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目 次

序章 学校教育の混乱の原因

『学級崩壊は社会現象である』という誤解
夢の世界のたわ言を考える人たち
リーダーシップはどこから学ぶか
人の絆を大切にする陸上自衛隊
自衛隊と学校を同列に扱うのは間違いか

第1章 企業・学校・自衛隊に共通するリーダーシップとは

集団の性質
管理、統率、経営
平等志向と日本人の性格
「人を管理する」ことへの誤解
教育を科学としない体質
リーダーシップ研究のむずかしさ
昔の師範学校が懐かしまれるのは……
リーダー像――旧陸軍と陸上自衛隊の違い

第2章 リーダーシップのいろいろな形

子どもに尊敬される教師の条件
子どものことが分かる
自信をもつことの大切さ
学校の教師と自衛隊の指揮官の共通点
自分の職務を知ること
職務を知るには組織の目的を理解することだ
  今の若者は偉い  平川眞士1佐(富士学校機甲科部教育課長)
  良い戦術は美しい  洗 堯陸将(東北方面総監)
  精強とは何かの問い  大竹伸宏1佐(第三十四普通科連隊長)
自分を「腑分け」できる人
  たった十メートル  高山昭彦2佐(第一普通科連隊本部)
部下を見ることは自分を見ることだ
  自己管理でシドニーを目指す子たち  高橋佳嗣陸将補(自衛隊体育学校長)
  挫折が人を育てる  野中光男陸将(情報本部長)
  私の最も信頼する部下  萩尾精一3佐(福岡地方連絡部)
  後方支援で知った部下を見る目の広がり  小林將浩1尉(第三後方支援連隊補給隊副隊長)

第3章 部下を直接動かす「曹」というリーダー

号令指揮のプロフェッショナルたち
  重迫の団結はひと味違う  鈴木基文准尉(第三十四普通科連隊重迫撃砲中隊)
  学問だけでは部下の前に立てません  植木伸也准尉(第三十四普通科連隊本部庶務幹部)
  銃剣道は気力の戦いです  真名田宏之1曹(第三十四普通科連隊重迫撃砲中隊)
  部下が「女性小隊長」を育ててくれた  林 満称子2尉(防衛大学校総合安全保障研究科在学)
  目が覚めた強烈な一撃  河村隆夫3佐(第三十四普通科連隊第一科長) 
  紳士は昔を隠さない  近藤政道3佐(第一普通科連隊本部管理中隊長) 

第4章 ミドルクラスのリーダー養成 ―陸上自衛隊幹部候補生学校

幹部たる精神世界の形成を目指して
多岐にわたる幹部養成の学校
校内すべてが整然と美しい
幹部の心意気は「やせ我慢」
海軍「リバティ」、陸軍「デモクラシー」
 教官はきびしい修羅場をくぐれ  森川建司2佐(幹部候補生学校 第一候補生隊長)
「お前ら死ね!」とは「早く頭を切り換えろ」ということ 井川賢一1尉(幹部候補生学校区隊長)
「滅私」でない「活私」奉公の思い
  人を助けるのは生半可なものではない  大川晴美候補生(東京理科大学基礎工学部卒業)
  一生を捧げる価値のある仕事  佐藤佳久候補生(北海道大学大学院工学研究科修士課程修了)
  自分はどこまで行けるか  甲田一剛候補生(富山大学経済学部卒業) 
  温かい組織のなかで技術を生かしたい   岩盗逡芟補生(星薬科大学薬学部卒業)
  自分で自分を決めていきたい  一言和男候補生(東京農業大学農学部卒業)
  団結せずにいられない組織のなかで生きる  山口峰生候補生(千葉大学法経学部卒業)
  職域の広さや教育制度に憧れて  高浪陽子候補生(京都女子大学文学部卒業)
防衛大からきた候補生たち――六人の場合
  人を動かすむずかしさ  遠藤智明候補生(人文社会学部国際関係学科卒業)
  自分にのしかかる責任の重さ  中澤 誠 候補生(理工学部通信工学科卒業)
  学校教育では得られなかった人間性  大崎香織候補生(人文社会学部国際関係学科卒業)
  夢の実現には下積みの辛さに耐えること 梅山みゆき候補生(人文社会学部国際関係学科卒業)
  軍隊と社会が調和する国  山田英晶候補生(理工学部土木工学科卒業) 
  地域と一体化した自衛隊  宮田亜希子候補生(理工学部材料物性工学科卒業)
まとめに

