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●目 次

はじめに

第1章 松の廊下の刃傷事件

 浅野内匠頭 悲劇のはじまり
 吉良上野介 斬りつけられた理由 
 梶川与惣兵衛 浅野内匠頭に組みついた男
 徳川綱吉 性急な処断 
 柳沢吉保 幕政の実権を握った側用人
 多門伝八郎 内匠頭を取り調べた目付
 栗崎道有 上野介を治療した当代随一の外科医
 田村建顕 内匠頭の切腹場所

第2章 四十七士の討入り

 大石内蔵助 昼行灯が咲かせた武士道の華
 吉田忠左衛門 人望のある内蔵助の片腕
 原惣右衛門 武士の義をつらぬいた上方の急進派 
 片岡源五右衛門 主君との無言の別れ
 間瀬久太夫 内蔵助の相談相手 
 小野寺十内 愛情こまやかな夫婦
 間喜兵衛 按摩になって敵情を探る
 礒貝十郎左衛門 病身の母との別れ
 堀部弥兵衛 最年長の槍の名手
 近松勘六 負傷した痛いたしい姿
 富森助右衛門 大目付への討入り報告
 潮田又之丞 信義に厚い内蔵助の親友 
 早水藤左衛門 同志心中の後始末 
 赤埴源蔵 「徳利の別れ」のモデル 
 奥田孫太夫 二度も主君の切腹に遭遇 
 矢田五郎右衛門 討入り最後の戦闘 
 大石瀬左衛門 兄との義絶 
 大石主税 最年少の討入り 
 堀部安兵衛 高田馬場での決闘
 中村勘助 江戸急進派との意気投合
 菅谷半之丞 ひとり寺に住んだ謎
 不破数右衛門 討入りに加わった元浪人
 千馬三郎兵衛 浪人になるのをやめた武士の義 
 木村岡右衛門 法名をつけて討ち入る
 岡野金右衛門 「恋の絵図面取り」
 貝賀弥左衛門 血判書返却の使者
 大高源五 「煤竹売り」の俳人 
 岡島八十右衛門 藩庫金の分配役 
 吉田沢右衛門 父忠左衛門を支えた献身 
 武林唯七 孟子を遠祖にもつ急進派
 倉橋伝助 切腹の前に狂言の物真似
 間新六 内蔵助に懇願して加盟 
 村松喜兵衛 介錯人への丁寧な挨拶 
 杉野十平次 家財を売って同志を援助 
 勝田新左衛門 開城後すぐ江戸へ
 前原伊助 吉良邸近くに呉服店を開く 
 小野寺幸右衛門 養父の反対を乗り越えて 
 間十次郎 吉良上野介への一番槍 
 奥田貞右衛門 親友の脱落
 矢頭右衛門七 仇討ち決定後の父の死 
 村松三太夫 研屋での試し斬り
 間瀬孫九郎 父にしたがった槍の名手 
 茅野和助 仕官四年目の凶変
 横川勘平 手紙の代筆
 三村次郎左衛門 ひとえに忠義を尽くす
 神崎与五郎 「吾妻下り堪忍袋」
 寺坂吉右衛門 ただ一人生き残った男 

第3章 脱盟者たち

 大野九郎兵衛 開城前の逐電
 進藤源四郎 叔父の説得に動揺
 高田郡兵衛 江戸急進派の脱落 
 萱野三平 悲しき自刃 
 橋本平左衛門 遊女との心中  
 毛利小平太 討入り三日前の変心  
 小山田庄左衛門 同志の三両を盗んで逐電 

第4章 事件をめぐる人びと

 浅野綱長 内蔵助に開城を諭した宗家当主
 浅野大学 御家再興はならず 
 大石りく 内蔵助と離別した妻 
 お 軽 内蔵助の妾になった美女 
 吉良義周 途中で気絶した吉良家当主 
 上杉綱憲 実父上野介と家臣との板ばさみ
 土屋主税 討入りの物音を聞いた隣家の主 
 阿久里 浅野内匠頭の妻 
 天野屋利兵衛 浅野家出入りの商人

第5章 元禄の幕政

 堀田正俊 将軍綱吉を支えた春日局の養子
 桂昌院 八百屋の娘だった将軍綱吉の生母
 隆 光 「生類憐みの令」の推進者
 阿部正武 経済を活性化させた官営工事 
 荻原重秀 貨幣改鋳の狙い 
 荻生徂徠 赤穂浪士の切腹 
 室鳩巣 四十七士は「義士」


