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はじめに

―昭和二十年七月初頭

 大東亜戦争が終戦を迎える一カ月前の昭和二十年七月初頭、関東方面における本土決戦を任務としていた第十二方面軍司令官は、上陸侵攻する敵を迎え撃つための陣地線(防御ライン)を天然の要害ともいうべき下総台地などの堅固な地形から、拠るべき地形地物に乏しい九十九里浜などの水際の平地部に推進することを決心した。
これにより、指揮下部隊の将兵たちは、前年十月頃から営々と築いてきた数多くの拠点陣地を捨て、海岸沿いの平坦地に新たな陣地を掘り直すことになった。
自らの死地と覚悟し、地下壕を張りめぐらした陣地を精根傾けて構築していた第一線部隊の指揮官らは、方面軍司令官からの突然の変更命令に接し、あらためて海岸付近を現地偵察して、その地形強度の格差に愕然とした。そして、悲愴な決意をもって部隊を水際部の近くまで前進させ、新たな陣地を構築することを命令した。
この第十二方面軍司令官の決心は、大本営陸軍部が昭和二十年六月二十日に参謀次長名をもって通達した「本土決戦根本義ノ徹底ニ関スル件」に従って水際決戦の趣旨を徹底し、具現化するためのものであった。この「本土決戦根本義ノ徹底ニ関スル件」では、沿岸配備兵団に対して概ね以下のようなことを要求していた。

● 決戦方面における沿岸配備兵団等にあっては、いかなることがあっても「戦況の苦難を理由にして当面の決戦を避け、後退して持久を策する」ことがあってはならない。このような観念は、本土決戦の真義に反するものである。
● 自己健存の思想のごときは断固排撃し、その任務が明示するところに決勝を期し、各人各部隊、皆が「我が身を捨てて敵を撃つ」という戦法に拠らなければならない。
● 沿岸配備兵団および部隊は、その任務に基づき戦闘の要領を律するべきではあるが、いやしくも要域の領有ないしは時間的持久のような「守勢的観念」は、これを根本的に払拭しなければならない。 ● 陸上作戦に任ずるものは、成し得る限り「水際における敵の必然的弱点」を追求すること。これを作戦指導の主眼とし、飽くまで敵を沿岸に圧倒撃滅するように図らなければならない。

このように、終戦直前の本土決戦準備において、大本営陸軍部が第一線部隊に対し「一切の経緯より毅然として脱却」して水際部に新たな陣地を掘り直すことを強要した真の目的については、今日でもさまざまな見解がある。たとえば、「火力戦から白兵銃剣主義への急転回」とするものや、「敗戦必至の情勢下における自暴自棄的玉砕戦法の採用」、「軍事的合理性を捨てて華々しくその最期を飾るための戦死決心の戦い」などが一般的である。しかし、このような悲観的な見方からは、こうした重大な作戦方針の変更について納得しがたい点があまりにも多いのである。 はたして、本土決戦を準備していた日本陸軍が終戦直前に「後退配備」から「水際撃滅」へと作戦思想を急転換させた真意はどこにあったのか? いずれにせよ、大東亜戦争末期に我々の先人が軍・官・民一体となって心血を注ぎ準備した本土決戦とは、我が国における数少ない「国土防衛に関する歴史的事実」である。
大東亜戦争の終戦から七十年目を数え、我が国周辺諸国の脅威が増大する一方で、農業改革や集団的自衛権の容認など、「戦後以来の大改革」が着々と進みつつある今日こそ、この本土決戦準備という「歴史的事実」に先人の苦悩の跡を訪ね、往時を偲び、隠されてきた史実を究明して国防上の教訓を学びとる必要があるだろう。




目 次

はじめに――昭和二十年七月初頭 1

第一章 上陸作戦と対上陸作戦 15

1 上陸作戦とは? 15
上陸する側の最大の弱点/「奇襲」から「強襲」へ
2 対上陸作戦とは? 18
上陸地点における戦力の集中競争/「水際配備」か「後退配備」か?/避けられない後退配備の問題点/水際配備から後退配備、そして水際決戦へ

第二章 日本陸軍の対上陸作戦思想の背景 24

1 元 寇 24
日本史上で唯一の本土防衛「元寇」/後退配備により苦戦した文永の役/水際配備により圧勝した弘安の役
2 林子平の『海国兵談』32
「国土に上陸する前に海で叩け!」/日本人に領土というものを意識させた先覚者
3 吉田松陰の「黒船撃滅作戦」37
日本人を見下していた黒船ペリーの尊大さ/「先ず海戦、次いで陸戦で撃滅」/鎌倉武士を再現した海上での襲撃と焼き討ち/「敵上陸時の弱点」を徹底して突け/黒船撃滅の作戦構想こそが勇気ある行動の原動力/欧米人から高く評価されていた幕末・明治の日本人

