●「まえがき」にかえて
日本でブームになった中成薬
日中平和友好条約が締結されて二〇年。この間、政府・経済レベルから民間レベルまで両国の交流は進み、中国を訪れる日本人旅行者も年々ふえています。このように日本と関係の深い中国の文化を見聞する機会を持つことは、両国民にとってとても有意義なことと思います。
そんな日本人旅行者がお土産に持ち帰るものの一つに「中成薬」があります。中国の伝統医学(中医学)では、患者に合わせ、そのつど何種類かの中薬(生薬)を調合して、それを煎じて服用するのが基本です。しかし、病状が安定したときや、予防のためには、あらかじめ典型的な病状に合わせて調合され飲みやすく加工された製剤を用います。これが「中成薬」です。
今では中国のどこの家庭にもこれら中成薬が常備されています。以前日本でもよく見られた「富山の置き薬」をイメージするとわかりやすいかも知れません。
中国でハゲに効く薬ができたといえば騒ぎ、米国で性機能回復に効果のある新薬が開発されたと聞けば、大挙押しかける日本人の薬好きは有名ですが、この薬好きの性格はどうも中国薬が日本に伝来して以来、ずっと続いているような気がしてなりません。
以前見た正倉院展では、さまざまな御物に混じって中国から渡ってきた薬物が、日本最古の薬として、うやうやしく展示されていました。往時の平安人たちも当時世界最高峰であった中国伝来の薬にいちるの望みを託し、その薬効になみなみならぬ関心を抱いたことでしょう。これら伝来の漢民族の薬を、「漢方薬」と称して珍重してきた歴史的事実は、今も日本人の潜在意識のなかに刷り込まれているように思われます。
前述の正倉院展で、変哲もない漢方薬の展示の前に人だかりができ、みな感心している姿を前にして、改めて「漢方薬」の底知れぬパワーを感じたほどです。
世界が見直す中国医療
二一世紀を目前に控えた現在、医療界の世界的な潮流として、代替医療(西洋医療を補完するものと捉えられ、各民族の伝統医療や民間医療を指す)の必要性がクローズアップされています。
WHO(世界保健機構)においても、一九七八年旧ソビエト連邦のアルマ・アタで採択された「西暦二〇〇〇年までに全ての人々に健康を」という目標の一つに、世界にある伝統医学を見直し、活用していくことが確認されました。
そして一九九八年、米国保健局(NIH)に代替医療の専門局ができ、各民族の持つ伝統医療の見直しが始まり、世界に波紋を投げかけています。
これらの流れに先駆けて、一九七二年二月、中国である象徴的な出来事が起こりました。それはニクソン米国大統領が訪中した際、大統領が体の不調を訴えたところ、携帯した薬が効かず、中国側の勧めで行った鍼治療で回復したというのです。この事件は同行したニューヨークタイムズ紙のレストン記者が記事にし、広く西側に報道されました。この結果、中国では西洋医学と並んで伝統医学が脈々と受け継がれていることが知られると同時に、中医学が脚光を浴びるきっかけともなりました。
ニクソン訪中に後れること半年、田中角栄首相と毛沢東主席のもとで日中国交回復が行われると、中国の開放政策も大きく前進し、竹のカーテン越しにしか伝わってこなかった中医学との交流も始まりました。日本にも漢方医学の伝統は受け継がれていたこともあり、堰を切ったように日本漢方や鍼灸の団体と交流が促進されていきました。
大量の中成薬が日本に入ってきた
国交を回復した当時、さまざまな団体が「友好第一訪中団」と称して中国を訪れるようになり、彼らが中国からお土産として持ち帰ってきた中に「中成薬」も含まれていました。これら中成薬は薬店ばかりではなく空港の売店や友誼商店でも売られていました。筆者自身も、日本のメンソール軟膏に似た小さな缶入りの「清涼油」や水虫薬の「華佗膏」を土産代わりに、あちらこちらに配ったものです。
その後、「至宝三鞭丸」という補腎薬が、精力剤として注目されるようになりました。八〇年代前半には、日本の健康ブームを反映して栄養剤の「北京蜂王精」や「ローヤルゼリー」が、上海や北京の空港の売店でよく目にするようになりました。
またウーロン茶の降脂肪効果が発表されると、北京など北方ではあまり飲まれないウーロン茶が友誼賓館などに土産用として売り出されました。さらにこれに目をつけた中成薬工場が、生薬をティーバッグにして飲ませる方法を開発し、その後、漢方茶の代表「減肥茶」やコレステロールを取るとされる「減脂茶」など、中医学の古典に基づきながら、さまざまな効果をうたった健康茶の開発が続きました。
