はじめに(前山一歩・元海自1佐 米海軍兵学校連絡官)
世界で最も情報化社会が進んでいる米国において、外交・安全保障の担い手である米軍は、2010年に『広報に関する統合ドクトリン(JP3-61:Joint Publication 3-61 Public Affairs)』を大幅に改訂した。この改訂版では、広報の位置付けを、それまでの総務・監理のカテゴリーから作戦・運用のカテゴリーに変更している。2015年、2016年には一部内容がアップデートされ、本書はその最新バージョンを全訳したものである。
JP3-61では、次の5原則を示している。
1.事実・真実の公表
2.適時の情報および映像の提供
3.情報源の安全の確保(国家機密に関わる情報の保全義務)
4.一貫した情報提供
5.国防総省が提供する情報の公表
この『JP3-61』の中で興味深いのは、広報においてプロパガンダは実施しないと明記し、積極的に正しい情報や映像を国内や国際社会に発信し、米国の作戦行動に対する理解を促進することで、敵対勢力のプロパガンダの効力を低減させ、国家、戦略、作戦の目標を達成することができると明記していることである。そして、『JP3-61』は、80年以上に及ぶ米軍広報の試行錯誤の結果と情報化社会による社会環境を反映し実用されているドクトリンである。
ところで、『JP3-61』の「3」は米軍において作戦・運用のカテゴリーであることを示している。通常、日本においては企業や官庁、地方自治体などにおける広報は総務・監理系統におかれているのが一般的であるが、米軍は広報を作戦・運用に位置付けている。かつて米軍も総務・監理系統の広報はカテゴライズされていたが、2010年のドクトリン改正時に作戦・運用のカテゴリーに移された。
この背景には、米軍の広報は太平洋戦争以来80年以上にわたり、その時代の社会情勢や技術の進歩に最適解を求め、常に試行錯誤を繰り返してきた歴史を持っており、その集大成である『JP3-61』が作戦・運用のカテゴリーに移動したということは大きなイノベーションが起きた証左であり、世界の潮流に後れをとっている日本は先入観を排して真摯に学ぶことが必要であろう。
日本において広報はPR(Public Relations)といわれているが、ミリタリーの世界ではPA(Public Affairs)とされている。現代戦は、MOOTW(Military Operations Other Than War:戦争ではない軍事行動)やハイブリッド戦と呼ばれる平時の中で情報戦、世論戦、歴史戦、そしてサイバー空間において攻防が行なわれる。すなわち砲弾が飛び交うことなく有事が常在し、社会が認知することのない領域で激しい戦いが起きているのである。
このMOOTWやハイブリッド戦の環境下でし烈なしのぎあいが行なわれる安全保障の分野において、広報はPRの「社会との関係構築」からPAの「社会への積極的関与」という現実的かつ具体的な概念が用いられている。
ハイブリッド戦において平和的に勝利を勝ち取り武力行使を抑止することが、現代のミリタリーにおける重要なミッションであり、「PA」という概念、「目的の達成のために行なう社会への戦略的関与活動」が重要な任務として付与されているのである。
ICT(Information and Communication Technology)時代は、大量の情報が氾濫しておりビックデータの処理、すなわちデータサイエンスのマネジメントが国家や企業の命運を左右する時代になっている。加えて私たちの日常生活に視点を移すとメディアは多様化し、情報の伝達経路は 複雑化・多層化している。
こうした社会環境の変化の中で国民や世論と率直に対話し、理解と信頼を得るためにあらゆる努力をする必要があり、それが民主主義に対する責任であると『JP3-61』では捉えている。
ハーバード大学ケネディスクールの学長を務め知日派として知られる国際政治学者のジョセフ・ナイ(Joseph S. Nye, Jr.)は、情報化時代におけるコミュニケーション戦略の重要性を強調している。すなわち軍事力はハード・パワーのみならず、ソフト・パワーの手段を併せて用いることが必要であり、スマート・パワー戦略には、情報とコミュニケーションの要素を伴わなければならないとしている。 軍事力におけるソフト・パワーの中核を担うのは広報であり、限られた予算とマンパワーの中で防衛力のスマート・パワー化に必要なのは、人間の知性と創造力、そして文化である。
