が主導したNS2反対キャンペーン/PR会社がウクライナを支持する理由/戦争広告に対する認識の違い/「世界の半分以上はウクライナを支持していない」

第11章 フェイクニュースを見破る 225

ニューメディア時代の情報戦 225

受け手側が圧倒的に不利/若者のインターネット利用の実態/ティックトック急増とその問題点/日本でもティックトック利用者が急増/情報源がオールドメディアからニューメディアへ移行/フィルターバブル現象とエコーチェンバー現象/仲間内だけで自分たちの主張を強化 

インテリジェンスサイクル 237

情報を格付けする/誤情報は正しい情報より早く伝わる/情報処理の第一段階──個々の情報をふるいにかける/情報処理の第二段階──本格的なチェック/クロノロジーを作成する

第12章 ロシア・ウクライナ情報戦を分析する 255

フェイクニュースに騙されない──「ロシアは日本攻撃を準備していた」の真贋 255

タイトルと内容をチェックする/記事をファクトチェックする/一次資料を確認する/斜め・横・縦読みで情報を精査する/記事情報を格付けする
 
シナリオ分析──「ワグネルの乱後の動向」を読み解く 263

シナリオを列挙する/クロノロジーからシナリオを検証する/シナリオ分析の主眼(不測事態に備える)
 
競合仮説分析──「ノルドストリーム爆破」を読み解く(1)269

複数の仮説を挙げてマトリックスを作成する/マトリックスの作成と評価/実行犯もその黒幕も不明
 
クロノロジー分析──「ノルドストリーム爆破」を読み解く(2)277

ロシアからのガス輸入に関する(西)ドイツの対応/ロシアとウクライナのガス紛争/ロシア天然ガスに依存する欧州に対する米国の懸念/ノルドストリーム建設における各国の意見の相違
 
競合仮説分析とクロノロジー分析による結論 287

蓋然性が高い米国、ウクライナ黒幕説/蓋然性は低いが、影響力の大きな仮説/今後のエネルギー政策が国際情勢に影響を及ぼす

【用語解説】294

【参考文献】307

 おわりに 310

樋口敬祐(ひぐち・けいすけ)
1956年長崎県生まれ。拓殖大学大学院非常勤講師。元防衛省情報本部分析部主任分析官。防衛大学校卒業後、1979年に陸上自衛隊入隊。95年統合幕僚会議事務局(第2幕僚室)勤務以降、情報関係職に従事。陸上自衛隊調査学校情報教官、防衛省情報本部分析部分析官などとして勤務。2011年に再任用となり主任分析官兼分析教官を務める。その間に拓殖大学博士前期課程修了。修士(安全保障)。拓殖大学大学院博士後期課程修了。博士(安全保障)。2020年定年退官(1等陸佐)。著書に『2020年生き残りの戦略』(共著・創成社)、『2021年パワーポリティクスの時代』(共著・創成社)、『インテリジェンス用語事典』(共著・並木書房)などがある。