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巻頭[特別対談]佐藤優・河合洋一郎

――(編集部、以下略)どういうきっかけでこの本を翻訳しようと思ったんですか?

河合 以前、佐藤さんと対談した時にも話題になったんですが、一般的に日本人は中東情勢をあまり理解できていません。84パーセントの石油を中東に頼っているというのにです。ここ数年、世界で大問題となっているイランの核問題も、これはもう危機と呼んでいいと思うんですが、日本のマスコミ報道だけではその本質はよく見えてこない。だからイランの核問題とは何か、イランがどういう国なのかを理解する材料を提供したいと思ったんです。各国の諜報活動の極秘情報満載で、読み物としても非常に面白い。

佐藤 ハンパじゃない情報量ですよね。民間会社でこれだけのデータや秘密情報を手に入れようとしたら、ざっと計算してみましたが、30億円はかかります。そのくらいの価値がある。日本ではイラン情勢について二重にバイアスのかかった情報が蔓延しています。ペルシャではなくアラブ専門家の見たイラン情勢、そして親PLO・反イスラエル的な偏見です。たとえば日本の政治家の圧倒的多数は、イランはペルシャ人の国ということさえ知らない。アラブ諸国の一つだと思っている。もちろんペルシャとアラブの基本的な対立の構図すらわかっていない。だから、日本がイラン核問題を解決できるんじゃないかと、大いなる勘違いをして鳩山元首相がのこのことテヘランに出かけて行って、ただでさえ複雑な状況をさらに複雑にして国際社会から大顰蹙を買うというようなことが起きてしまう。

河合 あれは何か裏の理由があったんですか? アメリカからメッセージを託されていたとか……。

佐藤 ない。まったくの飛び込み。友愛の精神でいけば、イランとアメリカを仲直りさせられると信じ込んでいただけ(笑)。イラン革命以後の両国の根強い確執なんてまったくわかってないわけです。だから、いまの日本にはイランの実情を知るための基本書が必要なんです。そういう意味でこの本のレベルは非常に高い。鳩山元首相もこの本を読んでいれば、イランに行かなかったでしょうね。

河合 反体制派を暗殺しまくったり、代理組織を使って世界中でテロをやっていたことなどが詳細に記されていますからね。それに対抗するモサドやCIAの成功と失敗が包み隠さず書かれています。笑える話もありますよね。イラン・コントラ事件の時にイスラエルがイランに使い物にならないミサイルを送ったら、その埋め合わせとしてアメリカがイスラエルに提供したミサイルも使用期限切れだったとか(笑)

佐藤 ええ、イラン革命時に王家のトラとライオンが暴徒に殺されて泣いている元ゲシュタポの動物園園長を、イスラエルの駐在武官が慰めるエピソードなんかも面白かったですね。歴史の皮肉を感じました。(以下略)


目 次

[特別対談]佐藤優・河合洋一郎 1
プロローグ 13
1 イラン王政の黄昏:ホメイニの力を見誤った 17
2 イランからの脱出:反イスラムの嵐 43
3 シーシェル作戦:イスラエルのイラン支援 66
4 危険なゲーム:レバノン戦争とヒズボラの誕生 78
5 貧者のスマート爆弾:自爆攻撃の創始者 93
6 イスラエル諜報の迷走:ヒズボラの台頭 110
7 ヒズボラの誘拐作戦:世界最悪のテロリスト 130
8 ハンガリアン・オクタゴン:イラン・コントラ事件秘話 158
9 暗殺者たち:ホメイニの処刑リスト 186
10 ボディ・ヒート作戦:未解決のアラド事件 207
11 ブエノスアイレスの爆弾テロ:地獄という名の街 234
12 テロの輸出:イランの資金援助 255
13 新たな標的:イラン・北朝鮮の偽ドル紙幣 268
14 アルカイダ・コネクション:イランの財政援助 291
15 神聖なる勝利:レバノン撤退 322
16 戦争準備:ヒズボラの攻勢 343
17 火炎に注がれる油:対テロ戦争 363
18 シロアリ・ファイル:イランへの化学兵器売却 402
19 ロシア製原子炉:再開したイランの核開発 423
20 カウントダウン:カーン博士の告白 437
21 亡霊の攻撃:シリアの核施設空爆 466
22 第2次レバノン戦争:イスラエルの失敗 483
エピローグ 501
参考文献および情報源について 509

