はじめに
ビジネス界を中心に「状況判断力」の強化を求める声が高まっている。民間アンケート調査でも、状況判断力は「仕事で必要なスキル」の上位を占めている。
状況判断とは、「周囲の状況を判断して、最良の行動方針を選定する」ことで、「意思決定」とほぼ同義である。
インターネットを検索すれば、状況判断力(あるいは判断力)を高める手段がいくつも紹介されている。「やるべき事項の把握」「明確な目標の設定」「人の意見をよく聞く」「決断や失敗を恐れない」「客観的な視点を持つ」「固定観念を持たない」……。これらに異論はないが、「判断力」を「分析力」「決断力」に置き換えても通用しそうなことばかりで、これだけでは具体的に何をしたらいいのかわからない。
現代社会は、先行きが不透明で将来予測が困難な「VUCA時代」と呼ばれている。
そんな変化の激しい環境で迅速に意思決定するツールとして「OODAループ」が注目されている。
OODAは、一九八〇年代末に米海兵隊がドクトリンとして採用し、その後、米陸海空軍も採り入れて米国のビジネス界にも広く浸透している。
?新しいもの好き?の日本人も、「OODAは従来の意思決定法に取って代わる」として飛びつく傾向にある。
米軍がOODAを採用する以前は「Estimate of the Situation」(論理的意思決定法、以下「米軍式意思決定法」と記述)を採用していた。自衛隊もこの「米軍式意思決定法」を採り入れている(自衛隊は「状況判断」と訳出)。
ここで誤解しないでほしい。米軍は「米軍式意思決定法」を捨てて「OODA」を採用したわけではない。環境の変化や時代の経過にともなって、「米軍式意思決定法」だけでは対応できない領域が増え、それを補完するために「OODA」を採用したのである。
従来の「米軍式意思決定法」は作戦開始前の全般作戦計画などを作成する場合に用い、「OODA」は作戦開始後の現場での作戦や戦闘での状況判断や行動ツールとして活用している。
つまり「OODA」を使いこなすには、それ以前に軍隊やビジネス界で使用されていた「米軍式意思決定法」とあわせて理解しなければならないのである。
「米軍式意思決定法」は、幕僚(スタッフ)参加型の論理的思考法(分析的思考法)である。組織が共通の目的や目標に向かって協調して進む、先入観による判断ミスを低減するなど多くの利点がある。そのため、ビジネス界では、企業の経営理念や戦略、中長期プランの作成など、時間をかけて綿密に検討する案件に有効である。
この「米軍式意思決定法」の利点を認識したうえで、現場対応型の「OODA」を活用することが重要なのである。
本書は、「米軍式意思決定法」と「OODA」を使い分けながら最良の状況判断するために、まず両ツールの具体的な内容を平易に解説する。
次に、状況判断力を高めるため、「組織マネジメントのあり方」「インテリジェンスの活用」「高速化するための留意事項」「思考力や直観力の養成」など、より具体的な「問い」を設定して、両ツールの活用法をマスターしていく。
さらに「状況判断力」が実際にどう使われたか、その「歴史的事例」をコラム形式で紹介する。これにより状況判断のイメージがより具体的になるだろう。
読者の皆様が、本書を活用して「状況判断力」を身に着けていただければと思う。
目 次
はじめに 1
第1章 状況判断とは何か? 13
1 一般用語としての「状況判断」13
状況判断力は思考力である/状況判断と情勢判断
2 軍隊における「状況判断」18
旧軍の戦術教範が定義する「状況判断」/自衛隊での「状況判断」の定義
3 状況判断と「決断」「決心」21
判断と決断との違い/軍事での状況判断と決心
第2章 実戦で鍛えられた米軍式意思決定法 24
1「米軍式意思決定法」の概要 24
米軍の「論理的思考法」マニュアル化/米軍のマニュアルによる思考方法の可視化/
米軍式意思決定法の手順
2 すべては「任務分析」から始まる(第一段階)31
「任務分析」とは何か/上級指揮官の意図を洞察する/任務の具体化と目標の明確化
3 状況の把握と彼我の行動方針の見積り(第二段階)36
状況の把握/相対的戦闘力の算定/敵の可能行動の列挙と分析/我の行動方針の列挙
4 行動方針の分析・比較の手法(第三、四段階)46
ウォーゲームを用いた各行動方針の分析/比較要因の案出と軽重の判断
5 結論から「決心」への移行(第五段階)48
6「米軍式意思決定法」の利点と欠点 50
第3章 新たな意思決定法「OODA」54
1「OODAループ」の登場 54
米軍が「OODA」を確立した経緯と背景/ボイドが着目したドイツの機動戦/ビジネス界で
も注目されるOODA/OODAがビジネスの機会と行動をスピード化する
2「OODAループ」とは何か 61
OODAの四つのループ/OODAを可能とする組織文化/OODAの特質
