立ち読み   戻る  

はじめに

 勇気ある都知事は、陸海空の自衛隊を「三軍」という。それが初めて使われたとき、マスコミの拒否反応は思ったより低調だった。大新聞でも、それを頭から否定したり、ヒステリックな書きぶりをしたりということもなかった。
 今まで、ろくに実態を見ないで、言葉遊びをくり返してきた。そんな戦後の精神の貧しさにみんなが気づこうとしてきている。
「1佐も大佐も大差ない」
 ある陸上自衛隊の1佐は、そういって笑った。
 それというのも、どうせ日本人の大方は、軍隊のことは知りたがらない。なおのこと、軍人、自衛官のことなどに関心がないからである。陸軍大佐と呼ぼうが、1等陸佐といおうが、たいていの人にとってはどうでもいい。まさに世間の受け止めかたには大差がない。
 もちろん、「平和のためには戦争や軍事に関わることを、できるだけ見ない方がいい」と信じている人たちはいる。そういう人たちは、自衛隊が旧軍隊と同じような階級の呼び方にするといったら、きっと反対することだろう。だが、その人たちも師団や旅団、連隊というような部隊の名称、将官、佐官、尉官といった旧陸軍とまったく変わらない幹部の分類の仕方、それらを放っておいてきたのはどうしてか。
 つまるところ、どうでもいい、よく分からないというのが本当のところであろう。
 冷戦構造があっという間に、簡単に崩れさった。世界戦争の危機が遠くなったと思ったら、世界中ではむしろ紛争が増えるといったことが起きた。そして、国際協力のために陸海空自衛隊は海外にでかけるようになった。
 最初ばかりは『海外派兵反対』、『軍国主義への道』といった意見も出た。
 しかし、いっこうに軍国主義は復活していない。どころか、自衛隊はスリム化、規模の縮小化に懸命である。自衛隊、自衛官は今日も異国の空の下にいる。おそらくその暮らしぶりや活動の中味について、ほとんどの人は知らない。
 
 さて、陸上自衛隊は自分たちの組織を変えていくために、三つの「めあて」を持っている。
 「体制改革」、「組織改革」、「意識改革」である。
 体制や組織の見直しとは、陸上自衛隊に期待される仕事が変わったことからきている。
 陸上自衛隊は専守防衛の国是のもとで、まさに「国民社会の最後の砦」であろうとしてきた。海空自衛隊が撃ちもらした外敵を、国土の中だけで迎え撃つ組織である。装備、訓練、教育、編制なども、すべてそれが基準になってできあがっていた。それが、国際平和協力法の成立から、自衛隊の部隊、自衛官は海外で任務を果たすようになった。
 体制・組織の見直しとは、このように変わった役割期待に対応できるようにすることである。また、正規軍による大規模な侵攻は、当面、考えられなくなった。むしろ、小規模なゲリラ・コマンドゥなどによる奇襲攻撃などの可能性のほうが高い。そして、主に経済的要請による人員規模縮小がある。そのうえ、日本社会は高齢化、少子化がすすんでいる。募集対象人口が減ることは確実であり、産業構造の変化とともに、世間の雇用形態も変えられようとしている。
 意識改革とは、以上の二つの見直しにともなう隊員たちの気持ちの切り替えである。これまでの自分たちの当たり前や、積み上げてきたものを再点検しようということになる。すべてが否定されるわけではないが、角度を変えた見方をして、もう一度組み直してみる。視点の変換をした後の見直しの基準になるのは、仕事の変換やシステムの改編を念頭においたものになる。
 陸上自衛隊の掲げるこれら三つのことをよく見直してみると、陸上自衛隊だけに通用する話ではない。わが国社会の、すべての組織で改革に取り組むときに、同じように大切にされるべきものであろう。
 学校教育の世界もその例外ではない。新学習指導要領は平成十四(二〇〇二)年度から実施される。完全週五日制の採用、教科ではない「総合的学習の時間」の創設などが話題になっている。学習内容の削減や、学力低下などの話題に世間の関心は集まっているが、「学校教育の目的は何か」という学校の業務の見直しがされているのだ。
 学校教育の目的が見直されているから、学校組織の再編成がある。指導の形態が変わる。今までのように、一人の教師が学級を一人で預かるということは、むしろふつうではなくなる。編制上は「四十人学級」が当面続くであろう。しかし、学習集団の数は増えるようになる。二学級八十人に三人の教師が指導に当たれば、一集団は二十六、七人にしかならない。
 指導形態や校内の組織が変われば、教師の意識改革がすすむことになる。教育論とは、つまるところ教師論であるとすれば、教師が変われば教育論も変わらざるをえない。
 同じようなことが、どこの組織にも起きているに違いない。
 将来の日本に関心のある人ならば、自分を含めて、私たち日本人をもう一度見つめる必要があることを痛感していることだろう。