中成薬のブームを作った「101」
北京で趙章光氏が開発した育毛剤「101」が人々のうわさにのぼり始めたのは一九八七年頃のことでした。筆者が初めて趙氏に会った当時は、まだ田舎から出てきたばかりで、訛りの強い言葉で「101」開発の経緯を熱っぽく話してくれました。
「子供が通っていた小学校の女の先生が精神性の円形脱毛症になり泣いていた。それを見て自分も中医のはしくれ、なんとか治すことができないかと研究を重ね、一〇一回目に良い結果があらわれたので、この名前を付けたのだ」と語り、日本に資金援助も要請してきました。
筆者が最初にこの「101」を日本の週刊誌に紹介したところ、何千通という手紙が編集部に寄せられ、一大ブームが巻き起こりました。どうしたら手に入るのかという問い合わせが全国から殺到し、子供から大人まで脱毛に悩む人々の多さに驚かされました。
しかしこの「101」は薬事法の壁に阻まれ入手困難なことから、闇ルートができ、高値で取り引きされました。また偽の「101」まで現われ社会問題になったほどでした。
「101」ブームの功罪は相半ばするものの、日本に中医学の考え方に基づく「中成薬」というものが一般的に知られるきっかけになったことは事実です。
中国の中成薬開発競争
日本経済のバブル期と中国経済の開放政策が歩調をあわせ始めると、中成薬開発競争も激しさを増していきました。伝統に裏付けされた中成薬を新しく見せるために、カプセルに入れたり、錠剤にしたりして、形態を西洋薬風に変え始めた薬が登場してきました。このころ現われた有名な中成薬に、牛黄(牛の胆石)を主剤にした肝炎の「片仔」や糖尿病の「消渇丸」があります。
九〇年代に入り、OTA(米国連邦議会技術評価局)が西洋医学による通常療法だけではガン撲滅が難しいとのレポートを発表すると、世界に衝撃が走りました。西洋医学がダメなら他に何があるのか。中国では「温故知新(古きをたずねて新しきを知る)」の機運が高まり、伝統医学の生薬や民間伝承薬の中からガンに効く薬効探しが始まりました。
当時、中国スポーツ界では馬軍団と称する女子の陸上チームが現われ、次々に驚異的な記録を打ち立てていました。彼女らが滋養補給のために飲んでいるスープに「冬虫夏草」が入っているのがわかると、冬虫夏草の薬効に目が向けられました。そして冬虫夏草には免疫を高める効果があると知られると、抗ガン剤として一躍注目を集め、ドリンク液などさまざまなタイプの冬虫夏草薬品が作られました。
さらに冬虫夏草以外にも各種の薬用動植物の見直しが行われ、その結果、伝承医療を発展させた「天仙丸」やそれを液剤化した「中国ナンバーワン」を始め、天津中医学院附属第一病院が酒粕に生える特殊なキノコから抽出した「泰一」などの抗ガン剤が次々に開発されました。
化粧品にも中成薬化現象が起こる
世界的に自然志向が高まると中国の最大手の化粧品会社大宝が、中医学的考え方を取り入れた中薬入りのシミ取りクリーム、痩せクリーム、豊胸クリームを矢継ぎ早に売り出し、日本にも漢方化粧品ブームが起きました。このブームに刺激を受けた他の製薬会社も、相次いで真珠粉クリーム、片仔クリームなど、その医薬的効能をうたった化粧品を開発しました。しかし、これらは薬効ををうたってあることから、中成薬と同様、日本の薬事法に規制されており、現地で購入するしかなく、土産品程度の数量しか国内に持ちこむことができませんでした。
こうした中薬入り化粧品以外にも、洗いながらマッサージするだけで痩せるという海藻石鹸などが現われては話題になり消えていきました。
中医学的考え方を取り入れた化粧品ばかりが注目された訳ではなく、中医学の得意分野である婦人科系統の中成薬も静かな流れではありますが、世界に知られるようになりました。
一九九五年、世界婦人年が北京で開かれたおり、老舗の北京同仁堂は、女性特有の婦人病に対応する中成薬を集めて展示しました。女性の人権はもとより、女性特有の生理にも目を向け、いわれなき差別を健康面から考えようとするこの試みは、タイムリーな企画として好評を博しました。
薬事法の壁
何度も中国に行き来していると、人伝てに聞いたり、記事で見た中成薬を「とてもよく効くらしいが、どうしたら入手できるのか?」という質問を友人からしばしば受けます。時には頼まれて買ってくることもありますが、日本の薬事法では、中成薬であれ西洋薬であれ未承認薬であれば、国内での宣伝販売はできないことになっています。唯一自分に必要な薬を外国で使用していた場合のみ緊急避難的措置として個人輸入ができるにとどまります。