 

エピローグ

 2008年2月12日に夜遅くまで仕事をしていた者は、閉ざされた部屋の中にいても、あの爆発音を聞いたはずだ。ダマスカスのスーサ地区に住んでいるか、またはそこで仕事をしていた他の者と同様、ニサン通り17番地の建物内にいた人々も、すぐ前で何が起きたのかを見るために窓に駆け寄ったであろう。彼らは道の真ん中で爆発した三菱パジェロが炎を吹き上げている光景を見た。のちに彼ら、そして世界は、車の中からヒズボラの最高司令官が黒焦げの死体となって見つかったことを知る。イラン革命防衛隊の子飼いで、ヒズボラの輝ける作戦頭脳であった男の死体が、である。
  ダマスカスで発生したイマッド・マグニエー暗殺は、どんなに逃げるのがうまい獲物でも、ハンターの側に腕と意思と忍耐力があれば、最後には仕留められる、という警告のメッセージであった。30年近くイスラエルとアメリカ情報機関の最大の標的だったこの巨大なテロリストを葬った爆発音は、ハレッド・メシャールの耳にもよく聞こえたであろう。爆発が起きた時、このシリアに亡命しているハマスの指導者は、現場から数百メートルしか離れていない場所でシリア情報部の将校たちとミーティングを行なっていたのだ。
  数週間前までダマスカスに駐在していたあるヨーロッパ情報機関のオフィサーは、モサドの犯行とされている暗殺が引き起こした恐怖は、ダマスカスにいるヒズボラ、ハマス、イスラミック・ジハードといったイスラム過激派組織のメンバーたちの目の中に見て取れたと言う。恐怖はシリア情報部の警備要員の困惑した表情の中にも明らかに見られた。ダマスカスのど真ん中の最も警備の行き届いた地区でマグニエーの暗殺が可能ならば、ニサン通り17番地にいる人々も含めて誰でも暗殺のターゲットになり得ることを彼らは思い知らされた。
  この住所は、シリア原子力委員会の建物群がある場所だった。そこで働いている数百名の人々は、その5カ月前に7機のイスラエル空軍ジェット機による空爆で、北朝鮮の援助でシリアが進めていた核開発計画が瓦礫と灰塵に帰し、大打撃を受けていた。
  イスラエルは犯行を否定したが、マグニエー暗殺のような作戦はイスラエル情報機関に対する国民の信頼を回復させるのに必要なことだった。さらに重要だったのはイスラエル情報機関への敵の恐怖を甦らせたことだ。暗殺者は、この極めて警戒心の強い逃亡の達人の居場所を特定し、秘密警察がそこらじゅうで目を光らせている首都のど真ん中で、彼のSUV(高性能四輪駆動車)に本人以外は殺さないように爆薬を仕掛けた(テルアビブの情報機関員は、「新車のパジェロにもったいないことをした」と笑った)。過去にモサドの評判を高めてきたのは、こういった作戦だった。
  ダマスカスで実行された暗殺は、マグニエーに対してこの4半世紀に行なわれた一連の暗殺計画の最後となったが、遅きに失した感がある。すでにマグニエーの手によるテロで何百人もの人間が犠牲となり、また彼によって世界最高の陸軍のひとつに対するゲリラ戦の手法が編み出された後だったからだ。その上、彼が死んだにもかかわらず、イスラエルとアメリカは過去に前例のない規模の報復テロが行なわれるのは時間の問題と確信するほど、イランとヒズボラを恐れていた。

 私は西側と、特にアメリカとイスラエルだが、ホメイニ革命後のイランとの間の30年以上にわたるシークレット・ウォーズの歴史の真の姿を描くために調査を開始した。いまだに極秘扱いとなっている事件、またすでに公表されている出来事を歴史的流れの中に置き、もつれた糸を解きほぐしてその意味を探ろうとした。私の意図は失敗の連続の歴史を記すのではなく、実際に何が起きたのかを描き出すことにあった。
  2006年夏の第2次レバノン戦争まで、イランとヒズボラと戦った豊富な経験があったにもかかわらず、イスラエルはこの戦いの性質を理解していなかった。それはふたつの性質の異なる勢力の巨大な闘争であった。その一方は攻撃的でイデオロギーによって行動するイスラム革命政権。彼らはイデオロギーを共有する同じく残虐で、賭けに出ることを厭わない同盟者に支援されていた。それに対するのは自己満足した、生活の心配などない裕福な社会だった。アメリカも最初は冷戦、そして後にはアルカイダとイラクに気を取られ、イランにはたいした注意を払っていなかった。
  第2次レバノン戦争におけるイスラエルの強大な戦闘マシーンの犯したミス、また大きな意味で西側諸国がイランとその代理組織との戦いで犯した失策の原因を歴史家たちが完全に説明できるようになるまでには、まだ長い時間を要するであろう。が、すでに4つの結論を導き出すことが可能だ。