 この本は、都知事の言葉を借りれば、日本陸軍の将軍たちや大佐たちの物語である。
 彼らは若い頃には冷戦構造の最先端にいた。陸自を支える中堅となったころ、ソビエト連邦は崩壊した。国際協力法案が通過して、海外に自衛隊は出るようになった。そして、現在は、自衛隊創設以来、史上最大のリストラクチャリングのただ中にいる。
 そんな人たちに、「統率(人の上に立つこと)」とはどういうことかを尋ねてみた。
 学んできたことや、将来について、遠慮のない聞き方をした。誰もが、赤裸々に、誠実に語ってくれたことは読んでいただければ分かることだと思う。
 意を尽くしていないということがあれば、私の非才、無能のせいである。
 なお、登場される方々の階級、補職名は取材時のものであることをお断りしておく。


目  次

 はじめに


1、指揮官という自分を見失うな 9

 名将白大将の一言  福山隆将補(富士教導団長) 12
 人には必ず転機というものがある  藤田昭治陸将(第五師団長) 19
「あいつらのために誰がやるんだ」で奮い立つ  洗 堯陸将(東北方面総監) 26
 北欧の小さな国から学んだこと  福田裕1佐(第五後方支援連隊長) 38
 地下鉄サリン事件回顧  竹田治朗将補(幹部候補生学校長) 47
 ワルに好かれる男  寺尾憲治将補(東部方面総監部幕僚長) 55
 第一混成団の四十%は沖縄県民  椋木功将補(陸上幕僚監部調査部長) 64

2、部下を知り、つかむ 71

 外国に行けば「ジャパニーズ・アーミー」  海沼敏明1佐(陸上幕僚監部人事部補任課人事1班長) 74
 県の「防災担当行政職」第一号として  佐藤喜久二(神奈川県防災局訓練情報担当課長・元陸将補) 81
 嫌われるヒラメ型上司  荒川龍一郎1佐(戦車第二連隊長) 90
 人の価値は判断する人の発酵度で決まる  井岡久将補(第二混成団長) 97
 自衛隊は職人集団になるな  師岡英行将補(陸上幕僚監部防衛部研究課長) 106
「チャラチャラした幹部」を克服する  井上廣司将補(東部方面総監部幕僚副長) 113
 天安門事件のまっただ中で  笠原直樹1佐(情報本部情報官) 121

3、自分の役どころを知れ 129

 勇気の底にある#明るさ$  渡邊元旦将補(北部方面総監部幕僚長) 132
「一生懸命」と「真剣さ」の違い  赤谷信之将補(富士学校機甲科部長) 140
 医官と自衛官のはざまで  山田省一将補(陸上幕僚監部衛生部長) 148
「事務屋になるな」人事部長の怒りを買った話  酒井健将補(陸上幕僚監部装備部装備計画課長) 156
 やる気をおこさせてくれた2等陸士の投書  溝口秀盛1佐(第一後方支援連隊長) 164
 問われる文科系一期生の真価  宮下寿広1佐(陸上幕僚監部防衛部防衛課業務計画班長) 172
「マムシの陣内」といわれて  陣内透1佐(第三十六普通科連隊長) 181
「組織と個人は別」ロシア人の特性を知る  三田克巳将補(第三施設団長) 189

