訳者あとがき 加藤 喬
二〇一四年師走『チューズデーに逢うまで』の翻訳が最終段階にかかった頃だった。著者ルイス・カルロス・モンタバン元大尉と介助犬チューズデーがはるばるニューヨークからカリフォルニアにやって来た。一カ月ほどかけて州内をまわり、PTSDや介助犬に関する講演をするためだった。ぜひ会いたいと連絡するとすぐ快諾してくれた。同じ元米陸軍大尉という経歴を持つ筆者に仲間意識を感じていたのだという。
その日、コンビはサンフランシスコ近郊の介助犬訓練学校の卒業式に基調演説者として招かれていた。ここはサービスドッグの養成と同時に訓練師の教育やイヌ科動物の研究も行なっている単科大学で、この種の学術機関としては世界でもほかに類を見ない。学校付近の気候は冬も温暖。なだらかな丘を遠望するキャンパスには草原の趣がある。開放的で介助犬の調教には理想的だと思われた。早めに着いて会場を探していた僕の目の前に、偶然ルイスの車が駐まった。陸軍の青い礼服に身を包んだ元大尉が杖を手にゆっくり現れる。見上げるような偉丈夫に続き、黄金色の介助犬が軽やかに降り立つ。
「モンタバン大尉、やあチューズデー!」
「タカシ!」
間近で見るルイスの目は、翻訳やメールのやり取りを通して想像していたよりずっと穏やかで優しく見えた。チューズデーは主人の脇にピタリと寄り添って命令を待っている。その忠実で利口そうな顔立ちに、僕は思わず相好を崩した。ただのペットとサービスドッグでは、やはりしつけと訓練のレベルが違う。
「チューズデー、ご挨拶しなさい」
そう言われてはじめて、体調一メートル以上はあろうかという大型犬が僕の足に体をこすりつけてきた。光沢を宿す毛並みを撫でてくれと言わんばかりの仕草だった。本書に描かれた通り、社交好きの癒し犬だった。
チューズデーとの癒しの六年を経たこの日、ルイスの目には警戒も緊張も感じられなかった。このノンフィクションの中核にあるPTSDは日本語にすると心的外傷後ストレス障害。生命を脅かすような体験で心に傷を受け、時間が経ってからもその出来事に対して強い恐怖心とストレスを感じるものだ。アドレナリン分泌で起こる闘争・逃走反応が慢性的に続く状態だとも言われ、過剰警戒心や不安、不眠症、記憶障害、フラッシュバックなどの症状が患者の社会生活を妨げる。イラク戦争のトラウマが引き金になってルイスが発病したのがこれだった。除隊後も戦場追体験は頻繁に起こり、マンハッタンの街なかに狙撃兵や自爆テロ犯の幻影を見てはおびえた。当時、大尉の目つきは始終警戒怠りなく、人々に向けられる視線も異様に鋭かった。本書には、そんな彼を隣人たちは不気味に感じ気圧されていたようだとある。
会場の講堂では車椅子姿の復員兵たちと彼らの介助犬が目を引いた。年格好から、しばらく前の卒業生・卒業犬コンビのように思われた。廊下に犬と控える若い男女は調教科の学生らしくボールや靴、杖などの小道具を持っている。幼犬を連れた人たちは訓練前の数カ月間、介助犬を自宅で世話する地元ボランティアだろう。ネクタイやドレス姿の一団が卒業する介助犬たちの受領者だ。戦傷復員兵や元警察官だとパンフレットに紹介されていた。
進行係との打ち合わせを終えたルイスとチューズデーが僕を見つけ、隣に座った。しばらく話ができるかと期待したが、たちまちベストセラー作家のサインを求める列ができてしまった。読者の対応で忙しい主人は安全だと思ったのか、チューズデーは僕の靴の上にドサッとうつ伏せになって目を閉じた。足元のセラピー犬には心身を鎮める何かが確かにあった。
訓練中の見習い介助犬が電気を点けたり冷蔵庫を開けたりするデモンストレーションで会場を沸かせたあと、いよいよルイスがステージに向かう。一歩後ろにチューズデーが付き従う。その儀仗兵を思わせる正確な歩調に会場から盛んな拍手が湧いた。マイクを片手にルイスが話し始める。生い立ちはキューバ系アメリカ人。経済学者の父とビジネスウーマンの母を持つインテリ一家に生まれたが、高校卒業と同時に陸軍に入隊。その後の一〇年あまりを歩兵や憲兵として過ごした。二〇〇三年九月、陸軍第三機甲連隊の一員としてイラクに赴く。不屈の闘志と勇敢さからターミネーターの異名をとると同時に、部下の面倒を誰よりよく見る小隊長として慕われた。シリアとイラク国境で密輸取り締まりなどを遂行中、民間人に紛れ込んだテロリストたちに襲われ九死に一生を得た。部下を残し本国に医療送還されることを恐れ、搬送先の野戦病院では病状を伏せた。ほどなく最前線に復帰したが、この暗殺未遂事件で外傷性脳損傷(TBI)と脊椎損傷を負っていた。二〇〇五年三月、慢性のめまいと激しい頭痛・腰痛をおして二度目のイラク派遣に志願。悪名高い死の三角地帯に赴き、イラク治安部隊との調整任務などに従事した。二〇〇六年に帰国後は、ジョージア州ベニング基地で新米歩兵少尉たちの士官基礎訓練を担当するもPTSDを発病し、まもなく心身消耗状態に陥る。名誉除隊を余儀なくされたのは、同時多発テロから六年後の二〇〇七年九月十一日のことだった。
