はじめに
私は、平成一五年、一〇年間に及んだ国会議員としての活動に一応の区切りをつけ、平成一六年から帝京平成大学(千葉県市原市)で教授として教鞭をとっている。次世代を担う若者たちとまとまった形で接触するのは初めての体験であり、講義開始当初は少なからず期待感を覚えながら教壇に立った。
三つの講座を担当してきたが、なかでも「近代日本の国際関係」については、学生たちにまっとうな歴史観を教えるように努めた。むろん、大東亜戦争終結後の戦勝連合国による極東軍事裁判(東京裁判)で、日本という国家そのものを断罪するため、近代日本の歩みを侵略の歴史呼ばわりした、荒唐無稽な歴史の捏造は正さねばならぬと考えていた。
しかし、学生間の基礎的知識の格差や、高校までの歴史教育のレベルなどに配慮して、ことさら持論を強弁することは避け、つとめて客観的な事実の積み重ねをもって、「近代日本の国際関係」を論じたのである。それにもかかわらず、一年間の講義で学生の間に強い衝撃と感動が広がったことに、私自身が驚いた。
「明治維新前後の国際情勢をみるに、日本とタイを除くアジア諸国はすべて欧米の過酷な植民地支配にあえいでいた。明治維新を断行し近代的統一国家への道を急いだのは、ひとえに日本の独立保持のためであった。当時の富国強兵策をシタリ顔で批判する左翼知識人もいるが、当時の時代状況のなかで、独立自存を守るため他に道があったのか」
「個人の人生に光と影があるように、国家の歴史にも光と影がある。当時は避けがたい流れであったとはいえ、日本が一部、欧米列強と同じ側面を持たざるを得なかったことは残念だが、日本の朝野に人種差別撤廃、有色人種世界の独立解放の大義が脈々と流れていたことも事実である。極東軍事裁判は、アジアで唯一欧米に抗した日本の近代そのものを否定する政治ショーであった」
というのが私の講義の骨子なのだが、学生たちがこう問いかけるのである。
「初めて聞く話ばかりで驚きました。私たち日本人も誇りを持っていいんですね?」
私は愕然とした。そうだこの子たちは、日本人として誇りを持つ教育を受けていないのだ。どの国家・民族もそうであるように、日本もまた光と影の双方を背負いながら、苦難を乗り越えて生き抜いてきた。その愛おしい歴史を知らないのだ。自虐史観は外交や安全保障政策に退廃をもたらしているだけではない。国家の最も大切な宝、若者の精神を害しているのである。教壇に立って、私は自虐史観払拭の戦いがいっそう激しく展開される必要性を、あらためて痛感したのである。
本書が、いまだ自虐史観にとらわれている人々の呪縛を解く、一助となれば幸いである。
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