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 あとがき(一部)

 イラク復興支援任務での私の体験をできるだけ正確に綴った。
  こうして「あとがき」を書いている瞬間も、2004年夏のサマーワでの出来事が次々に頭に浮かんでくる。同時にその時、抱いた感情も思い出され、口元をゆるめたり目を潤ませながら、キーボードを打ち込んでいる。多くの資料を読み、当時の日記や記憶を頼りに執筆したが、15年以上も時が経つと、記憶の欠落も少なくなく、さらに記憶が薄れていく前に執筆の機会を与えていただいたことに感謝したい。
  こうしたことができるのも、自衛隊をはじめとする軍事関係の取材、執筆を行なうカメラマン兼ライターになれたからだ。はじめて雑誌記事の執筆を依頼されたのは、自衛隊を退職してから7年後のことだった。もちろん、その7年間、無為に過ごしていたわけではない。退職した2008年には海外取材に出かけたし、自衛隊の訓練や演習の取材もいくつかこなしていた。
  だが、取材には金がかかる。わずかな退職金も底をつき、これでは活動していけないと思い、アルバイトを始めた。しかし、このアルバイトがうまくいかなかった。仕事の要領がまったく飲み込めなかったり、人間関係でトラブルを起こしてすぐ辞めて別のアルバイトを探すということを繰り返した。16歳で自衛隊に入った後は、一般社会での生活に必要なことはすべて自衛隊がやってくれ、私はひたすら職務に邁進するだけでよかった。
  一般社会で生きる知識が何もない状態で「シャバ」に出るのは、泳ぎ方も知らずに海に飛び込むようなものだった。退職してから一般社会に馴染めず、再び自衛隊に戻ってくる仲間の気持ちもよくわかる。
 
  退職して「仕事」を依頼されるまで7年。さらに本を出せるまでに6年が経過した。
  遠回りも遠回りである。同業者の中にはもっと要領よく仕事をしている人もたくさんいる。先を越されても気にしないといえば嘘になる。でも、私はこういう道をたどる運命なのだと思っている。これからもこのスタイルは変わらないだろうし、変えるつもりもない。東北岩手の人間らしく、地道に自分のやるべきことを貫いていくつもりだ。

 イラクでの任務を終えてどのくらい経った頃だろうか、イラク復興支援任務を終えて帰国した隊員が自ら命を絶つという出来事が何件か起きているという話を耳にした。正直、ショックというより戸惑いのほうが大きかった。その後も派遣隊員の自殺は増えているようだった。
  せっかく無事に帰国できたというのに……なぜ?
  自殺する者の心情は私に知る由もない。派遣任務以外の要因があるのかもしれない。
  ただ悲しかった。
  私は彼らの名前も顔も知らない。派遣時期も違う。だが、あのサマーワ宿営地で同じ体験をした「戦友」だと思っている。今は彼らの冥福を祈るばかりだ。

 

目 次

まえがき 1

1 極限の先にあるもの 11

勇ましくありたいと思っていた/戦争が始まる……/イラク派遣を「熱望」

2 いつ「イラク行き」を打ち明けるか 17

火器車輌整備班に配属/各部隊、復興支援業務の訓練を開始/アイキュー(IQ)/ミニ・サマーワで総仕上げ/まっすぐ見られなかった父の顔

3 灼熱のイラクへ 27

隊旗授与/出発、それぞれの別れ/「さあ、次はクウェートだ」

4 クウェートに到着! 35

タイを経て灼熱の地、中東へ/キャンプ・バージニア

5 戦士たちの宴会 46

人気の5円玉──物々交換で交流/緑系迷彩服着用は自衛隊だけではなかった/カフェ「グリーン・ビーンズ・コーヒー」/広場に流れるバグパイプの音色

6 サマーワにようこそ! 55

炎天下での実弾射撃訓練/C‐130輸送機でイラクへ/「サマーワ宿営地にようこそ!」

7 タフな自衛隊装備 64

起床から就寝まで/砂や熱が原因の故障はほとんどなかった/頼りになる「整備小隊」

8 市民との交流で垣間見えた現実 71

近隣の小学校を訪問/招待された子供しか参加できない

9 イラク人委託業者にびっくり 78

これがトイレ清掃?/ゴミ回収業者の「噂」/日本語を話せる若者

10 サマーワ宿営地の食事事情 83

毎朝、白米と味噌汁を食べられる/いつでも冷水が飲めるありがたさ/イラク人の「差し入れ」/厨房内は室温70度以上─過酷な糧食班勤務/宿営地の嫌われ者

11 課業後の楽しみ 90

衛星携帯電話で家族に近況報告/入浴後はノンアルコールビールで乾杯!

