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日米同盟(日米安保条約に基づく日米両国間の安全保障協力関係)をめぐって、日本では第二次世界大戦後の早い時期から、賛否両論が交わされてきた。中でも、岩波書店の発行する総合雑誌『世界』は、「日米同盟への反対・中立日本への支持」という立場の論者が集う場所との評価を今なお受けているようである。 六○年安保について、純政治的には、私は「改定反対、安保廃棄」といった目標は、当時の内外の条件の下では、達成できないと考えていました。にもかかわらず、反対運動に参加し、その主張を支持することの意味は、どこにあると考えたのか。それは、これだけの抵抗を受け、米国大統領の訪日が大衆運動のために不可能になるという事実の持つインパクトは、米国の対日意識を変え、法的には成立した改定安保の運用に、無視できない政治的な枠をはめることになる、という点にありました。したがって、私には「挫折感」はなく、むしろ「これから新しい段階の抵抗と対話が始まる」という意識でした。現に(日米安保条約の改定後に駐日米国大使となった)ライシャワー教授は大使任命に先立って、日米の知識人間の対話の断絶を憂慮する意見を公表していました。 その一方で、『世界』の編集長を長く務めた吉野源三郎は、雑誌の取材を受けた中で、以下のような発言を残している。 国民の立場からいったら、(日米)安保条約のような問題、あるいは沖縄返還のような問題については全国民にかかわる問題として、それぞれ態度を決定せざるをえないわけですが、たまたま革新政党は安保に反対で、保守党は安保維持だという場合、安保に反対すれば、あたかもその革新政党のかかげる政策を支持しているような形になります。けれどもこれは、社会(党)を支持するためにそれをいうんじゃなくて、国民の安危、利害に関するもっと深い考慮から出発して、そう主張せざるをえないのですね。こういう場合には本当の中立主義というものと、いずれかの政党に対して対立的になるということとは矛盾しないと思います。 「安保反対」を標榜する雑誌の中心的論者だった坂本が、「安保反対」は無理だったと後述し、「抵抗と対話の始まり」を語るというのは、いささか奇異な感が否めない。それに加えて、「反対」を否定した上での「抵抗」から、果して如何なる果実を得ようとしていたのであろうか。 こうした疑問に回答を見出すため、『世界』が日米同盟を論ずるに際して、如何なる立場に依拠し、また如何なる主張・提言等を行ってきたのかを、同誌の掲載した諸論稿を基に、時代を追って検証してみたい。
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[目次] 第一章 中立か同盟か 9 一 「非武装中立」の模索 9 第二章 混沌とした議論 44 一 旧安保条約改定への胎動 44 第三章 「核抜き」への固執 78 一 安保・沖縄問題をめぐる議論 78 第四章 選択肢を求めて 113 一 ヴェトナム戦争後の日米防衛協力 113 一 新たな安全保障政策の模索 148 第六章 『世界』は日米同盟に反対していたのか? 182 一 『世界』の編集方針 182 あとがき 216 水野均(みずの・ひとし) |