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本書の刊行にあたって 本書は海外でのNGO(非政府組織=Non Governmental Organization)活動中に発生すると予想される、戦争を含む人造災害と自然災害に対処する方法をできるだけ詳しく説明しようとしたものである。読者対象は国際開発学や国際社会文化学などを専攻しNGO活動に興味をもつ学生、およびこれから海外でのNGO活動に参加しようとしている社会人である。 目 次 本書の刊行にあたって 準備篇 第1章 トレーニングの方法 ………………………………………12 1-1 自然環境への備え 身体トレーニング論 13 第2章 NGO活動の行動基準………………………………………27 2-1 NGOの役割 28 第3章 活動中の心理学 予想される悩み …………………36 3-1 活動中の心理チェック 37 第4章 情報収集の方法……………………………………………………42 4-1 一般的な情報源 43 実践篇 第5章 保健衛生の知識と救急法……………………………54 5-1 健康を維持する方法 55 第6章 火起こしの技術と火の使い方…………………87 6-1 火の基本原則 87 第7章 飲料水と植物性食物の知識………………………97 7-1 水を浄化する方法 97 第8章 シェルターの作り方 ………………………………………105 8-1 シェルター用地の選び方 106 第9章 道具・装備類の応急代用品 ………………………121 9-1 紐縄類 121 第10章 乾燥地域での活動…………………………………………127 10-1 地形のタイプ 127 第11章 熱帯地域での活動…………………………………………138 11-1 気候 138 第12章 寒冷な気候下での活動………………………………148 12-1 寒冷気候と環境 149 第13章 信 号 …………………………………………………………………………164 13-1 信号手段 165 |
あとがきにかえて 行動したいと考える読者へ 本書の背景 本書は恵泉女学園大学ジオグラフィカル・ソサエティーのために編まれた小冊子から生まれた。恵泉女学園大学国際文化学科で非常勤講師として、タイ北部に居住する山地民に関する講座を受け持っていたとき、二つのことに気づかされた。一つは学生諸君の異文化に対する興味の強さと海外に出かけることの気軽さ、海外NGO活動に参加したいとする熱い想いである。もう一つはそんな学生の想いに対応しきれていないカリキュラム編成の現状だった。学生の希望とそれに応えられないカリキュラム。その矛盾は、NGO活動に関連する分野が学問的には歴史が浅く、教育システムとして体系づけるには指導教員の養成不足、学問上のデータや業績の蓄積不足、他分野とのカリキュラム調整などに、大学のように総合的な体系を整えなければいけない教育機関としては、いま少しの時間が必要なことに起因しているのだろう。 もうひとつの背景 クラブ活動のための指導用の小冊子には、下敷きにした参考書があった。アメリカ合衆国陸軍が兵士のために編んだ『サバイバル・マニュアル』である。この教本は、世界各地を環境別に分けて、航空機・船舶事故など平時や戦場でのさまざまな状況を想定して、そこからの離脱・生還方法を記したものである。第2次世界大戦中にその原本が作られて以来、何回か内容が改訂されているが、その原本を執筆・編集した主要スタッフの1人にチャールズ・アレン・K・イネステイラー氏がいる。ベルギーからカナダに移住し、カナダ騎馬警官やカナダ空軍パイロットを務めたイネステイラー氏は、その豊富な極地体験をかわれ、1929年からバード少将のアメリカ南極探検隊に副官として参加し、観測基地に単独で越冬した高名な極地探検家でもある。また、第2次世界大戦後はイギリス軍のほか、民間航空会社の教官として、サバイバル技術の指導普及に務めた。 行動したいと考える読者へ 本書を読んで、自分も行動してみたいと考えるなら、ぜひ行動することだ。しかし、単独活動の自信を得るまでどこか適当な団体に入会したいと希望するものの、自分に適したNGOをどうやって探せばよいか分からない読者もいることだろう。その場合、新聞記事の集会案内や自治体広報紙誌の伝言板、あるいはインターネットなどで活動内容と団体連絡先を調べればよい。さまざまなNGOの活動情報が得られるから、その中から活動内容に興味を感じたNGOに連絡をとり、集会や活動に参加してみることが行動への第一歩となることだろう。 結びにかえて 先人はいる。たとえば、19世紀後半から20世紀全般にかけて数々の業績を挙げたノルウェーの海洋学者フリチョフ・ナンセン(Fridtjof Nansen=1861〜1930)は1906年、スウェーデンからのノルウェー独立に尽力してノルウェー初代駐英大使となった後、1917年のロシア革命、また1918年の第1次世界大戦終結とともにヨーロッパ各国に出現した政治亡命者とロシア飢餓民の救済にあたりつつ、1920年に設立された国際連盟で難民救済を訴えた。これにより、彼は国際連盟より難民救済の国際事務所長に任命され、民族と国家を超えて難民を救済する組織作りを世界で初めて行い、ヨーロッパで国籍を剥奪された難民200万人に「ナンセン旅券」と呼ばれるようになる身分証明書を個人の立場で発行して、彼らの生活安定に役立てた。そして1922年のノーベル平和賞を受賞し、彼が中心となって設立したナンセン難民国際事務所も1938年にノーベル平和賞を受賞した。1901年に始まったノーベル賞の歴代受賞者のうち、生前と死後の2回にわたってノーベル賞を受賞した者は、100年を超えるノーベル賞の歴史の中で、フリチョフ・ナンセンただ1人の栄誉である。 鄭 仁和 |