4、組織の中のタテ、ヨコをよく見る 197

 PKOとの戦いの中で  松川正昭陸将(第三師団長) 200
 軍人は外交官でもある  大西正俊将補(第一施設団長) 208
「鬼平」に学ぶ  木棟r造1佐(陸上幕僚監部人事部援護業務課長) 215
#分進秒歩$の時代だからこそ組織で動くことが大切  石飛勇次陸将(富士学校長) 223
 辛かった連隊縮小時代、優秀な者から外へ出す  廣瀬清一将補(東北方面総監部幕僚副長) 232
 こうして生まれた大いなる連帯感  行徳浩志1佐(自衛隊沖縄地方連絡部長) 238
 付加価値をつけて隊員を世の中に送り出す  武田正徳1佐(第一高射特科団長) 246

5、「新しい自衛官像」を目指して 255

 なぜ軍人独自の給与体系がないのか  中川義章1佐(陸上幕僚監部人事部人事計画課制度班長) 258
 ヘリを支える人間的きずな  山根峯治将補(第一ヘリコプター団長) 266
 野戦特科隊員に必要な「ハイ・ローミックス」精神  直海康寛将補(富士学校特科部長) 274
 よい「反面教師」になった大隊長  福田忠典陸将(第一師団長) 281
 カンボディアで流した尊い汗  渡邊隆1佐(第十二施設群長) 289
 留学で知った米国の懐の広さ深さ  江藤文夫将補(北部方面総監部幕僚副長) 297