また中成薬の主成分が自然由来の素材であるため、犀角や麝香のようなワシントン条約で希少動植物と指定されている薬材を使用した薬は、輸入が全面禁止になっています。
一般に中成薬を手に入れるには中国旅行の際、薬店で求めることになりますが、個人使用分として二カ月分ほどが税関審査で通る目安となっています。
個人輸入代行業によるインターネットでの輸入も行われているようですが、いかに簡便な中成薬といえども、薬には変わりなく、その使用方法を自己流の解釈で使用することはたいへん危険です。
最近も、日本の糖尿病患者が個人輸入代行会社から取り寄せた「漢方降糖薬」という中成薬を服用して死亡したという報道がなされました。記事によると、純天然薬と表示されていたにもかかわらず、その中には化学合成薬の血糖降下剤グリベンクラミドが入っていたようです。成分表にはグリベンクラミドの記載はなく、分析した結果、一カプセル中にグリベンクラミドが0・88ミリグラム含まれていたとのことです。使用説明書には一日三回、一回四錠と書かれており、合計すると10・56ミリグラムにもなります。これは日本の用法基準一日分の約八倍にもなります。
日本では許されない薬の分量も、中国では当たり前のこととされている場合があります。
現在の中国における中成薬開発事情や、中国人と日本人の体質の違い、薬の飲み合わせなど、中成薬を使用する場合、十分考慮されなければなりません。
中国の薬店で購入するときには、中医師や薬に詳しい専門家がいるので相談することが大切です。
求めた中成薬には必ず使用説明書が付帯されていますが、中医学独特の記載が多く、西洋医学的な病名から判断することに慣れた日本人には難解といえるでしょう。
現在では中成薬の使用説明書に日本語で書かれているものも見受けられるようになってきましたが、必ずしも翻訳が適切とはいえず、かえって混乱を起こすことがあるので注意する必要があります。
この本は、伝統的な中医学の考え方と、それに基づいて作られてきた中薬、中成薬の特徴について解説したものです。本書を読めば、中国の薬事情の一端を知るとともに、中国薬を使用する際の注意点についても理解していただけると思います。
中国は、漢方薬の本家だけあって、評判の高い薬からユーモラスな健康器具まで、日本では考えられないほどさまざまな薬や健康用品が市場に氾濫しています。前述したように、日本でも以前、育毛剤「101」や「やせる石鹸」がブームとなりましたが、これら以外にも中国では、「近視を治すゴーグル」や中薬の入った「腹巻き」など数限りなく発売されています。本書は、中国で売られている数多くの中医学に基づいて作られた中成薬と物理療法器具の中から約五〇〇種類を選び、その使用説明書を翻訳することで中成薬理解の一助になればと編集されたものです。
最後になりましたが、本書は、北京中医薬大学で七年間学んだ瀬尾港二さんという強力な相棒を得たことで実現したと言っても過言ではありません。企画・取材から翻訳作業まで同氏に負うところ大であります。また北京中医薬大学の王海祥副教授ほか、多くの中国中成薬関係者の協力を得たことを感謝いたします。
岡田明彦
●瀬尾港二(せお・こうじ)
1960年宮崎県生まれ。国際基督教大学(ICU)にて生物学専攻。1985年より中国に留学し、北京語言学院で語学研修。87年北京中医学院(現、北京中医薬大学)に入学。針灸、推拿、気功、中医内科、中医営養学を学び、92年卒業とともに中医師資格を取得。92年より北京中医薬大学付属東直門病院で、婦人科、腫瘍科の研修を受ける一方、駐在日本人向けに学習会を主宰し、中医学の普及につとめる。94年帰国。98年東京衛生園門学校を卒業し、鍼灸師、按摩マッサージ指圧師の資格を取得。現在、中医学ネットワーク事務局長、学校法人後藤学園健康管理センター勤務。現在『薬草ガーデニング』(並木書房)を執筆中。
●岡田明彦(おかだ・あきひこ)
1947年小樽市生まれ。日大芸術学部写真科中退。フォトジャーナリストとして科学、医療、環境問題に取り組み、「アサヒグラフ」、「メディカル朝日」他に多数寄稿。共著書に『現代医学の驚異』『巨大科学の挑戦』『中国気功学』『気の挑戦』『自分で治すガン』などがある。現在「LIFENCE」誌に『三国志演義にみる医療の旅』を連載中。医学ジャーナリスト協会会員。
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