本書は2つのステップから構成されている。まず、ファンダメンタルな知識として、米統合軍のドクトリンである『JP3-61』を具体的に広報活動の計画、実施、評価をするためのドクトリンとして基本事項、役割、責任および機能や能力との関係を紐解き、ICTそしてグローバル化の時代に応じた広報の実践的な戦略と戦術を提示する。そして日本の現状を踏まえながら『JP3-61』をインプリメントし、戦略的な広報の構築について考察していきたい。
なお本書の出典は、“JP3-61, Public Affairs, 17 November 2015 Incorporating Change 1, 19 August 2016 - Epub” である。(https://www.jcs.mil/Portals/36/Documents/Doctrine/pubs/jp3_61.pdf)
目 次
はじめに(前山一歩)1
略語集 12
用語解説 15
第T部 『JP3-61』全訳 17
まえがき(ウィリアム・C・メイヴィル,Jr 米国統合参謀本部長) 18
エクゼクティブサマリー ─指揮官への概要説明 20
概 要 20
責任と連携 23
統合作戦における広報 24
国土防衛作戦における統合広報 26
視聴覚情報(Visual Information)27
結 言 28
第1章 広報(PA)の概要 29
1.イントロダクション 29
2. 広報(PA:Public Affairs)と作戦環境 32
a. 全般概要 32
b. 社会の認識 33
c. 軍事作戦領域にわたる広報 36
3. 広報の役割 37
a. 先任スポークスマンおよびコミュニケーション・アドバイザー 37
b. リーダーへの助言 38
c. 広報・コミュニケーション活動の主導 38
d. 指揮官意図のサポート 38
e. コミュニケーションの統合と調整の主要コーディネーター 39
f. 地域社会と主要なリーダーへの関与支援 39
g. 効果的広報による効果 40
4. 広報の基礎知識 42
a. 情報の原則 42
b. 広報の基本方針 42
c. オーディエンス、ステークホルダー、パブリック 48
d. 計画への影響 49
e. ナラティブ、テーマ、メッセージ 50
5. 広報(PA)と司令官コミュニケーション・シンクロナイゼーション 54
第2章 広報の責任と関係機関 55
1. 概 要 55
2. 責 任 57
a. 国防次官補(広報)57
b. 国防メディア事業局(DMA:Defense Media Activity)57
c. 各軍長官 59
d. 統合参謀本部議長 59
e. 戦闘部隊指揮官(CCDR:Combatant Commander)60
f. 統合軍司令官の隷下 62
g. 統合広報支援部隊(JPASE)司令 63
h. 各軍種部隊および機能別コンポーネント指揮官 63
3. 組織・編制における業務活動の関係 64
a. インテリジェンス(情報)64
b. 視聴覚情報(VI:Visual Information)64
c. 情報作戦(IO:Information Operations)65
d. その他の米政府省庁との調整 68
e. 政府内組織(IGO)およびNGO 69
f. ホスト国(HN)70
g. 多国籍パートナー 70
第3章 統合作戦における広報 71
1. 概 要 71
a. 広報の機能 71
b. 広報の任務 72
c. 検討事項 75
2. 要求事項 76
a. 概 要 76
b. 施 設 77
c. 人 材 77
d. 装備品 78
e. 輸送・移動 79
f. 通 信 80
g. その他の支援 80
3. 計 画 81
a. 概 要 81
b. 広報と統合作戦計画プロセス 81
c. 広報計画の考慮事項 85
d. 具体的な作戦のための広報計画 101
4. 実 施 108
a. 組 織 108
b. 広報管理活動 108
5. アセスメント(評価)109
第4章 ホームランドでの統合広報活動 111
1. 概 要 111
2. 要求事項 113
a. 人 材 113
b. 施 設 113
