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「ざっくばらん」休刊に寄せて

政軍関係に重点を置く
「ざっくばらん」のやったこと(田久保 忠衛)

▼始まりあれば終りあり
  司令官の奈須田敬さんに従って「ざっくばらん」のお手伝いをしてきた副官(筆者=C)として一言したい。東日本大震災の前にファクスで、「ざっくばらん」をやめたいと思うがどうかとの御諮問が自宅にあり、災害で日本中が大騒ぎをしているときだったが、銀座並木通りの奈須田事務所でじっくり話し合った。断腸の思いは同じで、ものごとには始まりあればどこかの時点で終りはあるのだということでは考え方が一致していた。
  私は「リップマン・ギャップ」の話を伝えた。米国の著名な政治評論家ウォルター・リップマンが米ソ対立酣のころ、国力と仕事のアンバランスを問題にした。正確に国力を測定せずに仕事ばかりを世界中に拡大していくギャップを把握しないと国力も仕事も衰えるとの当り前の教えだ。個人にあてはめて、私もうまくバランスを取ろうとしてきたが、結局失敗してきた。奈須田さんは、「ウン、それだ」とにやりと笑った。あとは江戸っ子だからやることは早い。次号を最終号とし、お前は一面を書けと即断、即決である。
  通信社のワシントン勤めから私が帰国したのは一九七三年の暮で、以来四〇年近く奈須田さんの指導を受け、感化されてきたから、「ざっくばらん」誌上でも阿吽の呼吸で論調は連動していたと信じている。読者諸賢はお分りのとおり、奈須田さんの学識は歴史、政軍関係、軍人、政治家個人の思想など範囲の広さと深さは並ではない。新聞、週刊誌、月刊誌、目ぼしい新刊本にはほとんど目を通している。新聞をかかえながら研究を続けている私のような、なまじっかな学者や研究者ではとうてい太刀打ちできない。独学で、在野の立場から論をふるった経済評論家と言えば高橋亀吉を連想するが、高橋に匹敵する平成の安全保障評論家は奈須田敬氏だと思う。

▼栗栖統幕議長を支持激励
「ざっくばらん」主筆の特徴の第一は、政軍関係にことのほか重点を置いたことだ。軍事問題を国家の中枢に位置付けられる政治家にしてはじめて本当の文民統制ができる、との一貫した主張は、昨今の訳知り顔で「シビリアン・コントロール」を口にする軽い輩とは本質的に違う。紙面にウィンストン・チャーチルが一再ならず登場するのはそのためだ。単なる言論人とも違って見込んだ首相や防衛庁長官にジカに注文をつけたり、有志を募って助言する場を定期的に持った時期もあった。そのせいだろうが、誌面には躍動感があった。他国には類のない自衛隊コントロールのシンボルだった防衛庁時代の参事官制度が廃止された遠因は「ざっくばらん」の主張にあった。
  第二は、戦後日本の体制内に置かれている自衛隊に対する理論的な同情だ。三三年前に、いわゆる超法規発言で自民党の金丸信防衛庁長官によって解任された栗栖統合幕僚会議議長に対して大方の世論はいかなる態度を取ったか。「文民統制」に違反すると金丸氏の側に立って大声をあげた世渡り上手の「有識者」がどれだけ多かったか。その中で「ざっくばらん」は栗栖氏が正しいと主張した。浅草っ子の啖呵と侠気に満ちた当時の誌面を思い出していただきたい。
  第三は、奈須田敬個人の魅力だ。公憤で怒り狂っているときでも、「ざっくばらん」主筆のペンには何となく春風駘蕩の一面がある。活字ジャーナリズムに付きもので、批判する者と批判される者とのトラブルは絶えないが、この雑誌にはそれがほとんどなかった。個人攻撃などの低い次元で編集をしていないから、いくら厳しい表現であっても感情的反発にはならないのだろう。ミニコミ紙で部数は少なかったが、一人一人が多数に影響を与える奈須田ファンが読者の中心だったからこそ大きな成果をあげられたのだろう。

