著者のことば(一部)
米軍が作成した報告書と戦後の文献は、カミカゼを「自殺(suicide)パイロット」としており、本書では便宜上「自殺」の言葉を使用している。しかし、「自殺」は特別攻撃を行なった者の行為に対する表現としてふさわしくないと考えている。
国土が侵攻される状況に直面した時、軍国主義の日本政府は、家と家族を守る唯一の方法は、航空機、舟艇、その他の武器を使って自らの体を米艦艇に突入させることが最も効果的だとして特別攻撃を行なう者を説得した。
日本軍パイロットの多くはこの政府の主張が正しいとは思っていなかったが、彼らは男性がしばしば戦場で見せる行為を実践した。命令に従い、家族、友人、そして国のために自分自身を犠牲にしたのだ。これは自殺とはまったく異なる。
特別攻撃隊員の行為を自殺と記載している報告を必要上引用しているが、最初にこれを区別しておくことは重要だと考えている。日本人でこの任務を自殺と考える者はいない。この方法を「必要に迫られた特別兵器」と考えている。私は自殺と表現することに同意できないが、すべての公式記録が自殺を使用しており、表現を変えると混乱が生じるため、この言葉を使わなくてはならない。
陸軍航空本部長だった河辺正三大将は、戦後の米軍の尋問に対して次のように語った。
「連合軍は、カミカゼ攻撃を『自殺』攻撃と呼んでいる。これは誤解であり、これを『自殺』攻撃と言われることは不快である。彼らは『自殺』ではない。自殺をしようと思って任務に就いたパイロットはいない。彼らは自分自身を、祖国のために敵艦隊を少しでも破壊することのできる人間爆弾と考えていた。これを名誉あることと考える一方で、自殺は名誉なことだと考えなかった」(1)
この尋問に対して、ラムセイ・D・ポッツ陸軍大佐は「このような行為を表現できるほかの言葉がないので、『自殺』と言っていた」と述べた。
目 次
著者のことば 1
翻訳にあたって 6
序章 レーダー・ピケット(RP)任務 13
沖縄侵攻「アイスバーグ作戦」13
ピケット艦艇が攻撃目標になった 15
陸上レーダー施設の必要性 17
過労と神経衰弱 20
最も困難な任務 21
第1章 駆逐艦と武装小型艦艇 23
さらに激しいカミカゼ攻撃を予想 23
戦闘空中哨戒(CAP)との調整 24
レーダー・ピケット艦艇(RP艦艇)の概要 25
機動砲艇 28
ロケット中型揚陸艦 29
大型揚陸支援艇LCS(L)Mk.3 31
駆逐艦 34
敷設駆逐艦(DM)40
掃海駆逐艦(DMS)40
護衛駆逐艦(DE)41
RP艦艇の戦術 42
効果的なCAPの運用 46
友軍誤射 47
カミカゼに対する戦術 48
第2章 航空戦闘 51
戦闘空中哨戒(CAP)51
CAPの戦闘機部隊組織 53
海兵戦闘飛行隊が沖縄に到着 58
サンダーボルトが伊江島に到着 64
救難作業 67
米軍の航空機 68
FM-2ワイルドキャット 68
F4Uコルセア 70
F6Fヘルキャット 73
P-47Nサンダーボルト 75
F6F-5Nヘルキャット 76
P-61ブラック・ウィドウ 76
日本軍機と米軍機の比較 77
カミカゼ 80
天号作戦 82
日本海軍航空隊 88
日本陸軍航空部隊 91
第3章“地獄の戦い”始まる 96
1945年3月24日(土)96
3月26日(月)96
3月30日(金)98
3月31日(土)99
4月1日(日)100
4月2日(月)102
4月3日(火)103
4月4日(水)106
4月5日(木)107
4月6日(金)109
4月7日(土)123
4月8日(日)126
4月9日(月)128
4月10日(火)129
4月11日(水)129
4月12日(木)130
4月13日(金)154
第4章 彼らは群になってやって来た 159
4月14日(土)159
4月15日(日)161
4月16日(月)164
4月17日(火)183
4月18日(水)185
4月20日(金)187
4月21日(土)187
4月22日(日)188
4月23日(月)193
4月24日(火)194
4月25日(水)194
4月26日(木)195
4月27日(金)?28日(土)195
4月29日(日)?30日(月)204
第5章 死んだ者がいちばん幸せだった 210
5月の概況 210
5月3日(木)?4日(金)210
5月5日(土)?6日(日)245
5月7日(月)?9日(水)246
5月10日(木)?11日(金)247
第6章 心からの「よくやった」266
サンダーボルトが到着 266
5月12日(土)?14日(月)266
5月15日(火)?19日(土)270
5月20日(日)?22日(火)279
5月23日(水)?25日(金)280
5月26日(土)?31日(木)290
5月のRP艦艇状況 301
第7章 勇気の代償 303
6月の概況 303
6月1日(金)?2日(土)303
6月3日(日)?7日(木)304
6月8日(金)?12日(火)317
6月13日(水)?17日(日)328
6月18日(月)?22日(金)328
6月24日(日)337
6月25日(月)337
6月30日(土)339
7月1日(日)339
7月2日(月)?13日(金)340
7月14日(土)342
7月29日(日)343
7月30日(月)?31日(火)347
8月1日(水)?6日(月)347
8月7日(火)?8日(水)348
8月9日(木)?13日(月)348
8月15日(水)349
第8章 RP艦艇がこうむった大きな損失 351
損失は許容範囲内である 351
カミカゼ攻撃の特性 351
日本軍パイロットの経験不足 353
武装小型艦艇の不適切な運用 353
任務に適していない艦艇の配置 355
不適切なRPSの戦力 357
陸上レーダーの早期設置に失敗 359
乗組員の疲労 360
訓練時間の不足 362
RP艦艇が多くの艦艇を損害から救った 363
資料1 レーダー・ピケット(RP)任務における艦艇の損害 365
資料2 沖縄のレーダー・ピケット(RP)任務に就いた艦艇 368
資料3 日本軍機 RPS攻撃に使用された機体 371
資料4 機体識別(海軍省海軍情報部)373
資料5 日本軍飛行場と主要用途 380
脚注 382
参考文献 396
翻訳で利用した主な引用・参考文献 419
Robin L. Rielly(ロビン・L・リエリー)
1942年生まれ。沖縄戦当時、父親がLCS(L)-61に乗艦していたことから、USS LCS(L) 1-130協会で約15年間歴史研究を行なう。1962?63年、海兵隊員として厚木で勤務。シートン・ホール大学修士課程卒業。ニュージャージー州の高校の優等生特別クラスで米国史、国際関係論を32年間教え、2000年退職。本書を含め日本の特攻隊、米海軍揚陸作戦舟艇関係の本を5冊執筆。『Kamikaze Attacks of World War II』『Mighty Midgets At War』『American Amphibious Gunboats in World War II』『Kamikaze Patrol』。空手に関する著書も多く、International Shotokan Karate Federationで技術副委員長を務めるかたわら自ら空手を教えている。現在8段。
小田部哲哉(おたべ・てつや)
1947年生まれ。三菱重工業(株)の航空機部門で勤務。退職後は月刊誌『エアワールド』に「アメリカの航空博物館訪問記」を、月刊誌『航空情報』に「アメリカ海兵航空隊の歴史」をそれぞれ連載したほか、ヘリコプター関連記事を月刊誌『Jウイング』に掲載した。母方の伯父が第14期海軍飛行専修予備学生出身の神雷部隊爆戦隊員として鹿屋から出撃、未帰還となったことから航空機や航空戦史に関心を寄せていた。
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