12 サマーワの休日 96

全周を土嚢で囲んだ「コンテナハウス」/体力練成は欠かせない/足繁く通った「メール天幕」/私物のバリカンで散髪/サマーワ流洗濯法/完全な闇の中で就寝

13 工具を銃に持ち替え、物資輸送任務 105

緊張感が絶えないQRF要員/時速80キロで疾走するコンボイ/無事に「水輸送」を終えて

14 これは訓練ではない 111

コンボイが突然の停車/兵士失格だろうか?/「これは訓練じゃないでしょ」/何も起きなくてよかった……

15 警戒勤務の長い夜 119

昼夜を問わず警戒/宿営地に近づく者

16 闇夜に響いた銃声 124

「戦場へようこそ」/ショックは後からやってくる

17 イラク戦争いまだ終わらず 128

破壊された友好モニュメント/ファルージャの大規模な掃討作戦

18 宿営地攻撃される 133

これはまぎれもない実戦だ/着弾に気づかなかった/「2303、弾着」/宿営地攻撃に訓練通りに対処できた

19 眠れない夜 140

視察官によるサマーワ視察/恐怖は後からやってきた/「新潟県中越地震」で原隊は災害派遣へ/コンテナを貫通したロケット弾/11月、撤収始まる

20 気のゆるみから断線事故 146

慈雨か涙雨か/「クレーンが上がったままだぞ!」/私を慰めてくれたヘリパイロット

21 部隊交代始まる 151

古代メソポタミアの遺跡を見学/4000年以上の歴史に思いを馳せる/3か月ぶりのキャンプ・バージニア/さよならパーティ、そして母国より援軍来たる

22 さらば、サマーワ 159

支援群長から記念メダル授与/クウェートで待っていたのは……/装備を返納し、休養/米精鋭部隊員とつかの間の交流/バスケットの「国際試合」に熱狂/クウェート大使公邸レセプション

23 クールダウン始まる 172

クウェート市内で観光、そしてホテルへ/滞在先は高級ホテル/これは休養?それとも収監?/現金盗難に遭う/祖国を侵略されるということ

24 短くも長い旅、終わりに近づく 181

帰国の途へ/母国の空/無事に降りられるのだろうか?

25「ただいま」189

帰還。皆が待つ青森駐屯地へ/「ただいま帰りました!」/3か月ぶりのわが家/アルコール恐るべし

26 派遣前の自分に戻っていく感覚 196

さらば第3次イラク復興支援群/幹部候補生試験の受験命令に困惑/戦車乗りはつぶしが効かない/迫られる決断──戦車教導隊か富士学校か

27 新たな道 204

厳しい職務。それでもやるしかなかった/12年の自衛隊生活にピリオド

あとがき 210
参考文献 214

伊藤 学(いとう・まなぶ)
1979(昭和54)年生まれ。岩手県一関市出身、在住。岩手県立一関第一高等学校1年次修了後、退学し、陸上自衛隊生徒として陸上自衛隊少年工科学校(現、高等工科学校)に入校。卒業後は機甲科職種へ進み、戦車に関する各種教育を受け、第9戦車大隊(岩手県・岩手駐屯地)に配属、戦車乗員として勤務。2004年、第3次イラク復興支援群に参加。イラク・サマーワ宿営地で整備小隊火器車輌整備班員として勤務。2005年、富士学校機甲科部に転属、砲術助教として勤務。2008年、陸上自衛隊退職。最終階級は2等陸曹。現在、航空・軍事分野のカメラマン兼ライターとして活動中。