まえがき
政府や与党が多数や権力にものを言わせて野党あるいは政府批判勢力の反対を押し切り、政策の実現を強行する−こうした光景は戦後の日本における政治過程で幾度繰り返されてきたか知れない。そして、その典型的な例として思い浮かぶものが、日米安保条約をめぐる動きの中に少なからず見られるのもまた事実であろう。野党や政府批判勢力の頑強な反対・批判や代案の提示にもかかわらず、歴代の日本政府や与党が対米関係の重視を盾に、日米安保条約の堅持を一歩も譲らなかった−というのが、今日でも広く一般に流布されている見方のようである。
しかし、このような動きを政府・与党による「多数(あるいは権力)の横暴」と言い切ってしまう前に、野党や政府批判勢力の姿勢自体も問い直してみる必要があるのではなかろうか。
例えば日本におけるマスコミは一般に政府批判勢力の一角と位置づけられており、わけても『朝日新聞』(以下、『朝日』とも略す)は日米安保条約(以下、安保条約とも略す)に対し、その廃棄・解消を一貫して訴え続けてきたと言われる。しかし同条約に対する国民世論が当初の否定的な傾向を今日まで低下させ続けているのは、同紙の掲げる安保条約への反対・批判あるいは代案の内容自体に原因があるのではなかろうか。それは世論をどのように反映・形成すると同時に、安保条約をめぐる政治過程に影響を及ぼしたのであろうか。
以上の疑問に回答を見出すため、『朝日新聞』の提示した日米安保条約に関する主張・提言等について、時代を追う形で検証してみたい。
第一章では一九五一年における安保条約の締結前後、第二章では一九六○年における安保条約の改定前後、第三章では一九七○年に安保条約の迎えた最初の自動延長と一九七二年に実現した沖縄の返還をめぐる時期、第四章では安保条約が一九八○年と一九九○年に自動延長を経た期間、第五章では一九九九年に「周辺事態法」が日本の国会で成立するまでの時期を取り扱う。そして終章では、『朝日』の安保条約に対する姿勢を再検証してみたい。検証に際しては、同紙の安保条約及びその関連事項に関する社説・世論調査を中心に、同紙の記者による論稿を対象とする。
なお、文中での引用やコメントは、『朝日新聞』を含めて、特定の個人・団体への誹謗・中傷を意図していない。二一世紀を迎えた世界で新たな安全保障政策の枠組み作りを今なお模索し続けている日本−その一助になれば幸いである。
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