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目次

序 5
一、叡山焼討 9
二、高野聖衆 42
三、五条河原の三翁 72
四、土蜘蛛 114
五、くにつふみ 155
六、飛礫合戦 189
七、夢殺し 236
八、とくさむし 266
九、八角輪宝 308
十、六道の鬼 352
あとがきと参考資料 366


〈登場人物〉
覚應(かくおう)大和国金峯山寺の修験者。「狗」と呼ばれ、金峯寺を統べる検校直属の耳役・目役をつとめた元寺忍。
モグラの爺 新羅一族の末裔として五条河原に住み、都の糞掃衆のみならず全国の同行衆をたばねる三翁の一人。
ヒウオの爺 新羅一族の末裔。モグラの爺、ヒウオの爺とともに糞掃衆と同行衆をたばねる三翁の一人。
ミミズの爺 三翁の一人。古今の書物・出来事のすべてを記憶する、新羅一族の言の葉神。
破邪鬼(はじゃき)息子の北鬼・南鬼とともに三翁の警護役をつとめる、鬼と人との間に生まれた一族の末裔。
四道丸(しどうまる)覚應が叡山焼討の日に絵師から託された赤子。
吉田兼右(かねみぎ)円融院が『六道絵』に内裏の秘密を描き残したことを探り当てた吉田社の総帥。
吉田兼和(かねかず)朝廷の神祇官。内裏の陰陽寮をたばね、父・兼右の野望を補佐する吉田家の当主。
吉田嶽和(だけかず)兼和の異母弟。兼和を補佐し、陰陽寮を陰の力で差配する。
仁兵衛(にへえ)戦場で編み出された介者剣術の遣い手。吉田家の警護役。
八尾(やお)畿内一円の遊女宿を差配する元白拍子。

 

