はじめに
先の大戦では、想像を絶する膨大な商船が戦没し、大勢の船員、兵士、便乗者が犠牲となった。
しかし、戦没船の大多数は、昭和一八年から終戦の二〇年八月までのもので、特に敵の兵器と物量が飛躍的に向上した昭和一九年からは、潜水艦による雷撃、飛行機による空爆も一方的で、目を覆いたくなる商船犠牲が続出するのである。
これに反して昭和一七年までは、南方航路も比較的安定していたし、作戦従事船以外の犠牲は少なかったのだ。それは昭和一七年一二月までに戦没した商船が、全体の一割であることが証明している。
このような戦争前期に「報国丸」は、姉妹船「愛国丸」とともに太平洋、インド洋へと進出、大活躍をするのである。
ところが、この優勢な時期、制海権を有していたともいえるインド洋で、「報国丸」は戦没したのである。それは、どの本でも「不運にも敵弾が命中、搭載魚雷が誘爆し沈没した」という表現で最期を語っている。
さらに「報国丸」の悲劇は、徴用輸送船と同様、あたかも非力な商船として一律に取り扱われ、次々と出てくる甚大な喪失船舶の中に埋没してしまったことである。
そして、軍艦の海戦史と違い、誰にも知られず触れられず一顧だにされずに現在まできたのである。
しかし、考えれば、この戦没は不自然で到底納得できるものではないのだ。
なぜなら歴史が示す通り第二次世界大戦は、総力と物量の戦いであって、その圧倒的戦力差によって、日本が敗戦国となったのは周知のとおりである。したがってこの原則から見れば「報国丸」が出会った相手はあまりにもひ弱≠ナ、その歴然たる武力の差から、沈むべきは敵艦船であったのは間違いないからだ。
この不可解さに、筆者は長年こだわって、真実を追求していったのである。
しかし、この遭遇戦に関する書物は極端に少なく、しかも大雑把なうえ誤謬も多く、また虚実が混在し、たいへんな苦労と時間を要した。しかし内外の資料を拾い集めつなぎ合わせていくうちに、ついに真相に迫ることができた。そこには明らかに隠された部分があったのである。
そして、これは小説でもフィクションでもない実録の再現≠ニなった。
「報国丸」の全貌は、その時代背景を抜きにして語ることはできず、建造から就航、徴用、活躍、沈没までを世界の動向と戦争の進展にからめながら経過をたどっていった。
戦後生まれといわれた世代も、戦争体験者の声を幾度となく聞いたにもかかわらず、気にもかけず何もせず、いつの間にか高齢となりそれらを忘れ去ろうとしている。
今ここで語っておかなければ、真実は永遠に歴史の中に消え去るであろうとの思いで執筆した次第である。
二〇二三年二月
森永孝昭
目 次
はじめに 1
〈商船編〉11
第一章 建 造 12
建造助成施設 12
東京オリンピック1940/海軍の構想
船台建造 17
建造組立/船の大きさ
進 水 24
進水準備/進水浮上
艤装工事 34
海軍の要求/居住区/機関室
海上試運転 44
播磨灘/マイル:海里
第二章 就 航 53
処女航海 53
大連:満洲への入口
アフリカ航路 59
アジア寄港地/アフリカ訪問/南米到着
西回り帰国 76
パナマ運河/太平洋
海軍指定 83
大連航路/英国の不思議な抗議
海軍徴用 88
改修工事
〈軍艦編〉93
第三章 武装商船 94
商船改造 94
兵装/貨物倉/居住区
特設巡洋艦 99
特設艦船
艦長赴任 103
藍原有孝大佐/海上確認運転/ゾルゲ事件
艦隊編入 112
第二四戦隊/戦隊司令部
世界の動き 120
米国世論と日本世相/日米の軍艦増強
第四章 南太平洋作戦 125
針路南東 125
出港/女装訓練/ヤルート島
対米開戦 136
赤道通過/開戦
ビンセント号 145
索敵/発見/攻撃/収容
マラマ号 155
昭和一七年元旦/偶然の発見/水偵の攻撃/終焉
日本帰投 167
作戦完了/臨検キム号/捕虜下船/帰投報告
第五章 呉軍港 177
作戦の推移 177
戦争拡大/次期作戦
第八潜水戦隊 180
割れる作戦構想/大海指第六〇号と回航班/甲標
的:特型格納筒
武装強化 191
砲の交換/迷彩塗装/魚雷格納庫と新型偵察機/
海上訓練/甲先遣支隊
第六章 インド洋作戦 201
作戦始動 201
呉出撃/ペナン島基地/躍進のインド洋
ヘノタ号 209
追跡/拿捕/ペナン回航
ディエゴスワレス港 220
潜水艦による索敵/発進と攻撃/攻撃隊員の謎
エリシア号 230
通商破壊戦開始/商船発見
洋上会合 238
洋上補給/イ30潜水艦の任務/ココス島
ハウラキ号 246
戦利品/臨検/難航海
第七章 陸軍緊急輸送 257
シンガポール 257
セレター軍港/武装増強/偽装煙突
艦長交代 268
新艦長赴任/引継ぎ/入渠工事
ガダルカナル島の危機 275
飛行場建設/米軍上陸/緊急任務
第三八師団 285
陸軍部隊乗船/ラバウルへ
第八章 絶好の戦機 293
出撃、インド洋 293
出撃準備と協議/二度目のインド洋/運命の二隻
オンディナ号 300
会敵/砲撃開始/降伏船/発砲、被弾
愛国丸の復讐 317
敵船追撃/報国丸乗員救助
第九章 検証と考察 323
砲戦の疑問 323
日本と外国の記述/ベンガルの報告とオンディナ
号の主張/ベンガルとの圧倒的戦力差/オンディ
ナ号の発砲距離
異常接近の謎 333
異常接近の根拠/愛国丸を戦犯起訴しなかった理由
被弾箇所 338
箇所の特定/謎の一弾
終章 事後顛末 344
その後 344
各艦船と報国丸乗員/拿捕船その後/乗員捕虜の
行方
総 括 350
参考文献 353
おわりに 357
森永孝昭(もりなが・たかあき)
1949年長崎県佐世保市生まれ。1972年長崎大学水産学部卒業後、神戸・広海汽船入社、航海士として14隻の外国航路船で勤務。1982年甲種船長免状(現:1級海技士)取得。1983年佐世保重工業株式会社入社、ドックマスターとして勤務、2009年定年。常勤嘱託を経て2020年非常勤嘱託ドックマスターとなり現在に至る。その間、大型貨物船はじめVLCCタンカー等の新造船244隻の試運転船船長を務める。また貨物船、タンカー、自衛艦、米艦、客船、フェリー、特殊船等の離接岸、入出渠時の操船実績は延べ6467隻となる。現在、一般財団法人日本船渠長協会会員。過去の外部委嘱等は西部海難防止協会専門委員、佐世保水先人会監事。 |