はじめに
戦とは、敵と我とが生存を賭け、勝敗を決すべく脳漿を絞って智恵を出し、その力を集成して相手にぶつけあうものであり、その戦に勝つための方策を生み出す教えこそが兵法である。
なかでも古代シナの兵法と近世後期の西欧で発展した兵法は、人類史上特筆されるべきものであり、日本の武士や軍人の多くもこれらを座右の書とし、範としてきた。特に『孫子』に代表される古代シナの兵法は、九百年にわたり日本における武将たちの用兵に大きな影響を与え続けてきたのである。
また、明治以降にはクラウゼウィッツの『戦争論』に代表される西欧の兵法が、他の西欧学問とともに日本に流入し、日本陸軍の建軍当初から昭和二十年に武装解除されるまで、軍の運用のみならず、戦争の理論的究明に至るまで影響を与えている。
およそ一つの民族には、それが置かれてきた地理的環境に根ざした歴史上の事実と、言語、習慣、宗教、思想などに代表される伝統的文化がある。その国の政治、法律、学問などあらゆる文明が、この歴史的事実や伝統的文化の上に成り立つものであるように、兵法もまた、それぞれの民族の歴史と文化に根ざしたものになることは言うまでもない。そこで、日本人の用兵思想に強い影響を与えてきたシナや西欧の兵法と、日本古来の兵法とを比較することにより、日本の兵法の特異性について明らかにしたい。
古代シナの兵法は、軍師と言われる諸侯の兵学師範、あるいは顧問の立場にあった兵学者が生み出した「戦いの理論」である。軍師とは、自らが軍や兵を率いて戦をする指揮官ではなく、完全な理論家であった。元来、兵法の背景となる国や社会が易姓革命を繰り返して激しく流転し、一貫した宗教や信仰とは無縁であったシナでは、「文」と「武」、政治と軍事を別ものと考え、儒教と兵法がそれぞれに独立した専門家の先生を置き、学問として発達した。それゆえ、兵法においても戦の政治上に占める地位、兵を用いる目的、戦争により何を求めるべきか、武人としての精神や心構えなどについての論述が不充分であることは当然であろう。
それでも、古代シナの兵学が、「方法論」としては「簡にして要を得たもの」であり、戦術・戦法面でほとんど完璧な内容であることを否定するものではない。それゆえ、古来大陸への憧れがあった日本では、武家社会が発達すると同時に『孫子』が武士たちの間に広く普及し、これこそが武人の基本的教養にふさわしいと考えられてきたのである。
日本の戦国時代は、古代シナの春秋戦国時代とおなじ群雄割拠の時代であり、「兵は詭道なり」として権謀術数を奨励する孫子的論理が全ての面で横行した。まさに我が国が孫子の影響を最も強烈に受けた時代であり、それは、戦術・戦法レベルや軍事戦略レベルを超えて大戦略レベルまで「詭」の思想に完全に支配されていたということである。
戦国大名たちは、領国の生存と繁栄を賭け、敵国との過酷な諜報戦や心理戦を戦い、謀略を駆使し、身内に潜む敵を常に警戒し、疑心暗鬼の中で戦いに明け暮れる日々を過ごした。特に、『孫子』を強烈に体現した武田信玄や毛利元就らは、煮ても焼いても食えない「一寸の隙のない人間」であったといわれている。
このように、『孫子』に心酔し過ぎると、赤心を対者の腹中に置くことができず、親子以外には心を許すことのない、「和」を尊ぶ日本人の統帥からはかなり異形の人間になることから、古来日本では、「孫子読むべし、読まるるべからず」と言われてきたのである。
西欧の兵法が、「征服」のための兵法であることは、その歴史が証明するところである。これは、欧亜大陸で行なわれた民族移動が征服の歴史であり、ユダヤ教・キリスト教・回教などの一神教の神が、ユダヤ人、キリスト教徒、回教徒それぞれの氏神でありながら、自らを強固に団結させ、保持強化するためには異教徒を対等な人間として扱わなかったユダヤの神と同一の神であったためであろう。
大昔、この神の意志に反して禁断の木の実を食べたがため、罪の子として神に見放されたとされる人間の集団が西欧諸国である。そこにおいて、神と人間が対立するのは当然であるが、自然を無視して罪の子を創造した神が、それを信仰する個人との繋がりのみで、祖国や民族との繋がりを持たない同一抽象的な神であることから、日本のような人と自然の一体観とは逆に、人間が自然と対立し、征服思想を抱くようになったのである。
