まえがき
一九二○年、第一次世界大戦が終結した後に発足した国際連盟――「世界中の国々が協力して平和を維持する」という理想を高く掲げた組織の登場に、「二度と戦争のない世界」が到来する事を期待した人々は、世界中に少なくなかったはずである。
それから二十年足らずして世界が第二次世界大戦へと突入するのを、当時どれほど多くの人が予想したであろうか。国際連盟の平和を維持する機能は、連盟を指導する大国が戦争を阻止するために共同歩調をとり得るか否かにかかっていた。それが全世界を巻き込んだ経済恐慌を契機に、大国間には利害の対立が顕在化した。それは連盟が掲げた「平和」の理想を引きずり降ろしたのみならず、世界の平和もまた崩壊させるに至ったのである。
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いろいろな出来事、政治や社会の状況、組織の仕組み等を説明するために一般に流布されてきたイメージが、ある一定の時を経た後で見直すと、以前とは違った像を呈示している事がしばしばある。
第二次大戦後の日本において、社会党(正式には日本社会党)は、政府並びに与党の自民党が推進する安全保障政策の枠組み作りに対し、野党の立場から一貫して反対し続けてきた――これが、遅くとも一九九○年代の初めまで有権者に定着してきたイメージと言われる。社会党は日本国憲法が「理想」として描く「非武装中立・平和主義」の実現を、自衛隊と日米安保条約が存在し続けるという「現実」の下で、絶えず訴え続けてきたというのである。そして九○年代の半ばにおいて、社会党が安全保障問題に対する姿勢を「転換」した事について、評価はいまだに別れている。
こうした評価に黒白をつけるよりも前に、「社会党は、日本の安全保障政策における『理想』を訴え続けた」というイメージ自体を捉え直す必要があるのではなかろうか。社会党と政府・自民党とが対立した根本にあるとされる憲法上の「不整合」等の問題点が一向に解決の兆しを見せないままに、ほぼ五十年にわたって「既成事実」が積み重なってきた事態は、一体何を意味するのであろうか。それを問い直す事によって、社会党の「転換」した理由が明白になってくるのではあるまいか。そして同時に、社会党が安全保障政策について訴え続けた「理想」の意味というものも明らかになるのではないだろうか。
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以上のような観点に立った上で、戦後の日本における社会党の安全保障政策を再検討してみたい。
序章では、国会で日本国憲法草案の第九条が審議される過程における社会党の対応を取り扱う。第一章から第三章では、主として五五年体制の時期において社会党が安全保障政策に取り組んだ様子を、それぞれ自衛隊と再軍備、日米安保条約、国連平和維持活動への協力、の順に論ずる。そこでは同じ時期に政権を担った自民党の思惑や国民世論の動向、及び社会党の有力な支持母体となった労働組合の対応を、社会党の動きと対照してみたい。終章では、「冷戦の終結」後に成立した連立政権の中で社会党が示した安全保障政策の「転換」が示す意味を考察する。
なお、文中での引用やコメントは、特定の個人・団体への誹謗・中傷を意図していない。冷戦後の世界で新たな安全保障政策の枠組み作りを模索している日本――その一助になれば幸いである。
目 次
まえがき 1
序章 憲法第九条の「蹉跌」………………………………………………………………9
――「及び腰」な旅立ち
はじめに 9
まとめ 22
第一章 曖昧な日本の「再軍備」………………………………………………………30
――「神学論争」の深層は?
はじめに 30
一、「自衛力」と「再軍備」の曖昧な区別 31
二、「三つどもえ」の「再軍備」論争 38
三、「再軍備」論争の停滞 47
四、「再軍備」反対論の限界 55
五、「再軍備」反対論の後退 64
まとめ 68
第二章 四つの「安保物語」………………………………………………………………78
――「非武装中立」の「本音」は?
はじめに 78
一、対日講和・安保と社会党の「大分裂」 79
二、六〇年安保改定と社会党の「反岸闘争」 91
三、七〇年安保継続と社会党の「避戦闘争」 101
四、安保条約をめぐる社会党の「迷走」 112
まとめ 117
第三章 気がつけばPKO法………………………………………………………………128
――「平和主義」は貫かれた?
はじめに 128
一、初期社会党の国連安保政策 129
二、国連安保政策をめぐる「自社論争」 139
三、揺らぐ社会党の国連安保政策 148
四、行き詰まった社会党の国連安保政策 157
まとめ 166
終章 コペルニクスは転換したか?………………………………………………175
――「現実主義者」の終着駅
はじめに 175
全体のまとめ 187
あとがき 196
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