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●目 次

はじめに

第一章 「ザ・総理」の腹構え

「時代」が押し上げた「宰相」
「自民党総裁」三度目の正直
孤独な官邸の主 
政策通と情のもろさと
首脳外交に新風
独特の官僚操縦術
「国益」で通ずる梶山との関係 
「一龍戦争」の幕は降りず
「追っかけ」まで出る婦人層の人気
橋本政権は二十一世紀への橋渡し役

第二章 剣道の呼吸に通じる橋本外交

「間合いをとるのがうまい」
ユーラシア外交を提唱
対露政策で外務省に発想転換を迫る
クラスノヤルスクの遭遇戦
ウマが合った龍とボリス 
船上会談で決まった平和条約二〇〇〇年締結合意
避けて通れない日韓関係の修復
「日中の関係は日米関係と並ぶ重要な関係」
「なかなか難しいものだな」と苦しい胸の内 
米中関係の修復で日中関係にハズミがつく
橋本にとって中国訪問は気の重い旅 

第三章 行政改革はいまだ道半ば

中間報告、大きな道筋をつけた
激突した郵政三事業 
ちらつく中曽根の影
郵政一家の猛反撃
首相側近の反論
勝ったか負けたか分からない小泉の造反 
行革の大きな焦点、金融・財政分離
「大蔵憎し」武村の怨念 
中曽根に押し切られた佐藤入閣の失敗
改革の息吹に合致した「財務省」への名称変更 
もっと評価されていい「橋本行革」

第四章 財政再建と景気回復策のはざまで

日銀を押さえつけた橋本蔵相 
橋本蔵相の独断で決まった湾岸戦争九十億ドル援助
小沢寄り大蔵省へ自民党の復讐
具体化する財政再建に向けた青写真
歴史的な財政構造改革会議始まる
公共投資にメスを入れる
橋本・鈴木元日銀理事の対決
米政府から「大至急の景気対策」の要望
首相は所得税減税に踏み切った 
財政政策史上、特筆すべき橋本の試み 

第五章 安保・防衛―画期的な「制服重視」

意表をつく普天間飛行場返還
「安保共同宣言」、日米協力の新たな出発点
経験が生んだ危機管理意識
骨身に徹したイ・イ戦争と湾岸戦争
制服組が初めて入った首相執務室 
四十五年間、制服を縛った「保安庁訓令」の廃止
情報本部の設置と安保室への制服起用 
政争の火種をはらむ新ガイドラインの実施
「有事法制」整備へ、首相の決意は固い