3 OODAを迅速かつ適切に回転させる 69
負の循環ループに陥るのを避ける/相互信頼と暗黙的コミュニュケーション/「方向性
の判断」をマニュアル化する/OODAの限界
第4章 状況判断力を高めるマネジメント 76
1 求められるマネジメント力 76
軍隊での統率に学ぶ/自律分散型の組織体制/マネージャーの責任と勇気/「手続的正
義」を尽くして決断する/「失敗に学ぶ」組織をつくる
2 焦点と方向性を確立する 88
ビジョンとミッション/ビジョンを共有する/ミッションを付与する
3 インテリジェンス重視の組織風土 93
インテリジェンス・サイクルを回す/情報活動での留意点/情報と行動との一体化/
組織の中でIDAサイクルを回す
4 目的と目標を確立する 108
目的と目標の重要性を理解する/まず目的、次いで目標を確立する/目的と目標を混同
しない
5 任務(ミッション)を理解する 115
任務を基礎に状況判断する/ミッションを双方向で理解する/ミッションの付与で意図
を周知徹底する/目標の整合性を確認する
6 戦略を構築する 125
戦略判断と戦術判断を一体化させる/「オーバープランニング」の回避/戦略シナリオ
を作成する
第5章 状況把握の要点 130
1 状況の特質を炙り出す 130
環境、敵、我を知る/「アウトサイド・イン」思考を活用する/フレームワーク分析を
活用する/状況の変化を捉える/地政学・地経学・地技学で見る
2 戦力バランスを算定する 141
要時・要点での優越を図る/企業のケイパビリティとコアコンピタンスを見る/米国家
情報会議の国力算定では「環境」を重視
第6章 可能オプションと行動オプション 149
1 相手の能力と意図を判断する 149
能力判断に意図判断を重ねる/制約要因や弱点を探る/能力判断の要点を押さえる/意
図判断の要点を押さえる
2 兆候と妥当性から可能オプションを見積る 158
兆候の重要性を認識する/兆候リストを作成する/妥当性で判断する
3 シミュレーションとゲーム理論を理解する 164
対抗シミュレーション/ゲーム理論の活用/米中関係は「囚人のジレンマ」
4 行動オプション選定の判断基準を持つ 171
三つの尺度(整合性、実行可能性、受容性)/日本海海戦と三つの尺度
第7章 直観とセンスを養う 182
センスや直観は鍛えられるか?/直観は科学的に説明できる/センスやスキルを言語化する/優れた状況判断は平素からの修練の賜物
コラム@スターリンを動かしたゾルゲの情勢判断 16
コラムA徳川家康による相対的戦闘力の算定 39
コラムB計画に適合するよう状況を作れ──パットン将軍 52
コラムCロスチャイルドが示した「情報は力なり」97
コラムD織田信長の状況判断と行動の一体化 102
コラムE豊臣秀吉の天下統一は正しい目的と目標の設定にあった 113
コラムFミッドウェー作戦の失敗の本質118
コラムG陸軍省戦争経済研究班(秋丸機関)のバイアスと忖度 156
コラムH堀少佐は妥当性の尺度で米軍の行動を正しく予測した 163
コラム?総力戦研究所の対抗シミュレーションは日本の敗戦を予測した 170
実践編 ウクライナ戦争を状況判断する 191
【ウクライナ戦争の長期化を予測】193
【深刻な影響を与えるエネルギー、食糧危機】195
【天然ガスの調達が焦点】195
【サハリンプロジェクト問題の勃発】197
【日本にとってのサハリン2の重要性】198
【任務分析】199
【ロシアの可能オプション】200
【日本の行動オプションの分析】203
【我が行動オプションの比較】206
主な参考文献 217
おわりに 220
上田篤盛(うえだ・あつもり)
1960年広島県生まれ。株式会社ラック「ナショナルセキュリティ研究所」シニアコンサルタント。元防衛省情報分析官。防衛大学校(国際関係論)卒業後、1984年に陸上自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調査学校の語学課程に入校以降、情報関係職に従事。92年から95年にかけて在バングラデシュ日本国大使館において警備官として勤務し、危機管理、邦人安全対策などを担当。帰国後、調査学校教官をへて戦略情報課程および総合情報課程を履修。その後、防衛省情報分析官および陸上自衛隊情報教官などとして勤務。2015年定年退官。現在、軍事アナリストとして活躍。著書に『中国軍事用語事典(共著)』(蒼蒼社)、『戦略的インテリジェンス入門』『中国が仕掛けるインテリジェンス戦争』『中国戦略“悪”の教科書』『情報戦と女性スパイ』』『情報分析官が見た陸軍中野学校』『インテリジェンス用語事典(共著)』(いずれも並木書房)』、『未来予測入門』(講談社)、『超一流諜報員の頭の回転が速くなるダークスキル』(ワニブックス)など多数。 |