c. 機 材 113
d. 訓 練 114
3. 計画立案 114
4. 実 行 115
5. 評 価 121
第5章 視聴覚情報(VI)122
1. 概 要 122
2. 情報源 124
3. 計 画 129
4. アセスメント(評価)140
5. 民間当局への防衛支援に関する検討事項 140
6. 取得、機密解除/無害化および派生画像の転送 141
付録A
司令官コミュニケーション・シンクロナイゼーションにおける広報の役割 144
1. 概 要 144
2. 情報伝達における調整の必要性 144
3. 広報の計画立案と司令官コミュニケーション・シンクロナイズゼー
ションプロセス 146
付録B
付属書Fの作成参考要領 148
1. 状 況 148
2. 任 務 149
3. 任務の実施 149
4. 運用管理と後方支援 152
5. 指揮統制 154
付録C 情報公開ガイドライン 155
1. 情報の公開について 155
2. メディアとのディスカッション 157
付録D 国防メディア事業局 161
1. 国防メディア事業局(DMA:Defense Media Activity)161
2. 米軍ラジオ・テレビサービス(AFRTS:American Forces Radio and
Television Service)161
3. 視聴覚情報 162
4. パブリック・ワールドワイド・ウェブサイトの運用 163
5.統合ホームタウン・ニュースサービス(Joint Hometown News
Service)163
6. 最新のソーシャルメディアのトレーニング、教育、テスト 163
7. ブロガー・ファシリテーションサービス 164
8. 広報・視聴覚情報の教育訓練 164
付録E 統合広報支援部隊(JPASE)165
1. 概 要 165
2. 組 織 166
3. オペレーションサポート 166
付録F ソーシャルメディア 172
1. ソーシャルメディア 172
2. ソーシャルメディアを利用する理由 173
3. ポリシーと登録 174
4. ソーシャルメディアに関する基本的な考え方 176
5. ソーシャルメディアのコストとリスク 177
6. ソーシャルメディア・マネジメント 180
7. ソーシャルメディア・プランニング 183
8. 危機管理におけるソーシャルメディア 185
9. 海外広報におけるソーシャルメディア 189
付録G 統合広報訓練 192
1. 概 要 192
2. 情報源 192
付録H JP3-61の主要な関連文書 197
第U部『JP3-61』の活用(前山一歩)199
1. JP3-61の概要 200
2. JP3-61の価値 202
(1)広報の意義と役割 202
(2)広報の5本柱 210
(3)広報組織 213
3. 第6の戦場「認知領域」へのアプローチ 215
(1)広報エキスパートチームの維持と初動対処(JPASE)215
(2)視聴覚情報(VI)コンバットカメラ(COMCAM)219
(3)グローバルスタンダード人材の育成(DINFOS)221
4. ソーシャルメディア時代の広報メソッド 225
(1)マーケティングにおける消費者行動モデル 225
(2)SIPSモデルの可能性 227
5. グローバルICT時代の広報 237
(1)作戦・運用としての広報 238
(2)情報の収集・発信機能 241
(3)課題と挑戦 242
おわりに(前山一歩)244
前山一歩(まえやま・いっぽ)
1966年浦和市生まれ。防衛大学校(管理学)卒。海上自衛隊P-3C/OP-3C/EP-3パイロット。第7航空隊(鹿屋)、第2術科学校外語教官室(英語教官)、統合幕僚事務局第1幕僚室(渉外副官)、米太平洋軍連絡官(ハワイ)、第51航空隊(厚木)、バーレーン防衛駐在官兼米第5艦隊連絡官、産経新聞社研修、海上幕僚監部給与室、第81航空隊(岩国)、統合幕僚監部副報道官、幹部学校教官、アナポリス(米海軍兵学校)連絡官、2022年5月に1等海佐で定年退職。慶応義塾大学大学院法学研究科政治学専攻ジャーナリズム専修(修士)。現在は株式会社IMマネジメントジャパンを設立し代表取締役社長。
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