あとがき
政治の混迷と不信が叫ばれて久しいですが、その原因は一体どこにあるのでしょうか? 私は、ポピュリズム(大衆主義)とニヒリズム(虚無主義)が、今日の日本政治を蝕んでいると思っています。
ポピュリズムとは、「大衆の個人的利益や私的願望に対し、政治家が正論やあるべき姿を示すことを避け、体制批判や権力批判を繰り返す政治姿勢」のことです。
維新の会の代表でもある橋下大阪市長は、くしくも「ふわっとした民意」と表現しましたが、大衆が関心の高いこと・望んでいることと、政治が今なさねばならぬこと・訴えねばならぬことは、常に同一とは限りません。ふわっとした民意を実現させるための政治ばかりをやっていたら、国家は破綻してしまいます。
多くの市民は、地方行政窓口を自らの生活を満たすためのサービス機関ととらえがちですが、政治はサービスではありません。国民はお客さまではないのです。国民一人ひとりが国家の構成員であり、真剣に国の行く末を考え、祖先から託された故郷と伝統文化を子孫に継承していく責務を、政治家も一般国民も、日本人である全員で負っているのです。
かつて「貧乏人は麦を食え」との発言で批判を浴びた大政治家がいましたが、政治家は国民に対して酷な要求をしなければならないときもあります。独立や主権が侵されそうな場合に政治家は、自衛官に死ぬかもしれない作戦を非情にも命令しなければなりません。
ポピュリズムを払拭するためには、政治にリアリズム(現実主義)を徹底しなければならないのです。最近「リアルに」という若者言葉が流行っていますが、最もリアル感を欠いているのが戦後の日本政治だと思います。
少子高齢化で財政の見通しも立たずに継続が怪しい年金制度もそうですし、周辺国の軍事的圧力や情報工作にさらされながら、未だに「わが国周辺に脅威は存在しない」とうそぶく防衛白書もそうです。
現実を直視した政策を取るということは、国民に厳しい現実を叩きつけるということでもあります。しかし、「内閣支持率や次の選挙に影響するから」と、その反動を恐れ、現実離れした甘言で国民に真実を伝えないことが本当に国民の幸福につながるでしょうか?
私なら、見たくないものに目をふさいで今の瞬間の平穏を得る「奴隷の幸福」よりも、厳しさと困難さを直視し、輝ける未来を切り開くことに犠牲を厭わない「戦士の幸福」を得たいと願います。政治家としても、それを国民に対して心から要求することが、「真に国家と国民を愛する社稷の臣」たる姿勢だと信じています。
また、ニヒリズムとは、「人生の意義や社会の存在に本質的な価値を見い出さず、刹那的な快楽を求め、自分さえ良ければ、今さえ良ければという生き方」のことです。これは、時空を超越して魂をつないできた日本人らしい生き方とは正反対の生き方です。
「政治なんて誰がやっても同じ」「どうせ政治家も、自分の私腹を肥やすことしか考えてないんでしょう」という意見をときどき聞きますが、「では、あなたは政治を良くするために何をしたら良いと思いますか?」と逆に問いたい気持ちになります。
被選挙権の資格は誰にでも平等にあるのですから、覚悟さえあれば自ら政治家を志すことも可能です。そこまでしなくても、選挙で投票権を行使することは誰でもできるはずです。それは国民としての最低限の責務ではないでしょうか。投票率が五〇%を下回る選挙など、民意を反映しているとは言えないと思います。
無党派層という言葉が当然のように使われていますが、無党派を自認する方々は「支持したい政党がない」のではなく、かつての私がそうであったように、そもそも政治自体に関心が低いのではないでしょうか。政治は誰かにさせるものではありません。自らも国家の構成員であり、政治に参加する義務と日本を正しい方向に導き、子孫に引き渡すリレーランナーとしての使命を持っているのです。
支持したい政党がないならば、支持したい政党になるように声を上げればいいのではないでしょうか。「自民党もだらしないからね」というお叱りをよく受けますが、そのような方は是非とも党員となって、共に汗をかく仲間として政治に参画して欲しいのです。
日本の政治は政党制をとっています。どんなに素晴らしい理念を訴え、高潔な人柄をもってしても、政党に属さず個人で活動する国会議員など自己満足以外のなにものでもありません。
民主主義である以上、政治は数の論理で決定します。議会において多数を取らない限り、どんな素晴らしい理念も政策も、所詮は絵に描いた餅なのです。
ならば、多少なりとも理念を共有できる政党に属して、中から改善していく努力をする方が現実的ではないでしょうか。
議員には党員確保のノルマがあります。よって、私もよく、自民党員になっていただけるように勧誘をするのですが、すると「党員になって何のメリットがあるの?」と言われる方がいます。
しかし、そもそも政治とは個人的メリットを求めて参画するものでしょうか。そのような有権者の姿勢が、利権誘導型の政治や、工事受注などのもたれ合いの政治家――支援者関係を作り出し、政治を腐敗させたとは思いませんか。
個人的見返りを求めない掛け値なしの声援、最も耳の痛い心からの批判、そのような厳しくも温かい支援者に支えられるからこそ、政治家は国家国民のために汗水垂らして私財を投げ打って働く姿勢が身につくのだと思います。
マザー・テレサの言葉に「愛の反対は憎しみではない、最も愛のない行為は無関心である」というものがあります。「祖国を愛する」ということは、何も国旗を振りかざしたり、国歌を声高らかに歌ったりすることだけではありません。国の行く末を憂い、自ら積極的に政治に関わり、正しく導かれるよう心を砕くことなのです。
私はまだ半人前の未熟な政治家ですが、初心を忘れずに今後もたゆまぬ努力と研鑽を重ね、大切な一票を私に託して下さった皆さまの想いに応えられるよう精進して参ります。
そして、日本を心から愛してやまない皆さんと一緒に、「日本を取り戻す」ための行動を続けたいと心から願っています。その行動の輪が日本中に広がった暁には、必ず私たちが真に求める日本の未来が待っているはずです。
私たちは生きてその姿を見られないかもしれません。それでもいいではないですか。また来世に日本人に生まれ変わって、「あぁ、やっぱり日本人に生まれてよかった」と思える国づくりに今生の力を尽くしましょう。後から生まれくる日本人のために、未来を受け継ぐ私たちの可愛い子供たちのために。
宇都隆史(うと・たかし)
1974年11月12日、鹿児島県に生まれる。現在、参議院議員(自由民主党)。元航空自衛官(退官時階級は1等空尉)。防衛大学校卒業(42期航空宇宙工学科)。航空自衛隊三沢基地、稚内分屯基地、春日基地にて要撃管制官として勤務。2007年西部航空方面隊司令官副官を最後に退官。松下政経塾入塾(28期)。2010年第22回参議院議員通常選挙で自由民主党全国比例区公認候補として立候補し当選。参議院の外交防衛委員会委員、自由民主党の国防部会副部会長など数多くのポストに就任。若手の国防議員として、現場感覚を大切に、積極的に全国で活動中。ブログ、ホームページなどを活用し、国民に生の情報を意欲的に発信している。 |