第六章 人脈から見た橋本の人間像

根強い麻布学園の人脈
「私は慶応大学体育会剣道部出身」
剣道を煙幕材料に使う
父親がわりの石川忠雄 
義母ぬきで語れない橋本の性格形成
橋本を支える内助の功


●はじめに

 「僕は、総理・総裁になれないよ」
 もう何年前になるだろうか。橋本龍太郎氏の私邸に取材に行ったとき、ポツリと、そう語ったことが、今でも印象に残っている。元自民党副総裁の金丸信氏が「政界のドン」と呼ばれて、自民党がまだ全盛時代のころだった。
 実際、当時の自民党で総理・総裁を目指すには、まず派閥の長となり、手勢となる多数の議員を抱えていなければなれなかった。その派閥の領袖たちが競い合い、合従連衡して党内のヘゲモニーを握り、初めて「総理・総裁」の座に就くことができたのである。
 三角大福中と称された三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘の各氏らが、「総理・総裁」という最高権力者の椅子を目指して熾烈な権力闘争を展開したのも、もはや遠い昔のことのように感じられる。自民党が分裂し、自民、社会両党が日本の政治を動かしてきた、いわゆる「五五年体制」が崩壊して以降、何人の首相が生まれ、新しい政党が誕生しては消えて行ったか。ここ数年の政界は、政治を取材している側にとっても、すべてをすぐに思い出せないほどの目まぐるしい変遷ぶりである。
 ソ連の崩壊により冷戦が終結し、国際社会は新しい秩序づくりの時代に入っている。日本も政界のみならず、戦後作られた様々な社会・経済構造に歪みやひび割れた状況が一気に表面化してきた。日本の国家としてのあり方が根本から問い直され、新しい国づくりが進められようとしている。これは明治維新、戦後の改革に匹敵する改革であり、断固実現させなければ、二十一世紀の国際社会で生き残ることは難しいだろう。
 その新しい国づくり、システムの構築を、橋本内閣の時代にどこまで道筋をつけることができるのか。橋本首相が掲げた@行政改革A財政構造改革B社会保障構造改革C経済構造改革D金融システム改革E教育改革―の「六大改革」は緒に就いたばかりである。
 その一方で、橋本首相は外交・防衛政策面でいくつかの歴史に残る業績をあげている。橋本流の外交手法、スタイルは、これまでの日本の首相にはなかった新しい首脳外交のあり方を示したものといえる。
 たとえば、九六年四月には沖縄県の悲願だった在日米軍基地の縮小問題で、普天間飛行場返還の日米合意を成し遂げた。これは様々な幸運が重なったとはいえ、クリントン米大統領に、「交渉できる相手だ」と個人的な信頼関係を築き上げたことが大きい。ただ、代替となる海上ヘリポート建設の候補地となった名護市の住民投票で反対票が上回り、比嘉鉄也市長が建設受け入れと引き換えに辞任するなど、せっかく返還で合意したにもかかわらず、今後の展開そのものが不透明になっているのは、「国益」の観点から不幸な事態と言うしかない。
 また、この沖縄問題と同時に、橋本首相はクリントン大統領が来日した際、日米両国の同盟関係を強化する日米安保体制の「再定義」というべき、「日米安全保障共同宣言」などをまとめ、署名した。その共同宣言に基づいて九七年には日米防衛協力の枠組みとなる新たな「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を決めている。
 ロシアとの間では最大の懸案である北方領土問題で、北方四島返還について「法と正義の原則を基礎に解決し、両国関係を完全に正常化する」と明記した『東京宣言』を踏まえ、橋本首相はエリツィン露大統領と東シベリアのクラスノヤルスクにおける首脳会談で、「東京宣言に基づいて、二〇〇〇年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」ことで合意した。すでに日露次官級協議が始まり、エリツィン大統領の来日も決まるなど、日露関係の改善が飛躍的に進みそうな下地を作ることに成功している。
 政府や防衛庁内における「制服組」に対する姿勢、意識変革を図ったことも、目立ってはいないが、橋本首相が行った重要な改革の一つに挙げられよう。
 「時代」に押し上げられて政権の座に就いた橋本首相だが、景気低迷に有効な手を打てず「常に後手に回っている」という批判が強まっている。そのため、政権の「三月危機」説も取り沙汰されている状況だ。政界は「一寸先は闇」といわれる。何が起きても不思議ではない。
 とりわけ野党は、新進党が分裂し、衆院では小沢一郎党首の純化路線に沿った「自由党」、羽田孜、細川護煕両元首相と鹿野道彦氏らで結成した「民政党」、中野寛成氏ら旧民社党が中心となった「新党友愛」、旧公明党系が中心の「新党平和」、小沢辰男氏のもとに集まった「改革クラブ」が誕生。参院では旧公明党系がいったん「黎明クラブ」を結成し、その後「公明」に合流した。既存の菅直人代表率いる民主党は、新たに発足した民政党、新党友愛などと衆参両院における統一会派「民友連」、新党平和と改革クラブが衆院での新会派「平和・改革」をそれぞれ結成した。
 自由党は小沢氏主導のもと、新ガイドラインに関連する国内法整備をにらみながら、橋本内閣が景気対策などで行き詰まった場合を想定し、自民党との保・保連合を視野に入れて、今後の政局に臨む構えだ。民友連は野党勢力を結集し、国会における統一行動だけではなく、七月に行われる参院選の選挙協力にも本格的に取り組む方向である。さらに、菅氏らはこの統一会派「民友連」を、将来的には「新・新党」の結成にまでもっていきたい構想のようだが、民主、民政両党の間では政策や理念の違いが大きいため、思惑通り進むかどうか、かなりハードルは高そうだ。
 野党だけではない。政界全体が再編の途上にあるだけに、今後の政局や将来展望など、先を読むことが一層難しくなっている。このような混迷し、閉塞感に包まれた時代にあって望みたいことは、政治はまさに権力闘争ではあるが、各政党とも「国益」を軸に、枠組みなり、合従連衡をはかって政権を運営してほしいということである。振り返って橋本内閣の場合、いつまで続くのか、まったく予断を許さないが、「国益」を中心に政権運営していく限り、それがいかに国民にとって「苦い薬」であろうとも支持は得られるはずだ。
 「橋本内閣の時代」を総括するのは、まだ先のことだろう。
 ただ、かつて自ら「総理・総裁になれない」と、一度は首相の椅子に就くことをあきらめた橋本氏が、自民党総裁となり、さらに政権を担う立場になったのも、「時代」の流れというものだ。それだけに、いや、そうであればこそ、現在の政権を運営している橋本首相の政策について、その決定過程や手法、事実関係を、たとえ途中経過であっても、今この時点での批判なり評価をしておくことは、それなりの意味あることと考える。
 ところで、今回、本書を執筆することになったのは、並木書房の奈須田敬社長から「橋本首相の実像をもっと国民に知ってもらった方がいいのではないか」という依頼があったからである。日常業務を抱えており、時間的な余裕が果たしてあるかなど、迷ったが、田中派から竹下派、さらに自民党が野党に転落後も、政治取材にあたりながら、橋本氏の言動をウオッチしてきた者として、数人でチームを組めば、何とかまとめられるだろうと思い、お引き受けすることにした。
 各章の執筆には、これまでに橋本氏を実際に取材した経験のある同僚記者や友人の政治・経済ジャーナリストに担当してもらった。