事実、ギリシアやローマの文明も、武力戦争により奴隷化された被征服者の上に立つ征服者の文明であったし、博愛を主とするキリスト教徒の文明も、異教徒に対しては冷酷極まりないものであった。西欧植民主義時代の北米のインディアンや中南米の原住民が、無惨に征服されていった歴史を見れば、このことは明らかである。
クラウゼウィッツの『戦争論』などの近世以降に発達した西欧の兵法は、これら西欧における征服者の戦争観に根ざしたものであり、「戦争」という現象をギリシアに発する合理主義・理智主義により、徹底的に究明したものである。そこには複雑かつ抽象的な戦争が、見事なまでに理論化されており、「戦争とは何か」を知る上で学ぶべきものも多い。
『戦争論』では、戦争における不確実性や精神的な要素の重要性についても論じているが、基本的には外面的・唯物論的な戦争観であり、人間の意思のはたらきに重大な影響を与える「善悪」や「正邪」といったものの価値を軽視し、それゆえに人間の内心的な部分などについては言い尽くせぬところも多々ある。したがって、戦争を単純に理論化し、政治目的を達成する手段としたことが、結果的に二度にわたる世界大戦を誘発したと言えなくもない。
このように、論理的・学問的な西欧の兵法では、その一方で厚い宗教心により、人間の最大の弱点である増長慢を抑制し、人をして敬虔な心を持たせる必要があったのである。
古代シナの「戦い」の兵法や西欧の「征服」の兵法が、いずれも「在る(実在)」ということを出発点とし、こうした既得のものを維持することを目的とする国家観に根ざしているのに対し、日本の兵法は、「成る(生成)」ということを出発点とし、これをさらに発展させていくことを目的とする国家観を基礎としている。「在る(実在)」ものは、「成った(生成した)」から在るのであり、さらに発展しないものは、存在することができない。これが宇宙万有普遍の真理である。
古来、日本人にとって「国」とは、我々の愛すべき対象、誇りの源泉となる精神世界の中に存在するものである。それは、一つの「いのち」であり、価値であり、知的な認識だけでは感じることができないものである。シナや西欧における国家のような制度、組織、機構、権力構造などのように客観的に認識できるものに限定された国家ではなかったのである。
「いのち」であればこそ不断に活動し、発展する連続性や永続性といった縦の世界を備えており、その基盤の上に万世一系の天皇を中心とする共同体としての同胞意識という横の世界が醸成されるのである。国土と人間を含む万物は、等しく神々の子孫であるという同胞意識こそが、神話に示された我が祖先達の教えである。この思想は、われわれ現代人の心の底にも残っており、多様な人々が等しくその価値を認め合う社会を築くとともに、無意識のうちに、万物が調和し、一体化された永久的な生命の保持と増進を求めて生成発展しているのである。
「生成発展」のための兵法、これが日本の兵法の特異性である。
今から約九百年前、当時の日本における兵法の第一人者であった大江匡房が著した兵法書『闘戦経』は、「孫子」「呉子」など日本とは国情を異にする隋や唐から伝来した兵法を補うため、日本に古来から伝わる「武」(これを匡房卿は「我武」と表現している)の智恵と精神を簡潔にまとめた書物である。
この『闘戦経』を貫く基本理念は「文武一元論」である。これは、無秩序から秩序を生み出すためには、文と武は不離一体のものであり、それゆえに国家指導者は軍事・政治の両面に長けていなければならず、あらゆる将兵が智と勇とを融合一体化した存在でなければならないという教えである。また、「孫子」の兵法が、戦いの基本を「詭」(偽り、騙すこと)として、「奇と正」の策略を奨めたのに対し、『闘戦経』を貫く指導原理は「誠」であり、「真鋭」である。
純日本の兵書とも言うべき『闘戦経』は、この太陽に象徴される国、祖神の開いた国と祖神の生んだ民が一体となって生成発展してきた日本の「いのち」を継承し、守り、伝えていくため、日本人に戦う知恵と勇気を与えてくれる「魂の書」なのである。
世界は今なお、正邪入り乱れた大戦国時代であり、大修理固成時代である。地球人類がこの激動の時代を乗り越え、それぞれの国家や民族がその生存と尊厳を維持しながら自由と独立を謳歌し、真の「正義と秩序を基調とする国際社会」を創生するための「道」を教える書は、『闘戦経』を除いてほかにないと確信するものである。 |