▼東郷平八郎元帥の遺訓
  日本海海戦の七か月後に東郷平八郎は「聯合艦隊解散の辞」を書き、冒頭で「二十閲月の征戦已に往時と過ぎ、我が聯合艦隊は今や其の隊務を結了して茲に解散する事となれり。 然れども我等海軍軍人の責務は決して之が為に軽減せられるものにあらず。此の戦役の収果を永遠に全くし、 尚益々国運の隆昌を海洋に保全せんには、時の平戦を問はず先ず外衝に立つべき海軍が常に其の武力を海洋に保全し、一朝緩急に応ずるの覚悟あるを要す」と述べた。
  物物しい表現で恐縮だが、「聯合艦隊」は「ざっくばらん」に、「海軍軍人」は「『ざっく』の同人」にそれぞれ置き換えればいい。東郷が述べた「一朝緩急」の事態が迫りつつあるように考えられるのだ。

  東日本大震災は、地震や津波の規模、福島第一原子力発電所の事故などすべて「想定外」だった。目には見えないが、戦後の日本が勝手に「想定」してきたのは「平和を愛する諸国民」だし、防衛費は「GNPの一%」以内に収め、自衛隊には戦えないように数々の縛りをつけることだった。大震災のほかに「想定」を木っ端微塵に打ち砕く現実がユーラシア大陸から迫ってきている。
  奈須田司令官が「新ざっくばらん」で警世の一文を日本に突きつける機会はある。だから「ざっくばらん」は「廃刊」ではなく「休刊」にしていただきたいと副官としてお願いしておいた。




 目  次

「ざっくばらん」休刊に寄せて
政軍関係に重点を置く「ざっくばらん」のやったこと(田久保忠衛) 3

1 政治家は政治家らしく、自衛隊は軍隊らしく… 11
    怩イっこ揩ゥら怩轤オさの時代揩ヨ

2 栗栖弘臣弁護論 19
    恊ュ治に体当りした将軍

3 自衛隊「開国」論 34
     統幕議長が総理に呼ばれるとき…

4 チャーチルの軍事情報幕僚 42
     首脳会談以後日本外交戦略の教訓

5 議会政治と防衛 51
    「陸海空三位一体」こそ真の抑止力

6 「国権の最高機関」の責任 62
     日本という国が問われている!

7 自衛隊に始まり自衛隊に終る 70
     湾岸戦争の日本的帰結

8 自衛隊とは何か 80
     元在日米軍軍事顧問団幕僚長の問題提起

9 自衛隊と憲法九条 88
     カンボジア派遣で何が変わるか

10 ベーカー回顧録の凄み 99
     政治家・外交安保関係者必読!

11 日米関係の正念場 107
    「成熟したパートナー」への二一世紀

12 なぜ、いま岸信介か 116
     静かなる再評価ブーム

13 防衛駐在官制度改革へ一石 127
     自民党国防部会のヒット

14 憲法と自衛隊の戦い 136
     イラク「派兵」を前にして

15 小泉首相の見識を問う 145
     日米安保大転換期になぜ「陸自削減」か

16 日米同盟の覚悟 151
     チャーチル、日英同盟に学ぶ

17 国防なくして安全保障なし 160
     日本人が忘れていること

18「防衛省改革会議」と栗栖弘臣 169
    「国防に任ずる組織」をつくるために

19 石破防衛相の高いハードル 176
    「抜本改革」「背広・制服一体化」

20 チャーチルはなぜ偉いか 182
    『統幕議長が総理に呼ばれるとき』より

「あとがき」に代えて
戦前戦中戦後小史 191

奈須田 敬(なすだ けい)
大正9年(1920)3月、東京浅草新福井町の酒屋の次男坊として生まれる。昭和13年、早稲田実業学校卒、15年末まで日産自動車勤務。17年、現役兵として東部第102部隊入隊、飛行第54戦隊に配属。漢口、北海道、台湾へ転々とし、病いのため昭和19年7月帰郷。20年3月、不穏文書配布のかどで東京憲兵隊の取り調べを受ける。昭和49年8月より月刊ミニコミ誌『ざっくばらん』を創刊。446号を数えた平成23年4月をもって休刊。著書に『わが友三島由紀夫』『総括─三島由紀夫』『統幕議長が総理に呼ばれるとき』(いずれも原書房)がある。現在は並木書房会長。