おわりに──熊本地震で被害を受けた熊本城への思いを込めて
平成二八(二〇一六)年四月一四日(マグニチュード六・五)、一六日(マグニチュード七・三)と二度にわたり震度七の地震が熊本地方を襲った。
熊本のシンボルである熊本城(熊本県熊本市)も天守や重要文化財の櫓や石垣に大きな被害がでたことは記憶に新しいところだ。熊本城総合事務所によると、熊本城の被害額は六三四億円。熊本出身の私は、変わり果てた熊本城の姿にすごくショックを受けている。とくに天守の姿は、見るに堪えない状態だ。
熊本城が地震によって被害を受けたのは、今回だけではない。一二七年前の明治二二(一八八九)年七月二八日に起きたマグニチュード六・三(震度不明)の「明治の熊本地震」のときにも、石垣などに大きな被害がでた。
熊本市は一一月一日、「明治熊本地震」で石垣などが崩壊した熊本城の被災状況を旧日本陸軍が明治天皇に報告した史料の一部を公開した。今回の地震で被害が確認された箇所と七七・一パーセントが重複しているという。史料は破損した場所と被害面積を記した毛筆の文書と、カラーの絵図で、宮内庁書陵部宮内公文書館(東京)に保管されていた(「西日本新聞」平成二八年一一月一日付夕刊)。
地震が起きるまでは、最近の歴史ブームや城ガールの登場もあり、多くの観光客が熊本城を訪れていた。私も小さいときに両親に連れられて行ったり、学校の遠足やスケッチ大会などでも行ったものだ。
熊本城は築城の名手とうたわれた加藤清正によって築かれた難攻不落の堅固な城だった。日本全国には数多くの城が築かれたが、熊本城は一大名の築いた城のなかでは最大規模の城であり、熊本城の外周を歩いてみると、堅固な城であったことを実感することができる。また、清正は熊本ではいまだに「清正公」という呼び名で愛されている。
明治一〇(一八七七)年の西南戦争では、西郷(隆盛)軍は一万三〇〇〇人の兵力と六〇門の大砲を持って熊本城を攻めた。一方の熊本城を守る官軍(明治政府軍)は、谷干城率いる三四〇〇人の鎮台兵で、大砲の数も西郷軍の半分以下であった。
西郷軍は五〇日余にわたって城を攻めたが、城はびくともせず、誰一人として城内に侵入することができず、撤退を余儀なくされる。
本文でも説明した「武者返し」が実戦で如何なく発揮されたのは、意外にも築城から二七〇年を過ぎた西南戦争のときだった。
西郷は終焉の地である鹿児島の城山で「私は官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ」という言葉をつぶやいたともいわれている。
ただ、西郷軍が総攻撃を仕掛ける三日前、原因不明の出火によって、熊本城の大天守と小天守など本丸部分のほとんどを焼失した。今回の熊本地震で被害を受けた天守は、昭和三五(一九六〇)年に外観復元されたものだ。
熊本城は地震によって天守が被害を受けたが、大東亜戦争では、名古屋城(愛知県名古屋市)、岡山城(岡山県岡山市)、福山城(広島県福山市)、和歌山城(和歌山県和歌山市)などが、米軍の空襲により天守を焼失した。広島城(広島県広島市)にいたっては、原爆投下により焼失している。これらの天守も、昭和三〇年代から四〇年代にかけて再建されている。
熊本城の完全な修復には、崩れ落ちた石や木材を再利用して進めなければならず、二〇年以上かかるといわれているが、天守は城のシンボルであり、まずは天守の再建が待ち遠しい。熊本の人たちも、私の気持ちと同じだと思う。
一方、明治の廃城令や戦災等を免れ、築城当時の姿を残している現存天守が聳える城は日本全国に一二カ所ある。
弘前城(青森県弘前市)・松本城(長野県松本市)・丸岡城(福井県坂井市)・犬山城(愛知県犬山市)、彦根城(滋賀県彦根市)・姫路城(兵庫県姫路市)・備中松山城(岡山県高梁市)・松江城(島根県松江市)・伊予松山城(愛媛県松山市)宇和島城(愛媛県宇和島市)・高知城(高知県高知市)・丸亀城(香川県丸亀市)だ。
これらの現存天守は、日本を代表する歴史遺産だと私は思う。とくに私は松本城と伊予松山城の現存天守が大好きだ。
ところで、名城の定義というものはあるのだろうか。当然、私は地震で大きな被害を受けた熊本城も名城だと思っているが、人それぞれ好みによって名城の定義は違ってくるだろう。他人に自分の好みを強制するつもりはないし、自分が名城と思う城が名城なのではないだろうか。
私は夕刊フジに「名城と女」を連載する前は、「探訪 日本の名城」を同紙に連載していた。この連載も『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅』(青林堂)というタイトルで上下巻に分けてすでに出版している。本書を読んだ後、この二冊もあわせて読んでもらえれば、より一層、城をめぐるときの楽しみが増してくると思う。
また現在も、夕刊フジに「名城と事件」を連載中だ。
本書は歴史学者が書いた城の本ではない。子供のころから城が大好きで、カメラ片手に日本全国の城に出かけて行く城郭研究家が書いた一冊であることを、ご理解いただきながら最後まで読んでもらえれば大変光栄である。
濱口和久
濱口 和久(はまぐち・かずひさ)
昭和43年10月14日、熊本県菊池市生まれ。熊本県立菊池高校卒。防衛大学校(37期)材料物性工学科卒。防衛庁陸上自衛隊第3施設群、日本政策研究センター研究員、栃木市首席政策監、國學院栃木短大講師、拓殖大学日本文化研究所客員教授などを経て、現在は防災・危機管理教育アドバイザー、拓殖大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター副センター長(客員教授)、一般財団法人防災教育推進協会常務理事・事務局長を務める。平成17年には領土問題への取り組みが評価され、日本青年会議所第19回人間力大賞「会頭特別賞」を受賞。主な著書として『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)、『思城居(おもしろい)男はなぜ城を築くのか』(東京コラボ)、『だれが日本の領土を守るのか?』(たちばな出版)、『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)、『日本の命運 歴史に学ぶ40の危機管理』(育鵬社)などがある。夕刊フジに「名城と事件」を連載中。 |