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●目 次

第一章 林房雄との出会い
新橋の焼け跡にて/悪名高い船長/早大紛争が原風景/学生運動論をめぐって/森田必勝と三島の出会い

第二章 村松剛の醒めた炎
正気の狂気/過激派と対峙する/右へ急傾斜したのはいつごろか/ワグナーとショパン/あれが遺言

第三章 黛敏郎の憂国 
若き芸術家/昭和二十七年、パリで/西洋との決別/日本回帰の情念/青嵐会に心を動かす

第四章 保田與重郎の涙 
「日本浪曼派」の流れのなかで/保田ファンだった三島/保田與重郎への国際的再評価が始まる/桜井にうずくまる/三島の霊が復刊へと走らす

第五章 青嵐会誕生す 
賀屋興宣回想録を手伝う/青嵐会のうぶ声/「太陽族」と「孤独の人」/藤島泰輔の憂国/国民の幅広い支持があった/渡辺美智雄のマキャベリズム

第六章 『奔馬』と神風連の乱
三島の神風連取材行/熊本にて/抵抗の精神を糸ぐるまのように/夏目、徳富、横井のゆかりの地で/宇気比の震源

第七章 小野田元少尉と鈴木青年 
林房雄をめぐる奇縁はつづく/林房雄と鈴木紀夫/杉森久英のニヒリズム/林房雄の死/小林秀雄の遍歴/二人の友情――鈴木紀夫と小野田少尉

第八章 「転向」と『絹と明察』
たれかミシマを超えたか?/父権の喪失/清水幾太郎/吉本隆明は「転向」したのか?/変節と誠実と/高坂正堯の非転向

第九章 遠藤周作と三島の宗教観 
「輪廻転生」への帰依/直前、憂国忌発起人に/戦国キリシタン大名の心理を追う/転向、改宗、裏切り/『深い河』の輪廻/そして聖地ベナレスへ

第十章 学生運動への関与
「何人が本気で死ねるのか」/転機となった「佐世保」/武闘談に身を乗り出す/民族派団体もつぎつぎと/和製キッシンジャー/今村均大将のこと

第十一章 川端康成、開高健など
回想のひとびと/岡潔の憂国/福田恆存のニヒリズム/開高健との遇会/九十七歳、そぞろ愉し/天井桟敷の革命児

第十二章 日本が「日本でなくなる」とき
司馬遼太郎批判序説/ひどかったNHK大河ドラマ/講釈師になった晩年の司馬/西尾幹二の活躍/美しい日本語は台湾に在り/左翼がコトバの戦争に勝った

第十三章 森田必勝のこと
「最後の一年は熱烈に待つた」/三島由紀夫とヘミングウェイ/北方領土奪回に生命を賭けた/思いを知るは野分のみかは/四半世紀後の新発見

第十四章 憂国忌と三島研究会
追悼集会が原型に/見事に散った桜花/三島研究会の誕生/一周忌がやってきた/ジーパン憂国忌/平野啓一郎の世代も

第十五章 外国から見た三島由紀夫
ジャパノロジストたち/フランス人の衝撃/アンドレ・マルローとアインシュタイン/オリヴィエ・ジェルマントーマの登場/三島作品には個性豊かな日本人が/カルタゴに似てきた


●あとがき

 早いもので、三島由紀夫が自決してから三十年近い歳月が流れた。当時の学生運動の仲間や楯の会のメンバーの多くは社会的地位のある仕事をこなしている。だれも彼も一様に「定年」後の過ごし方を云々する年代となった。
 まだ学生だった筆者が白髪交じりの熟年代となり、わが人生もそろそろまとめの時代に入った。そのうちに、そのうちにと思いながら、煩瑣な日常にかまけて打ち過ごしてきたが、備忘録をと思い直したのは三年前の初秋だった。『文学界』の取材の手伝いで、久しぶりに四日市に森田必勝の実兄を訪ねたおり、幼稚園、小学校、中学、高校、浪人時代とそのときどきの森田の友人知己たちを訪ねて、改めて「当時」を聞いて廻った。初耳のことも多く、意外な事実に耳をそばだてることが少なからずあった。
 こうしたなかで、森田の恋人だったとされるU・M嬢がまだ独身を通して近くに住んでいる事実に私は心底驚かされた。
『自由』誌の石原萠記社長に何かのおりにそんな話をしたら、ウチでぜひ連載しろ、ということになった。締切りがないと書かない習性のあるもの書きの例に漏れず、もし十五回にわたった『自由』(平成十年四月号から十一年六月号まで)への連載の機会に恵まれなかったら、この小冊はまだまだ先のばしになっていただろう。
 昭和四十一年の日学同の結成趣意書には「戦後二十年、日本は精神的混迷と頽廃の淵をさまよい」などとある。私自身も往時よく口にしたその「戦後二十年」もいまや「戦後五十四年」となった。教科書を見直す運動が全国に澎湃として起こり、映画「プライド」が東条英機を再評価する時代となった。
 山中湖の三島文学記念館は平成十一年七月三日に店開きした。私もオープン初日に大雨のなかを見学にいった。文学記念館と銘打たれているので、そこには三島の思想と行動の軌跡は薄く、自衛隊との関係は展示からのぞかれていた。
 憂国忌も三十回目という節目の周忌を迎えようとしている。年を追って増える若い参会者たち。熱心な関係者から三島文学の国際シンポジウムを開催すべきという強い要望もあがっている。
 そんなことを念頭におきながら私は原稿用紙に向かってつづりつづけた。ほかのテーマならいざ知らず、「三島由紀夫」について書くには私はあまりに非力だ。だが、連載中からすくなからぬ手紙、電話をいただき、思いがけない反響に背中を押されるようにして、書きついだ。一回の分量が決まっている初出の枠をはみ出した分は、単行本化にあたってかなり加筆した。
 われしらず肩に力が入って、何回も散歩をくり返して心身の緊張を解きながら、ようやく加筆作業を擱筆したのは連載開始から二年目のことだった。


●宮崎正弘(みやざき・まさひろ)
昭和21(1946)年、金沢生れ。早大中退。『日本学生新聞』編集長、第1回「憂国忌」より世話人をつとめ、「三島由紀夫研究会」を創設。『浪曼』企画室長などを経て貿易会社を10年間経営。1982年『もう一つの資源戦争』(講談社)で論壇に。『中国大分裂』『人民元大崩壊』など中国分析は必ず中国語版がでる。評論家としては、早期に問題を提起して警告を鳴らす著作が多く、米・台・韓へも講演によく出かける。国際エコノミストとしては『暴落経済』『円の危機、日本の危機』など的中する予測に人気が高く、また作家として『金正日の核弾頭』『謀略投機』(いずれも徳間書店)など国際情報サスペンス小説の新境地を開拓している。