●あとがき

 一般国民にとって、国の舵取りを任せているトップリーダー「首相」の実像を知る機会は、ほとんどないに違いない。首相が何を考え、何を行おうとしているのか。表にはなかなか伝わってこない部分で、どのような指示が出され、その結果はどうなったのか。要するに、日本というこの国を、一体どこに導いて行こうとしているのか。
 そう考えたとき、今、二十一世紀を目前に控え、最高権力者として、日本の行く末や国民生活を直接左右している橋本龍太郎首相の政策、その考え方や人物像を知っておくことは、極めて重要なことと言えよう。
 橋本氏は従来にない新しいタイプの首相である。本書は、その橋本氏が、現在焦点となっている行政改革や外交、防衛など、いくつかの課題について、どのように進めているのか、どう判断しているのか、政策決定までのプロセス、さらに人間・橋本に多少なりとも迫るのが狙いだった。現時点における「橋本首相像」である。
 快く取材に応じていただいた方々に、執筆チームを代表して心から感謝したい。
 なお、文中ではすべて登場人物の敬称を略させていただいた。
 
                               産経新聞政治部次長 奥村 茂

●奥村 茂(おくむら・しげる)はじめに、第1章、第5章執筆。1949年、北海道生まれ。73年、中央大学法学部卒業。産経新聞政治部次長。著書『国鉄のいちばん長い日』(産経新聞国鉄取材班、PHP研究所)
●北村経夫(きたむら・つねお)第2章執筆。1955年、山口県生まれ。中央大学経済学部卒業。ペンシルベニア大学国際関係論学科修士課程終了。産経新聞政治部次長。
●北 光一(きた・こういち)第3章執筆。1952年、長崎県生まれ。早稲田大学卒業。政治ジャーナリスト。
●屋良朝彦(やら・ともひこ)第4章執筆。1960年、東京生まれ。早稲田大学卒業。経済ジャーナリストとして雑誌などにルポや論評を発表。金融問題や財政政策などが活動の中心だが、通商問題にも詳しい。
●長田達治(おさだ・たつじ)第6章執筆。1950年3月、東京生まれ。73年、早稲田大学法学部卒業。毎日新聞社入社。首相官邸キャップ、政治部副部長、ソウル支局長などを経て編集制作総センター副部長。著書に『細川政権263日』(行研)、『橋本龍太郎・全人像』(同、共著)など。