 晩秋とは思えぬ高曇りの空だった。
  鈍色の雲がどこまでも広がって天と地をくっきりと分け、明るい雲間さえなかった。日の光の束は一条も地に差し込んではおらず、地にある全てのものが陰影を失い、灰色に沈んでいた。
  紀伊国と大和国を分ける伯母峰峠。
  南には神々が住まう熊野の山々が薄墨の中に山襞を淡く重ね、北に頭を振れば、諸仏がおわす大峯の山々を護る吉野に続く道が、杉の巨木が入り混じる暗い森に消えている。
  二つの聖地を結ぶその峠路で、不逞の輩には決して見えぬ、きちと旅姿を整えたおよそ十人もの男たちが、ある者は太刀を、またある者は短槍を構えていた。男たちは、笈を背に金剛杖を突いて数間離れた斜面の上に立つ一人の修験者を半円状に取り囲み、今しも斜面を駆け上がろうと、血走った目でじりじりとその半円を狭めている。半円の外側には、男たちが背から外した笈や荷箱と共に、すでに男たちの仲間が一人、額から一筋の血を薄く流して倒れ伏し、息絶えていた。
  大気は肌に湿り気を感じるほど生暖かく、峠路には風の息遣い一つない。葉を落として久しい峠の木々の梢や枝は、ぴくとも動かず、聞こえるのは獣のように息を荒くした男たちの息遣いと、確実に囲みを縮める男たちが足下の小砂利を踏み擦る音だけだった。
  だが、修験者は腰に佩いた太刀に手を添えるでもなく、右手に持つ金剛杖をしっかと地に突いて動かなかった。顔になんの色も浮かべぬまま、おのれを取り囲む輪の中央をじっと見据えていた。
  その視線の先には、修験者と同じく最前から微動だにせず、修験者の視線を受け止め撥ね返す顔があった。二人は他の者たちの動きを気にすることなく、互いに値踏みし合っていた。
  半円を縮める男たちの一人に端を踏まれた小砂利が一つ撥ね飛んで、二度三度と乾いた音を立てて地に落ちた。
  すると、先ほどから斜面に立つ修験者を凝視していた男が、唇の端でにやと笑った。
(ようもこれまで我ら内裏の邪魔をしてくれたな、覚應。さらに内裏の秘密を知るとあっては、もはや生かしてはおけぬ。哀れ声を上げ、命乞いをするまでゆるりと殺してやる)――男の薄くゆがめられた唇はそう言っていた。
(嶽和よ。御力とは、内裏はもとより吉田家が私するものではない)――覚應と呼ばれた修験者の目がそう応じた。吉田家とは公卿に列し、内裏の神祇官職を代々つとめるのはもとより、内裏の陰陽寮をも司って、本邦全土に約一千の吉田神社をその配下におさめている家である。
  修験者の目を見て、峠路にいる嶽和と呼ばれた男が、ふたたび薄い笑いを顔に浮かべた。
(蛮教の下郎風情が何を言う)。神道にしてみれば、異国より本邦に伝来した仏の教えは蛮教であった。
(わしが下郎なら、そなたらは雲上人とは名ばかりの糞箆持ちではないか。内裏が神の御心のままにある随神の道に背いたればこそ天照が悲しみ、ふたたび岩戸に隠れた。故に内裏の力が落ち、武家の世になったとは思わぬのか)。糞箆とは、用便の際に落とし紙の代わりをする糞掻き棒である。内裏に出入りする公卿が持つ笏を庶民が密やかに揶揄した言葉であった。
(フフフフッ、もうよい。すでにおのれはわが吉田神道に伝わる呪詞にかかっておる。不浄の身で内裏に楯突いた罰じゃ。黄泉の国に落ちよ、覚應。黄泉の国で父母兄弟はもとより、恋焦がれた女にまで「何故に内裏に楯突いた」と攻め立てられるがよい。フフフフッ)。吉田嶽和が返した。
(あの世までもおのれらのものと言うは人として業腹。それほど御力を私したいか。なれば、この覚應がおのれらを大日の御力をもって地獄に落として進ぜる。この峠路からは地獄と思え、嶽和)。修験者が応じた。
  林の中で小さな生き物が地に落ちている枯枝を踏んだのか、木枝が折れる音がした。
  突然、覚應が斜面を駆け上がった。そして、見る間に斜面の上の木立に姿を消そうとした。
「逃がしてはならぬ! 追え! 殺せ!」
  神々の聖地と諸仏の聖地を結ぶ峠路に、神仏を恐れぬ不穏な声が飛んだ。
  伯母峰峠の左右は切通しの土崖で、つま先上がり、木の根づかみの急登が続いている。覚應は金剛杖を巧みに操って身体を押し上げた。
「覚應はどこじゃ?!」
「いた!」
「あそこぞ!」
  背後から聞こえる声を頼りに、覚應はときに彼らを追いつかせ、また彼らを引き離した。
  やがて前方が明るくなり、原生林の中にそこだけぽっかりと穴が開いて熊笹の原があった。焼け焦げた木々の幹が笹原の中に残っている。山火事跡にできた原である。
  覚應は胸ほどに伸びて密生する熊笹をかき分けながら、ときおり背後を振り返った。
「今じゃ。急げ!」
  先を争って二人が熊笹の原に足を踏み入れてきた。
  が、熊笹の原は草鞋泣かせである。笹茎が踏み折れるとき、折れる高さが一本ずつ異なるため、熊笹の中に足を置くと草鞋が前にずれたり横にずれたりする。急げば急ぐほど歩きにくい。案の定、一人が笹原の中に倒れ、小さく声を漏らした。助けに寄った一人もまた「おう!」と叫び声を挙げて熊笹の中に沈んだ。覚應は今朝方早く熊笹の中に置いた仕掛けが功を奏したことを知った。それは倒木から引き剥がした幅二寸、長さ一尺ほどの平たい木っ端である。突き出た枝が短くとも硬く残るものを選び、その枝先を鋭く尖らせ、さらに火で軽くあぶったものである。これを熊笹に隠れた窪みの中に置いたり、あるいは窪みの縁に半身を乗せたりしておいた。そのまま窪みに踏み込めば鋭い枝が足裏を貫き、半身だけ縁から出したものは足を置いたとたんに片側が起き上がって膝下を深々と突き刺す。
  原を抜け出た覚應が振り返ると、倒れた二人を助け起こす者たちの向こうに、嶽和がじっとこちらを見ていた。ふたたび目が合った。嶽和の目はいっそうの殺意に燃えていた。
(死ぬ前に教えよ。おのれは我ら内裏の秘密をいつ知った?)
(ふた月と経ってはおらぬ)
(やはりな)。嶽和がにやと笑った。

阿郷 舜(あごう しゅん)
ノルウェー北部でトナカイ牧畜の起源とその技術的変容、タイ北部で焼畑農耕民の共同体意識などを調査。旧ソ連軍撤退直後のアフガニスタン連合政権による在日本アフガニスタン大使館顧問をつとめるなど、国内でもNGO活動を通したさまざまなプロジェクトに従事。現在はミャンマーの少数民族出身者で構成される親睦団体の顧問をつとめる。