2011年4月11日──東日本大震災から1カ月後、週刊「プレイボーイ」の取材で、筆者(小峯隆生)は航空自衛隊「松島基地」にいた。
滑走路の脇には大津波に見舞われた格納庫があり、そこに被害に遭った教育用F‐2B戦闘機が収容されていた。
かつて東海大学工学部航空宇宙学科で航空機設計を学び、航空技術者をめざしていた筆者の青春の思い出が蘇った。
どんな姿になっているのか? どうしても、F‐2Bをひと目見てみたい!
広報の担当者に懇願して、内部を見る許可をようやく得ることができた。ただし、カメラ、携帯電話、ICレコーダーなど記録機材の持ち込みは禁止。身ひとつで格納庫に入った。
うす暗く、まるで遺体安置所のような雰囲気がただよう格納庫に、一機あたり120億円もする国産戦闘機のF‐2B(複座型)が並べられていた。
3月11日、松島基地を襲った大津波は、滑走路や格納庫にあった18機のF‐2Bをすべて押し流した。主翼のラダー(方向舵)、パイロン(支柱)類は津波の力で損傷し、主脚の車輪は泥にまみれていた。
増槽(燃料タンク)を機体下部に装着したF‐2Bはさらに被害が大きかった。F‐2Bのエアインテーク(空気取入口)からエンジンノズル(噴射口)まで、大波に貫かれていた。
荒々しくアフターバーナーの炎が噴き出すはずのエンジン後部からは、枯れ草が垂れ下がり泥にまみれていた。
二度と、彼らは大空に羽ばたくことはできないだろう。ひと目見てそう感じた。
「機体を少しさわってもいいですか?」
広報担当者にたずねた。
「いいですよ」
筆者は、頭を垂れ、機体にそっと手を触れた。
カーボン製の主翼は死人のように冷たく、飛行機に宿る魂が失われていた。
別れ際、もう一度、泥にまみれたF‐2Bの翼に触れた。その翼はやはり冷たかったが、大空を飛びたがっているように感じられた。
死んだ人間は生き返ることはないが、もしかしたら、F‐2Bは蘇ることができるかもしれない。日本には優秀で素晴らしい航空技術者が大勢いる。彼らならこの翼にふたたび魂を宿すことができるかもしれない。
(必ず飛んで、ここに戻って来いよ)
──その思いはやがて現実となった。
目 次
第1章 地震発生! 23
傷ついたF‐2Bとの出会い/運命の「飛行訓練中止」/地震発生、その瞬間/機付長の矜持/F‐2の苦難の道のり
第2章 松島基地の戦い 34
飛行機が追って来る/「津波が来るから、逃げろ!」/司令の対処方針/難を逃れたブルーインパルス/パイロットだからわかること/混乱する避難/津波襲来!/松島基地の被災状況/損傷機を並べた理由/後悔するのはやめよう/米海兵隊は本当の作戦をしている/災害救援の拠点として/本格化する救援活動/F‐2Bはもう駄目か/災害派遣の収束と本来の任務/これは自分の宿命なのか
第3章 空幕「チーム松島」始動! 90
「チーム松島」の発足/F‐2Bは蘇るのか?
第4章 F‐2B復活プロジェクト─三菱重工業小牧南工場 98
製造ライン閉鎖を延期/F‐2戦闘機の実力/損傷機の第一印象/始まった損傷機の検分/意外に小さかった損傷の程度/F‐2Bの執刀医/空幕長のリーダーシップ/米空軍への感謝
第5章 エンジン修復─IHI瑞穂工場 118
まずはエンジンの水洗い/一刻も早く修理に着手を/できる方法を考えよう
第6章 蘇った松島基地 129
復興と任務のはざまで/上空から見た荒野の松島/もう一つの重要な任務
第7章 エンジン復活の瞬間 138
汚れたエンジンの洗浄/どこまで検査すればいいのか?/エンジン復活の瞬間/もうひとつの「チーム松島」
第8章 世界でも例のない仕事 151
復活した一番機は「マルロク」/機体の組み立て完成まで/技術者の喜びと伝統/純国産戦闘機実現に向けて
第9章 F‐2B、松島帰還! 164
マルロク、三沢に生還/第21飛行隊の戦い/異例の人事発令/日本人ならではの発想/ふたたび響く轟音、そして感慨/マルロクの今/試練を乗り越えて/団司令の統率方針/平成の零戦/多くの人々の思いを乗せて/授かった命
あとがき 211
小峯隆生(こみね・たかお)
1959年神戸市生まれ。2001年9月から週刊「プレイボーイ」の軍事班記者として活動。軍事技術、軍事史に精通し、各国特殊部隊の徹底的な研究をしている。著書は『新軍事学入門』(飛鳥新社)ほか多数。日本映画監督協会会員。日本推理作家協会会員。筑波大学非常勤講師、同志社大学嘱託講師。
柿谷哲也(かきたに・てつや)
1966年横浜市生まれ。1990年から航空機使用事業で航空写真担当。1997年から各国軍を取材するフリーランスの写真記者・航空写真家。撮影飛行時間約3000時間。著書は『知られざる空母の秘密』(SBクリエイティブ)ほか多数。日本航空写真家協会会員。日本航空ジャーナリスト協会会員。 |