目 次
推薦の辞――『二つの祖国を生きた台湾少年工』
この事実を多くの日本人に知ってもらいたい 1
李 登 輝
(元台湾総統)
第一章 期待に応えた台湾少年工 11
台湾少年工が日本本土へ向かった頃の戦況 11
厳しい選抜試験に合格して日本に向かった少年工 15
台湾少年工は見事に期待に応えた 20
最後まで勇敢に戦った台湾少年工 23
第二章 宿命のリーダー――李雪峰物語 31
日本人指導工員のいじめに反撃 31
歯痛で命拾いした派遣先の名古屋 34
台湾少年工を執拗に追いかけるB29爆撃機 39
死を覚悟した大音響の瞬間 42
敗戦の混乱の中から立ち上げた台湾省民自治会 43
一変していた故郷台湾 47
危機一髪で敵の懐「上海」へ逃れる 50
密告が奨励された白色テロの時代 52
戦没少年工慰霊碑建立に一筋の光を見た 53
偶然が重なって始まった第二の故郷との交流 56
台湾民主化と日台交流をライフワークに 62
第三章 最後まで欠かさなかった恩師の墓参り――宋定國物語 64
成田空港から墓苑に直行 64
「先生、授業料が払えません」 67
働きながら通った夜間中学 69
向学心に燃え日本本土へ 72
期待されて「紫電改」整備員に 75
B29爆撃機による甲府大空襲 77
猛火から守った甲府市役所のトラック 79
変わり果てた故郷台湾 81
教師として再出発 85
日本の近現代史を正しく理解する教材として 88
第四章 健気に戦う少年工に日本人は優しかった――方錫義物語 91
航空技師を夢見て渡った日本本土 91
東洋一の第二一空廠へ派遣される 93
半日の爆撃で壊滅した東洋一の工廠 96
蒲田で再び大空襲に遭遇 99
悪魔のような米軍の戦術 103
黒煙の中、犬に助けられた 104
帰郷した台湾で見た国民党政府の腐敗 107
愛河に飛び込んで助かった命 108
豊かで平和な国になった台湾と第一空廠殉職者慰霊祭 111
親切にしてくれた日本本土の人たち 112
永年抱いていた謎が解けた 116
第五章 日本を愛した台湾万葉歌人――洪坤山物語 119
「大和村なる少年期の日」 119
航空機技師への夢 121
銃爆撃下必死の部品調達 122
二・二八事件で進学を断念 124
「中華社会」での悪戦苦闘 126
大陸進出と引き換えに得た難病 128
二つの祖国への思い 130
第六章 来世はぜひ日本人として生まれたい――黄茂己物語 138
日本の統治を高く評価していた父親 138
少年工の兄貴分として日本へ 142
昼は中隊長、夜は寮長 144
終戦の日直前の悲しい犠牲 147
敗戦の日の複雑な思い 151
白色テロの恐怖と重なった教職時代 153
私利私欲でなく公共に尽くす教育を実践 157
日本から舞い込んだ講演依頼 159
遠い台湾から呼んでミスキャスト呼ばわり 163
中国韓国は自虐史観に悪乗りするが台湾は逆 164
第七章 ビジネスと政治の世界で成功した少年工――何春樹物語 169
故郷とのつらい別れ 169
爆撃の恐怖 174
敗戦、そして帰国へ 178
進学を断念し実業の世界で成功 179
「党外の人間」として政治の世界へ 183
第八章 心洗われる台湾日本語世代の考え方 191
偶然が重なった半世紀ぶりの再会 191
私たちだけ苦労したなら恨みもしますが 194
餓死者も出さなかった日本がなぜ北朝鮮に謝罪するのか 199
大和正也大尉への四〇年ぶりの礼状 202
第九章 台湾少年工よ、永遠なれ――「台湾高座会留日七〇周年歓迎大会」への取り組み 209
訪日要請を快諾してくれた李登輝元台湾総統 210
歓迎大会会長は森喜朗元総理と決定 214
多士済々の台湾高座会 221
若い世代も参加する全国的な歓迎体制 224
石川公弘(いしかわ・きみひろ)
昭和9年生れ。昭和18年小学校長から海軍工廠寄宿舎舎監に転じた父と大和へ。早大大学院商学研究科修士課程卒、経営教育に従事、東経大講師、日本ビジネスペンスクール取締役を兼務しながら、大和市議会議員を28年務める。市議会議長時代に元台湾少年工と再会、台湾高座会留日50年、60年、70年歓迎実行委員長。高座日台交流の会会長、日本李登輝友の会常務理事、日台稲門会顧問、著書に『過密の中の軍事基地』、共著に『台湾少年工と第二の故郷』がある。
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