第5章 陸上自衛隊は金で換算できない人間をつくる学校である

新しいリーダーシップを創りあげる
個性は社会的にもまれなければならない
変わり行く若者たちに戸惑うな
強まる「自衛隊という学校」への期待

 あとがき

 資料 陸上自衛隊の学校と教育システム


あとがき

「自衛官たちの真面目さは出家集団のようだ」
 初めて陸上自衛官と出会って、そう表現した人がいた。まさに言い得て妙と思われる。
 自衛官とはどういう人たちか、私も含めて教育者には、今まであまり知られてこなかった。
「欧米には制服を着た顕在的軍人と、民間人の服を着た潜在的軍人がいる」と書いた学者がいた。欧米では、誰でもがすぐに軍人になれるという意味である。それは社会の歴史や民族性による。対して、我が国では軍隊や軍事につながるものは、なかなか社会になじみにくかった。
 だから、旧陸海軍はことさらに世間との断絶をうたった。「娑婆」とは縁を切らなければ、精強な軍隊はできなかったし、軍人という仕事は勤まるものではなかった。
 日本人は、強盗や無法者にはたいてい無抵抗である。個人の武装権は否定され、敗戦後には国家の武装までも放棄してしまった。世界史的には珍しいことだったが、長年培った日本人の民族性にこれほどぴったりした思想はない。戦後半世紀にわたる平和状態の継続と、経済的繁栄はそのおかげであろう。
 戦後、学校教育は最大権力者である経済界の言いなりになってきた。ある時代は知識中心の詰め込み教育をやらされた。それがうまく行かなくなると、今度は「ゆとり」と個性である。
 経済界や教育界を動かしてきた人々は、彼らなりに誠実に国家の未来を考えたに違いない。それによって実現したのがエコノミックアニマルと軽視される「この国のかたち」である。
 平和と物質面の豊かさは実現した。しかし、経済の発展と個人の欲望の充足だけで国家は成り立つものではない。国民の間では、いまだに「公」が確立せず、「私」だけが歯止めなく拡大を続けている。社会のリーダーたちが、人間そのものの考察や、心の観察をしないで、仕組みや制度の改革だけに目を向けてきた結果である。
 近代国家とは契約国家の別名になる。戦後の日本は貧しかった。貧しければ、人は、まず公平を望む。豊かになって生命が保障されれば、次に欲しがるのは自由である。しかし、自由は義務を果たした上で保証されるものだ。それが契約の中味だったが、誰もそれが国家成立の基礎・基本だとは言わなかった。公平だ、平等だと騒ぎ続けて、とうとうここまできてしまった。
 揺れる国際社会の中で、国家の将来像が揺らぎ始めている。国民一人ひとりが国家と自分の関係を考える必要に迫られている時代である。その時にあたって、近代市民国家の当然の属性である自衛権の問題や、武装組織である国軍について目をそらして良いわけがない。
 いつまでも自衛官を「出家集団」にしておくわけにはいかなくなってきた。すでに明らかにしたように、陸海空自衛隊はやはり旧陸海軍と同じように、義務教育の補完機能を果たしている。一般世間との垣根もずいぶん低くなってきた。入隊を志願する若者たちも変わった。一昔前のような、他に行き場がないといった消極的な理由から入隊する者ばかりではなくなった。「生きがい」や「やりがい」を求める若者が増えてきたのだ。
 自衛隊の側でも、教育のシステムや人事管理では、隊員一人ひとりを大切にし、その自己教育力を高めるために工夫を重ねている。古い考え方を引きずっている学校教育より、かえって進んだ教育手法を採ってもいることは見てきたとおりである。
 今回の取材にも、陸上幕僚監部の全面的なご支援をいただいた。多くの陸上自衛官と会うことができた。どこでも開けっぴろげで、心のこもった応対を受けた。