戦傷復員兵となって帰宅した息子の「見えない傷」を父親は理解できなかった。尊敬し愛する父にPTSDを詐病と決めつけられた時の怒りと悲しみ。身動きひとつできない激しい偏頭痛から逃れるため、気を失うまで酒をあおり続けた日々。傷痍軍人の窮状を無視する退役軍人病院や政府に対する憤り。そしてついには、泥酔したまま目覚めないよう願った。追い詰められていった日々を淡々と語る大尉の言葉に、静まり返った会場には目頭を押さえる人々も見られた。ステージのチューズデーは、観衆とルイスの間に視線を行き来させ主人を思いやる。類まれな絆で結ばれた人と犬の愛と献身が、見守る僕たちを温かく包んでいった
舞台に現れるや聴衆を魅了したチューズデーは、介助犬になるべく交配された純血種ゴールデンレトリバー。幼犬の頃、訓練のため「鉄格子の中の仔犬」プログラムに委ねられた。服役囚が仔犬を介助犬に育て上げる過程で社会貢献を学び、更生の一助とするユニークなプロジェクトだった。チューズデーは障害者に代わってドアを開け、電気を点け、杖や靴を取ってくることをマスターした。主人の横に付いて階段の昇り降りを助け、PTSDのフラッシュバックやパニック発作を感じとって警告する介助犬に成長した。しかし独房で寝起きをともにしたトレーナーたちはいつも絆が強くなった頃、移送や仮釈放でチューズデーの元を去っていった。何度もひとりぼっちになったチューズデーは見捨てられたと思い込み、人に対し固く心を閉ざしてしまう。
やがて心に傷を持つこの似た者どうしがコンビを組むことになった。チューズデーとルイスは、それぞれの傷を認め、立ち直っていくことで、介助犬と主人の関係を超えた親友、兄弟、そして戦友となっていく。
将来に希望を持ち始めたルイスに差別の壁が立ちはだかる。リハビリと自立を助ける介助犬の存在そのものが新たなストレスになるというジレンマだ。「下半身不随の障害者に車椅子が欠かせないように、PTSDを患う僕はどこに行くにもサービスドッグが必要なんだ」必死の懇願にもかかわらず、チューズデー同伴のルイスは市バスの乗車を断られる。コンビニで入店を拒否され、レストランでは文字通り放り出される。しかし最良のパートナーとなったチューズデーとルイスは逆境に怯まず、PTSDの啓蒙運動や障害者と介助犬の権利擁護に生き甲斐を見いだしていく。
人と犬の間に生まれた愛と信頼、そして傷ついた二つの魂が癒やされていく過程を克明に描いた『チューズデーに逢うまで』は二〇一一年に出版されるや、三年連続でニューヨーク・タイムズのベストセラー入りを果たした。本書のほか、すでにスペイン語、韓国語、ハンガリー語、タイ語にも翻訳されている。ハリウッドでは映画化の話もある。
本書の翻訳に携わった一年あまり、筆者は著者のルイスと緊密に連絡を取り合ってきた。PTSDについては、日本の読者により実態が伝わるよう表現上の助言をもらった。また、比喩として多用されている米国テレビ番組の登場人物についても同様の配慮を得た。
先日、モンタバン大尉から日本の読者の方々に宛てたメッセージが届いた。最後にこれを記して「訳者あとがき」を終えたい。
『チューズデーに逢うまで』は、現役将兵、戦傷復員兵とその家族、そのほかの障害者の力になりたいという願いをこめて書いたものです。これらの人々が日常的に体験する困難や差別をぜひ日本の読者のみなさんにも知ってもらいたいと願っています。
チューズデーと私は、日本語版の出版を心よりうれしくまた誇りに思っています。将来日本を訪れ、私が経験したPTSDの現実やトラウマから回復したプロセス、そして動物介在療法などについてお話しできる日がくることを心待ちにしています。
友情と希望の光をこめて ルイス&チューズデー
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