第三章 明治陸軍の国土防衛とプロシア流戦術 44

1 プロシア式戦術教育の導入 44
国内の治安重視から国土防衛重視へ/メッケル少佐の招聘/攻勢作戦を基本とするプロシア流戦術
2 鎮台制から師団制へ 51
メッケル少佐の『日本国防論』/地域の防衛警備から野戦主体へ/国防方針は守勢作戦から攻勢作戦へ

第四章 大東亜戦争――島嶼守備作戦と松代大本営 57

1 島嶼守備作戦から本土決戦へ 57
本土防衛の前哨戦「島嶼守備作戦」/幻のフィリピン「決戦」/本土決戦への非常なる決意/ 「後退配備」による沿岸撃滅
2 大本営移転計画とインパール作戦 65
陸軍省によって進められた「大本営移転計画」/インパール作戦の認可と作戦構想/前代未聞の師団長更迭/師団長の独断撤退で千載一遇の「勝機」を失う
3 松代大本営と内陸作戦 73
松代大本営-一遷都」計画へ/「松代遷都」の工事了承と対ソ融和・接近政策/海軍による特攻作戦の開始と「松代倉庫」の工事着手/松代遷都による内陸作戦の様相/内陸作戦を可能にする戦略的な三条件/昭和天皇の大御心と国民に対する道義的責任/帝都固守の方針決定と建設工事の継続/親ソ派軍人たちの暗躍とソ連の対日参戦準備

第五章 対上陸作戦思想の混迷 88

1 後退配備・沿岸撃滅か、水際撃滅か? 88
『決号作戦準備要綱』の策定とその思想/メッケル戦術が色濃く残った『決号作戦準備要綱』/第八方面軍司令官・今村大将の透徹した信念/徹底した水際撃滅―『剛部隊作戦教令』
2 後退配備が包含する重大な問題 94
後退配備を捨てきれなかった『国土決戦教令』/水際撃滅に徹しきれなかった二つの理由/敵上陸企図判断の限界と非制空権下の戦い/戦場における住民への対応
3 水際撃滅思想の普及 101
本土と島嶼の本質的な違い/本土決戦を待たずに自滅した連合艦隊/水際撃滅の必要性と可能性/『国土決戦戦法早わかり』と『国土築城実施要綱追補』

第六章 沖縄作戦の「戦訓」109

1 沖縄作戦における水際撃滅の放棄と持久戦 109
「西太平洋の要石」沖縄の戦略的価値/一個師団を台湾防衛に抽出され、戦力が三割減/「想定外」だった慶良間列島への米軍上陸/慶良間列島での住民集団自決/大本営の意に反して水際撃滅を放棄/硫黄島に比べて広大な沖縄本島
2 沖縄戦場から帰還した将校による証言 121
飛行場を奪回すべし! 航空参謀・神少佐の意見/攻勢転移の中止と夜襲の失敗/神少佐の隠密脱出と沖縄作戦に関する報告/森脇大尉が伝えた地上戦闘の教訓
3 沖縄作戦の戦訓がもたらした意識改革 130
「真新しき深刻なる沖縄戦の報告」/作戦思想を統一して混乱を回避/米軍の「馬乗り戦法」と洞窟式陣地の危険性/軍官民協力した住民保護の重要性
4 艦砲射撃は日本軍に損害を与えなかった 138
困難な「間接照準射撃」/戦史にみる「上陸前の艦砲射撃」の効果/硫黄島作戦は「特異なケース」だった

第七章 日本陸軍の「覚悟」――水際撃滅の徹底へ 146

1「自己健存思想」を打破する先人の偉業 146
本土決戦において「洞窟式陣地」は必要なかった/ただ生き残るために洞窟を掘り続けた/絶体絶命の国土防衛戦をいかに戦うか?/「元寇」にみる本土防衛の心構え
2 水際撃滅とは「刺違い」の戦いである 155
本土決戦の意義と見通し/『本土決戦根本義ノ徹底ニ関スル件』/起案者・原四郎中佐の透徹した信念
3 人的戦力の充実と特攻戦法の開発 164
三次にわたる兵備下令の達成/国内戦に備えた軍令・軍政機構の構築/兵力の短期・大増強を可能にした国民皆兵制度の改訂/対戦車特攻戦法の開発/海軍の特攻作戦準備/特攻兵器ではなかった「丸レ」