 平成十一年の春には、女子学生たちを連れて富士学校(静岡県小山町)に出かけた。学校長石飛勇次陸将のご好意である。幼稚園の先生や保母になる学生たちはいっぺんに陸上自衛隊の大ファンになった。隊員たちとの懇談がとても楽しかったと後の便りにあった。広報班長の宮脇一典3佐は御殿場駅の改札口まで送ってくれ、学生たちが見えなくなるまで手を振り続けていた。
 武装組織としての精強さは北海道で満喫することができた。北千歳では第一特科団の演習を塚田信一団長が見せてくださった。北の大地に吠える重砲の群れ、隊員たちの無駄のない動きが印象的だった。岩猿進第七師団長に観閲式の予行に招いていただいた。冷たい雨交じりの強い風の中、微動もせずに連隊旗を捧げる隊員の姿が心に残った。
 過去、現在、将来の陸上自衛隊については、西部方面総監天野良晴陸将、同幕僚長藤田昭治陸将補、同幕僚副長廣瀬誠陸将補に多くを教えていただくことができた。陸上自衛隊幹部候補生学校長竹田治朗陸将補にも初級幹部教育の本質にふれた貴重なお話をうかがえた。幹部学校長小|毫向陸将からは陸上自衛隊の高級幹部の資質などについてお教えを受けた。
 以下、本文に登場したほかに、貴重なご教示、ご示唆などをいただいた方々のお名前を記し感謝の言葉に代える。
 北部方面総監部幕僚副長宗像久男陸将補、幹部学校教育部長山崎召三1佐、札幌駐屯地業務隊長藤原淳悦1佐、前第一特科連隊長松本晴朗1佐(現幹部学校戦術第二教官室長)、需品学校教務部長兼子忠1佐、第一普通科連隊長福澤賢1佐、第一後方支援連隊長伊丹俊二1佐、第三十二普通科連隊長柴田幹雄1佐、第十二師団第三部長日高政広1佐、同第二部長西村金一2佐、西部方面総監部広報室迫輝昌2佐、陸上幕僚監部装備部神原誠司2佐、札幌地方連絡部募集課長鈴木純治2佐、第十二師団幕僚幹事深堀宏3佐、需品学校教務部柳田常泰1尉、駒門駐屯地広報班長長谷川初夫1尉、第一師団副師団長副官池島正宏2尉、板妻駐屯地広報班井出幹雄曹長ほかの皆さん。
 見学等でお世話になった部隊、学校等は以下の通りである(本文中に記載のないもの、順不同)。
 東部方面総監部、西部方面総監部、第一師団司令部、第四師団司令部、第七師団司令部、第十一師団司令部、第十二師団司令部、札幌地方連絡部、東京地方連絡部、福岡地方連絡部、健軍駐屯地業務隊、第一特科団、第一特科連隊、第七十一戦車連隊、第十一施設大隊、第一後方支援連隊輸送隊、航空自衛隊千歳基地。
平成十二年三月三日
荒木 肇


荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部教育学科卒業。横浜国立大学大学院修士課程(学校教育学専修)修了。横浜市の小学校で教鞭をとるかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、横浜市小学校理科研究会役員、横浜市研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。現在、民間教育推進機構常任理事、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)。1999年4月から臨時任用教諭として川崎市立京町小学校でT・T(チーム・ティーチング)担当として勤務。2000年1月から横浜市神奈川区担当民生委員・主任児童委員も務めている。ベネッセ教育研究所CRN(チャイルド・リサーチ・ネットワーク)においても学校教育に関する諸問題について意見を発信中。著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』(出窓社)、『「現代(いま)」がわかる―学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』(並木書房)がある。