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目 次

序章 戦争は人間的な営みである 5

人は「戦い」という営みに惹きつけられる/戦争は「善意」によって支えられている/若者は「戦争」「軍事」について知りたがっている/軍事は文化であり、戦争は人間的な営みである/日本は密度の濃い軍事の歴史を持っている

第一章 戦争のなかの矛盾、戦慄、魅惑 27

軍事に関心を持ち始めた理由/従軍チャプレンの任務と役割/平和を祈りながら戦争をする矛盾/「讃美歌をうたいながら敵艦につっこみます」/戦争があわせ持つ醜さと美しさ

第二章 愛と希望が戦争を支えている 47

絶望は人を戦争に導かない/戦争を引き起こすもの/戦争は「費用対効果」だけでは論じられない/「必然」と「宿命」の感覚/「命よりも大切なものがある」というセンス/人間の理性や想像力の限界

第三章 兵器という魅力的な道具 72

人は武器に装飾を施す/兵器の命名に込められた思い/兵器は単なる戦闘の道具ではない/聖書の言葉が刻まれた軍用品/科学技術と戦争のあり方/兵器を廃絶しても、人は石や棒で戦う

第四章 軍人もまた人間である 94

誰もが軍事とどこかでつながっている/平和主義者の軍人に対する姿勢/軍事のタブー視は平和を阻害する/兵士は何のために戦うのか?/軍人の不条理な役回りと崇高な使命

第五章 「憲法九条」も戦争文化の一部である 118

戦争にはそれぞれの顔がある/はじめは「人道的」と思われた戦略爆撃/人々の意識が戦争のスタイルを変える/戦時と平時の区別が曖昧になっていく/過去の戦争をイメージした「戦争反対」では意味がない/戦争文化としての「憲法九条」

第六章 人間を問うものとしての「戦略」140

「戦略」という言葉のイメージ/ゆるやかに用いられる「戦略」概念/戦略は常に動的なもの/戦争研究は人間・社会そのものの探求である/人間の理性や努力のおよばない次元/戦争を憎むことが平和主義ではない

第七章 その暴力は平和の手段かもしれない 163

武力行使の評価は見る立場で異なる/「テロリスト」か「自由・平和の戦士」か?/不当な暴力と正当な武力行使/テロリストとゲリラについての考察/不完全な平和を受け入れる勇気

第八章 平和とは俗の極みである 186

美しい純粋な「平和」はない/平和への佇まい/「防衛・防御」として行使される暴力/戦いは人に世界観を与える/人間とは

あとがき 210

 



 

あとがき

 本書のタイトルは、二〇一一年の秋に、北海道大学で行なった市民向けの講演「戦争は人間的な営みである」をそのまま用いたものである。
  本文でも述べた通り、もちろんこれは戦争の肯定を意味するわけではない。
  戦争は決して好ましいものではないが、それを行なっているのはあくまで私たち人間自身なのだから、「悪」の一言で切り捨てずに、それを正面から見つめなおそう、というのがこの文言の趣旨である。
  戦争や軍事については、まだ今の日本では、道徳的・感情的な意見が多く、冷静にそれらについて議論をすることが難しい。
  戦争や軍事に対する、ある種のタブーな雰囲気そのものについても考え直すよう促したいという意図もあり、あえてこのような、若干違和感を与えるような、あるいは挑発的でもあるような表現を選んだ、という次第である。

 本書は、仕事の合間をぬって、およそ二カ月で全体を書き上げ、その後に少しずつ推敲をしてこのような形になった。
  戦争や軍事に関する議論の最終的な結論は、もうはるか昔に出ている。それはすなわち、戦争はもうしてはいけない、もし万が一戦争が始まってしまったら、なるべく短期間で終わらせ、犠牲を少なく抑えねばならない、である。
  現在のほとんどの戦争研究は、究極的には、このすでにわかりきった結論に、細かい膨大な注釈をつけていく作業だと言ってもよい。
  本書の使命は、戦争や軍事、そして平和について、本音で、自由に議論をするための、ささやかな足がかりになることである。
  多くの方々に、戦争や軍事について再考していただくきっかけを作ることが本書の狙いなので、ここでは少々大胆なものの言い方をすることにも、躊躇しないようにした。本書の内容は著しく主観的なものであり、あくまでも随筆・エッセーとして書かせていただいたつもりである。
  さまざまな思想や歴史にも触れているが、学術論文ではないので、学問的な緻密さや公平さを第一に追求したわけではない。だが、もし事実認識の誤りやおかしな議論に気づかれたならば、何卒ご教示いただければ幸いである。

 戦争や軍事について論じるということは、最終的には、その人自身の総合的な価値観をさらけだすことになる。そこでは端的に、その人の人間観が問われるのである。
  本書における私の戦争や軍事に対する見方に、何かしら稚拙な部分があるとしたら、それは結局、私自身の人間としての稚拙さに他ならない。
  出版社から本書の執筆について打診された時、なかなかお引き受けする決心がつかなかったのは、戦争について何かを書くことで、自分自身の浅薄な本性がバレてしまう気がしたからである。
  だがよく考えてみれば、私の書いた文章がどのような評価を受けようが、それはどうでもいいことなのである。
  これまで人間は、さまざまな戦争で命をかけて戦ってきた。ある人は、腹を撃ちぬかれ、手足を吹き飛ばされ、のたうちまわって死んでいった。またある人は、戦場で餓え、渇き、病と怪我に苦しみ、家族の写真を握りしめながら死んでいった。銃後でも多くの悲しみと苦悩があった。
  そのような、戦争という実に深刻な事柄についての考えを、人からの評価を気にしながら書いたとしたら、その内容はすべて虚偽である。
  要は、わずかにでも、皆であらためて戦争と平和について議論をするためのきっかけを作ることができればいいのである。それが今回の私の仕事であろう。
  たいして能力や才能もない私が、残りの人生で何か平和に貢献できそうなことといったら、こうした小さな文章を書くことくらいである。
  あまりにささやかではあるが、何もしないよりはいいだろうと思う。(以下略)

石川明人(いしかわ・あきと)
昭和49年、東京生まれ。北海道大学文学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、北海道大学助教。宗教学・戦争論。著書に『ティリッヒの宗教芸術論』(単著、北海道大学出版会)、『面白いほどよくわかるキリスト教』(共著、日本文芸社)、『よくわかる宗教社会学』(共著、ミネルヴァ書房)などがあり、主論文に、「アメリカ軍のなかの聖職者たち―従軍チャプレン小史―」、「戦艦大和からキリスト教へ―吉田満における信仰と平和―」、「非戦論と軍人へのシンパシー―内村鑑三の軍人観―」などがある。