第八章 作戦構想の変更と第一線部隊の戸惑い 172

1「水際撃滅」以前 172
第十二方面軍の新戦闘序列と敵情判断/昭和二十年七月中旬までの第十二方面軍の作戦構想/九十九里浜正面を担当する第五十二軍の作戦構想/第十二方面軍の作戦構想に見られる「メッケル戦術」/第十二方面軍作戦構想の限界
2「水際撃滅」の徹底 180
水際撃滅の徹底を命じた『総軍決戦綱領』/『第一総軍決戦綱領』の概要/洞窟式陣地を捨て、水際付近に陣地を構築/「新たな戦い方」への第一線部隊の戸惑い

第九章 本土決戦に勝算はあったか? 189

1 前線も銃後もない「軍民一体」の戦い 189
本土空襲の激化と一般国民の被害増大/民有地における陣地構築/防空監視体制への国民の協力/沿岸部における住民避難の実態/国民に対する道義的責任
2 米軍の上陸作戦構想と日本軍の勝算 197
米軍の対日侵攻「ダウンフォール作戦」/関東地区侵攻「コロネット作戦」の概要/「コロネット作戦」における戦術的な欺騙行動/日本軍に勝算はあったのか?/壮絶なる九十九里浜での最終決戦

第十章 大東亜共同宣言とポツダム宣言 206

1 大東亜共同宣言 206
大東亜共栄圏建設の夢と希望/世界史画す、十億の総意
2 カイロ宣言 211
蒋介石の戦線脱落とカイロ会談/史実に反する嘘だらけの宣言
3 ポツダム宣言 214
ヤルタ密約とポツダム会談/アメリカの事情により強行的になされた宣言/アメリカの「焦慮」とポツダム宣言/皇室と立憲君主制を認めていたのか

第十一章 日本陸軍の「終戦」戦略 223
1 アメリカの対日戦略の変化 223
アメリカ人も認めていた無差別爆撃の非人道性/ヨーロッパ戦線での失敗を繰り 返すな/『国體』護持をほのめかす対日秘密工作/原爆投下と対日侵攻作戦の変更
2 日本陸軍の対米「終戦」戦略 230
「ポツダム宣言」なる謀略宣伝を無視/水際撃滅による「一撃講和」戦略/天皇の国家統治とは日本の『国體』そのもの/昭和天皇の聖断でポツダム宣言受諾/昭和天皇は「一撃講和」派を説得されたのか?
3 日本陸軍の対ソ「阻止」戦略 236
終戦の遅れによるソ連軍の南下を「阻止」/親ソ派軍人たちの暗躍/終戦阻止のためクーデターを計画/終戦の詔勅とクーデターの失敗/天皇の命令を最も忠実に伝える
4 終 戦 244 帝国海軍の終焉に殉じた将軍たち/戦艦ミズーリに掲げられた星条旗

おわりに――『国體』を危うくした日本陸軍の「内なる敵」 247
合理主義と武士道精神を兼ね備えていた明治の日本陸軍/コミンテルンの対日本軍工作と真崎甚三郎大将/病魔に侵されていた大東亜戦争中の日本陸軍/「君側の奸」はいたのか?/強い力と正しい心に支えられた『道義国家』たれ

主要参考文献 254

あとがき 256

 

