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目 次
序章 会津・二本松があったから日本は植民地にならずにすんだ 9 二本松少年隊 9 第一章 世良修蔵にみる東と西 19 奥羽僻遠の地にして天下の形勢に疎く 19 第二章 白河戦争 46 戦力比一対十 46 第三章 目指すは二本松 76 鎮撫から征討へ 76 第四章 降伏か死か? 108 勧降使の派遣 108 第五章 少年隊出陣 139 少年隊は六十二名より多かった 139 第六章 落 城 167 二本松対決 167 第七章 流 亡 200 脱 出 200 終章 武士道 233 二本松藩士岡山篤次郎・十三歳 233 あとがき 247 コラム(一)「福島県は本当は恣本松県揩ノなるはずだった」 43 |
要領が悪いせいかはわかりませんが、時代の変化にうまく適応できないという二本松人の特性(?)は、現代に至ってもあまり変わっていないようです。 本書は平成二十二年に「軍事情報」というメールマガジン誌に連載された、『数学者が見た二本松戦争』を底本とするものです。単行本として刊行するにあたり加筆・補正を加えました。その単行本化の企画は連載終了後、ただちに持ち上がったものですが、ある事情で一時、中断されておりました。平成二十三年三月十一日に発生した例の東日本大震災のためです。 かつて平安の昔、奥州と関東・中部地方との境界には関所が設けられておりました。勿来の関、白河の関、念珠ヶ関のいわゆる奥州三関です。それらは当時は蝦夷と呼ばれていた奥州人の南下を防ぐためのものでした。だが、その役を果たしたことは一度もありません。奥州人がそれら三関を越えて南方に攻め込んだことは一度もなかったからです。むしろその逆でした。奥州人から見れば南方人にあたる頼朝が平泉に攻め入って藤原三代を滅ぼし、同様に南方人の秀吉や家康が奥州全土を屈服させました。二本松戦争をも含む戊辰戦争も、やはり南方人が奥州に侵攻し実力で攻め取ったような戦いです。
渡部由輝(わたなべ よしき) |