●はじめに

 赤穂浪士の吉良邸討入り事件は、江戸の人びとをあっとおどろかせた。
 元禄十四年(一七〇一)三月十四日、赤穂藩主浅野内匠頭長矩が江戸城松の廊下で、高家筆頭の吉良上野介義央に斬りかかり、即日切腹、家名断絶を命じられる。それ以来、一年九か月。人びとは、赤穂浪士が仇討ちをやるのか、やらないのか、しきりに噂しあい、やきもきしていた。
 そうしたさなかの元禄十五年十二月十四日、大石内蔵助ら赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、上野介の首をとったというのだから、だれもが「ついにやったか」とおどろいたのも当然である。多くの人びとは、彼らの深謀遠慮に感嘆した。
 しかし、赤穂浪士たちは翌元禄十六年二月四日、切腹を命じられる。主君の仇討ちをしながらも、「天下の法に照らせば罪人」とされたのだ。そうした幕府の処断に、批判の声もあった。
「忠孝の二字を羽虫が食いにけり 世を逆さまに裁く老中」
 この狂歌は、その一例である。赤穂浪士の切腹によって、事件はさらに人びとの噂にのぼった。元禄という泰平の世に起こった大事件だけに、無関心ではいられなかったのだろう。
 そのせいか、十二日後の二月十六日には、早くも江戸の山村座がこの事件を芝居にした。『曙曾我夜討』と題し、鎌倉初期、曾我兄弟が富士の裾野で父の仇を討つ、という話に仮託した芝居だが、影響をおそれた幕府はわずか三日で上演の中止を命じた。
 だが、その後、宝永三年(一七〇六)、近松門左衛門が赤穂事件を題材に、人形浄瑠璃『碁盤太平記』を書き、大坂の竹本座で上演して人気を呼んだ。さらに寛延元年(一七四八)には『仮名手本忠臣蔵』が登場し、それ以降、赤穂事件を扱った芝居は「忠臣蔵」の名で広く親しまれていく。
 当時の世相は一見華やかに見えながら、さまざまな禁令によって庶民が圧迫され、苦労の多い時代でもあった。だから人びとは「忠臣蔵」の芝居によって、鬱屈した気持ちを晴らしたのである。
 赤穂浪士たちの吉良邸討入りは、主君の仇を討つためだが、それはいいかえれば、忠義を貫くためであり、武士の意地でもあった。いまどき、「忠義」とか、「武士の意地」といっても通用しないだろうが、そのために赤穂浪士たちは苦しみに耐え、仇討ちの好機をじっと待ちつづける。
 表面的に見れば、集団による仇討ちドラマかもしれない。しかし、赤穂浪士の一人一人に焦点を当ててみると、そこにはそれぞれの人間ドラマがあって、人びとの情感に訴えてくるのだ。
 赤穂藩には、士分だけで二百七十人ほどの人びとがいた。だが、そのなかで実際に吉良邸討入りに加わったのは四十六人。なかには同志として準備に奔走しながら、途中でみずから命を捨てたり、脱落していった人は少なくない。さまざまな人間の葛藤は、ある意味では普遍的なものであり、だからこそ「忠臣蔵」のドラマは現代人の心を捉えるのだろう。
 この本では、松の廊下事件の関係者、討ち入りした赤穂浪士、途中で脱落した人びと、赤穂浪士をめぐる人びと、元禄幕政にかかわった人びとなど、多くの逸話を集めてみた。それぞれの人間ドラマを通じて、元禄忠臣蔵の世界を楽しんでいただければ幸いである。


●中江克己(なかえ かつみ)
1935年、北海道函館市に生まれる。思潮社、河出書房などの編集者を経て、現在はノンフィクション作家として幅広い著作活動を行なっている。歴史分野の著書に『徳川将軍百話』『忠臣蔵の謎』『蝦夷、北海道の謎』『海の日本史』『秀吉をめぐる女たち』『性の日本史』『奥州藤原王朝の謎』(以上、河出書房新社)、『毛利元就101の謎』『豊臣秀吉の謎』『徳川吉宗101の謎』(以上、新人物往来社)、『徳川慶喜の生涯』(太陽企画出版)、『毛利元就の人間学』(ぴいぷる社)、『邪馬台国と卑弥呼の謎』『江戸時代に生きたなら』(以上、廣済堂出版)、『逆転の人物日本史』『悪女賢女の日本史』(以上、日本文芸社)、『神々の足跡』『日本史怖くて不思議な出来事』(以上、PHP研究所)など多数。ほかに『江戸の職人』(中央公論社)、『染織事典』(泰流社)などの著書もある。