おわりに

「統率は芸術である」と、志方俊之元陸将(北部方面総監)は定義した。管理(マネジメント)とは「効率を求める要領」である。それに対して、統率(リーダーシップ)とは「組織に個人を結集させる芸術」になるという。(『現代の軍事学入門』一九九八年、PHP研究所)
 志方氏と私は、立場、経験、学識、その他すべてにおいて比べられようもない。
 だが、学校教育現場の第一線に立つ身であれば、氏の語るところはよく分かる。
 学校教育の世界でも、学校・学級経営を訳すときにはマネジメントという言葉はなじまない。アドミニストレーションを使うことが多い。教育とは、エデュケーション、人の潜在する力を引き出すことである。もとより、主体は教育を受ける側にあって、教える側が「効率」を求めるばかりでは、多くの子どもたちに満足を与えられないからである。
 人には個性がある。誰もその人の代わりはできない。人間は生い立ちや遺伝により、資質や発揮される能力にも違いがある。加えて、誰もが悩みをもち、夢を抱えてもいる。
 そして、誰にも自分を認めてもらいたいという願いがある。こうした個人の集まりを、一つの目的に結集させるのが軍隊の統率者である。しかも、互いに信頼し、命を預け合う存在にする。このことは、技術や要領を身につけたからといってできることではない。
 芸術家とは、ひとの意表をつくものであろう。ありふれたことを語ったり、世間で当たり前と思われていることをしたりはしないものだ。才能ある芸術家は、しばしば私たち凡人の予想を超えた生き方をし、ふるまいもする。
 ところが、今回、会って話をいただいた人々からは、そうした傾きを感じなかった。
 むしろ圧倒されたのは、その語るところがすべて「ふつう」の「当たり前」のことばかりであることだった。周りの人間に親切にせよ、人の見ていないところでゴミを拾え、感謝の心を忘れるな、人には優しくしろ、細かいことの実行から大切にせよ、などなどである。
 ふつうのことや、当たり前のこと、それらは言葉でいえばごく簡単なことにすぎない。しかし、いざ自分が実行するとなると難しいことばかりである。
 それをひとに実行させることは、なお難しい。しかし、彼らはそれを成しとげてきた。すべての人が、私の予想を超えた芸術家たちだった。
 さて、陸上自衛隊は二十一世紀に向けて、「誇り高き陸上自衛官の心得」を出した。
 その中心になるのは「挑戦、献身、誠実」の三つの言葉である。
 挑戦しようという気持ちには、自己実現の意欲がその原動力となるという。自己実現とは、「これでこそ、ほんとうの自分だ」と実感することである。そのことと組織の中で生きることには矛盾は生まれない。なぜなら人は、周囲のひととの関係の持ち方によってのみ、自分のあり方を確かめられるものだからだ。組織の枠の中でこそ、「自分探しの旅」は続けることができる。
 献身とは、自分本位の自己実現や、未熟な個人主義と反対の極にあるものだという。自衛官という職務の特徴はここにある。たとえ自己を空しくしても、隣人や組織、国家のために尽くさなければならない。その自己犠牲、勇気は義によって支えられた使命感に基づいている。
 誠実さとは、自己に向き合う指標であるという。自衛官は他にはない強力な力を持つ。法治国家において、それが許されているのは、国民の負託と信頼があればこそである。その信頼の元になるのは、法と道徳を守るだけではないという。高い倫理観と自主自律の精神、正しいことを正しいとして貫ける意志の強さが必要であると陸上幕僚監部の文書は説いている。
「不易と流行」という言葉がある。
 どんなに変化の激しい社会にあっても、人として大切にしなければならないものは変わらない。同時に、社会の新しい動きに気づき、変化に適応できる力も必要である。陸上自衛隊は人として、日本人として大切なものを守り続けながら、変わる日本社会の期待に応えようと努力している。
 陸軍のあり方はその国民の民度を表す指標の一つであるという。もし、それが正しかったら、私たちの未来は決して暗いものではないだろう。
「自衛隊という学校―若者たちは何を学び、どう変わったか―」、「続自衛隊という学校―君のリーダーシップが問われるとき―」に続く陸上自衛隊のシリーズ第三作目ができた。若者と彼らを育てる陸曹たちの物語が終わり、今回はシニアオフィサーたちの登場になった。
 アンケートに答えてくださった方々は六十人をこえた。貴重な時間を割いていただいた方々には心からお礼を申し上げる。また、私の力不足によって今回の刊行に間に合わなかった方々もおられる。ただ、私の旅はまだ始まったばかりである。次の出会いを楽しみにしている。
 陸上幕僚監部には、またお世話をかけた。監理部長大久保博一将補、同広報室長宮島俊信1佐、広報室先任川又弘道1佐、同室員濱田貴之2佐(現北部方面総監部防衛部)、同西田康浩3佐ほかの皆さんに心から感謝している。
 取材の調整などに、富士学校広報班長宮脇一典3佐をはじめとして、各駐屯地の広報班のみなさんのお手もわずらわせた。
 陸上自衛隊を支えるプロ集団である陸曹の方々には、いつもお世話になってきた。私の目にふれないところでの陸曹諸官の配慮があってはじめてこの本は生まれた。板妻駐屯地曹友会長間々下敏二曹長、同事務局長山口敏美曹長、みなさんの温かい応援は、私をますます勇気づけてくれている。
 今後とも、ご友誼、ご教導をお願いしたい。 
 二〇〇一年一月
荒木 肇


荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部教育学科卒業。横浜国立大学大学院修士課程(学校教育学専修)修了。横浜市の小学校で教鞭をとるかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、横浜市小学校理科研究会役員、横浜市研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。現在、民間教育推進機構常任理事、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)。1999年4月から臨時任用教諭として川崎市立京町小学校でT・T(チーム・ティーチング)担当として勤務。2000年1月から横浜市神奈川区担当民生委員・主任児童委員も務めている。ベネッセ教育研究所CRN(チャイルド・リサーチ・ネットワーク)においても学校教育に関する諸問題について意見を発信中。著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』(出窓社)、『「現代(いま)」がわかる―学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』(並木書房)がある。