あとがき

本書は、平成二十四年四月六日から同年九月二十一日までの約半年間にわたり、メールマガジン「軍事情報」に『本土決戦準備の真実―日本陸軍はなぜ水際撃滅に帰結したのか―』というタイトルで連載した記事をベースに加筆修正したものである。
メルマガでは、古い歴史と優れた伝統を持つ日本の国、ユーラシア大陸に沿って西太平洋上に連なる列島からなる日本の国土を敵の武力侵攻からいかにして守るか、という古今に通じる難解なテーマについて、先人達の苦心の跡を訪ねながら読者の皆様にわかりやすく解説しようと試みた。
このため、まずは上陸作戦や対上陸作戦といった戦術・戦法の基礎的なことや元寇、江戸・幕末の海防思想など歴史的な事象を踏まえ、次いで大東亜戦争における日本陸軍の対上陸作戦思想の変遷について史実や当時の公文書などを戦略・戦術的な観点から紐解いて記述した。地名とその位置関係や作戦行動のように文字だけでは十分に表現できない部分については、今回の単行本化にともない付図を併用することでこれを補うことができた。なお、旧文献からの引用箇所は、文語体、旧仮名づかいであったものを筆者がすべて現代口語訳した。
また、各章の冒頭や文中では古今東西の軍人や武将たちが語った言葉をできるだけ多く引用することにより、戦略・戦術や統帥、戦場の実相などに関して印象的に理解できるようにと考えた。それらは戦場を知らない人間が頭の中だけで考えた言葉ではなく、指揮官や参謀としての実戦体験を通じて語った簡潔にして血のにじむような言葉であり、私たちが軍事・国防を学ぶ上で多くの示唆に富み、重要な教訓に満ちているからである。
さらに、文中では敵である米軍側からの視点も努めて多く交えることにより、戦争と国民性というものの本質にも迫ることができればと考えた次第である。
本書のメインテーマである「日本陸軍を徹底した水際撃滅に帰結せしめたもの」については大小さまざまな要因が複雑に絡んで簡単には説明できず、最も苦労したところである。これまで多くの文献などでは「自暴自棄的な玉砕戦法」などとして簡単に片付けてきたが、これに対して本書では、できる限り多くの史実を検証しながら、水際撃滅が戦理・道義の両面から最も望ましい戦い方であることを明らかにしようと努めた。
メルマガで掲載した記事を本書の原稿に手直しする過程で、日本陸軍が大東亜戦争末期に蔓延した自己健存思想を毅然として捨て去り、水際撃滅に徹したことの本質が「西欧的合理主義」から脱却し、日本人の伝統的な「武士道」の精神に回帰したことにあるとの思いをあらためて強くした次第である。
また、日本陸軍の最終的な戦略を述べるに当たっては、大東亜共同宣言からカイロ宣言、そしてポツダム宣言が発せられた経緯とそれぞれの宣言文を新たに書き加えて一つの章とした。この際、こうした重要な宣言について、あえて省略することなく全文を現代口語訳して載せたのは、これらこそが歴史を客観的に物語る「史実」が濃縮されたものだからである。
そして、あの戦争にはそれまでの日清戦争や日露戦争にはなかった「内なる敵」が存在していた(日米共に)ことを明らかにしなければ、解けない疑問があまりにも多いので、あえてこれを「おわりに」として付け加えた。
大東亜戦争終戦から七十年の節目となるこの年に、少しでも多くの日本人が東京裁判史観、祖国を嫌悪する自虐史観や、戦争・軍隊を絶対悪としか見ることができない反戦平和思想といった短絡的な歴史観や思想を離れ、祖国の防衛に努めた良識ある軍人たちの労苦を思い、戦いに散った英霊たちに感謝の誠を捧げながら日本人として誇り高く生きていくことを願うものである。
同時に、今も変わらない謀略の渦巻く国際社会の冷厳さを深く認識して、常に警戒を緩めず、護りを固めることが、敗戦と占領がもたらした古い体制を打破する道であるものと確信する。
この書が日本人としての誇りと喜びを取り戻し、「道義に篤く、強靭な国防国家・日本」を再建することに少しでも貢献できることを切に願うものである。

 平成二十七年六月 家村和幸

 

家村和幸(いえむら・かずゆき)
兵法研究家、元陸上自衛官(二等陸佐)。昭和36年神奈川県生まれ。聖光学院高等学校卒業後、昭和55年、二等陸士で入隊、第10普通科連隊にて陸士長まで小銃手として奉職。昭和57年、防衛大学校に入学、国際関係論を専攻。卒業後は第72戦車連隊にて戦車小隊長、情報幹部、運用訓練幹部を拝命。その後、指揮幕僚課程、中部方面総監部兵站幕僚、戦車中隊長、陸上幕僚監部留学担当幕僚、第6偵察隊長、幹部学校選抜試験班長、同校戦術教官、研究本部教育訓練担当研究員を歴任し、平成22年10月退官、予備自衛官(予備二等陸佐)となる。現在、日本兵法研究会会長として、兵法及び武士道精神を研究しつつ、軍事や国防について広く国民に理解・普及させる活動を展開している。著書に『―戦略・戦術で解き明かす―真実の「日本戦史」』(宝島SUGOI文庫)、『図解雑学―名将に学ぶ世界の戦術』(ナツメ社)、『―戦略と戦術で解き明かす―真実の「日本戦史」戦国武将編』(宝島SUGOI文庫)、『闘戦経―武士道精神の原点を読み解く』『兵法の天才 楠木正成を読む―河陽兵庫之記 現代語訳』(並木書房)、『なぜ戦争は起きるのか―この一冊で本当の「戦争」が解かる』(宝島社新書)、論文に「支那事変拡大の経緯を戦略・戦術的思考で分析する!」(別冊宝島「南京大虐殺」という陰謀)、「戦略・戦術的思考とは何か」(「ほうとく」平成20年新年号)、「尖閣防衛は国境警備隊で」(雑誌「正論」平成23年6月号)、「自衛隊は何を守り、何と戦うのか―革命政権に文民統制される『暴力装置』の危うさ」(撃論2011.4 Vol.1)、「歴史教科書と国防意識」(雑誌「正論」平成23年8月号)など多数ある。