(1)イランとヒズボラに対するアメリカとイスラエル情報機関の失敗は、両国情報機関の能力低下の兆候であった。イスラエルの場合、これはより大きな傾向を反映したものだった。イスラエルでは国家の団結に代わり、政府機関に対する信頼の低下、シニシズム、物質主義、日和見主義などが横行し始めていた。結果として、責任重大で危険な政府の仕事につこうとする意欲が、国民の間で以前と比べかなり減退していた。
(2)イラン・ヒズボラとの長期にわたる戦いは、イスラエルとアメリカが中東で直面してきたどんな敵よりも彼らが高度な能力と強い意思を持っていることを証明した。イランとレバノンのシーア派教徒という新しい敵は、何度もイスラエルと西側諸国の裏をかき、政治、情報収集、そして戦争のすべてにおいて勝利を収めてきた。
(3)第2次レバノン戦争は、イランとヒズボラの力を強化し、イランとシリアの結束を強める結果となった。これは文句なくイランにとって最大の政治的業績であると言っていい。アメリカがこれまで拒否してきたイランとの2国間交渉を行なう用意があると発表したり、イランに核開発をやめさせるために効果的な経済制裁を科す国際的な支持を取り付けられなかった事実にも、その効果が現われている。
(4)第2次レバノン戦争は、その他の面では、両者にまったく変化をもたらさなかった。ヒズボラは今でもレバノンにイランによってコントロールされるイスラム傀儡政権の樹立を目指している。2008年5月、国家内国家を作ろうとするヒズボラの行動に待ったをかけようとした親西側のレバノン政府に対して、ヒズボラは軍事行動に出た。そして彼らは再び、ヒズボラがレバノンにおける支配的な軍事かつ政治勢力であることを証明して見せた。

 イランは今でもイスラム革命の輸出を目論んでおり、またパレスチナ人によるイスラエルへのテロ攻撃を後押ししている。核兵器開発も熱心に行なっている。イスラエルにとって状況は戦争前とまったく変わっていないということだ。第2次レバノン戦争は、必ず起きると思われる両者の次の戦争のリハーサルに過ぎなかったのかもしれない。
  西側諸国、特にアメリカとイスラエルのリーダーたちが、あの戦争とそれまで重ねられてきた惨めな失敗から学び、イランに対する方法が根本的に間違っていたと気づいてくれることを期待するしかない。イランとの秘密戦争で明らかとなった欠陥は、直すことができるはずである。これはやらねばいけないことだ。

 本書の要点は近年、アメリカ国民の間に広がっている疑問への回答ともなっている。その疑問とは簡単に言えば、アメリカが長年イスラエルを支援してきたのは正しかったのか、ということだ。もっと率直に言えばこうだ。われわれは勝ち馬に賭けてきたのか? 本書で描き出された過去30年にわたるイランのイスラム政権との秘密戦争を見れば、答えはイエスであるように私には思える。イスラエルとアメリカを共通の敵と見なすイスラムの過激思想は、シーア派とスンニ派の過激派たちを一致団結させた。普通ならば、両陣営ともお互いへの敵愾心でしか結束しないのに、だ。実際、イスラエルとアメリカにはイスラム過激派の嫌悪の対象となる共通点がある。それは両国に共有されている価値観である。共有しているのは敵だけではないのだ。アメリカとイスラエルの情報機関の協力関係の背後には、この相通じる価値観があった。両国の情報機関は単独で、また協力し合って活動し、失敗することもあれば成功することもあった。アメリカの世界をよりよい場所にしようとする努力には、イスラエルの多大な貢献があった事実は認知されるべきである。

 2007年から2008年の上半期にかけて、やっと失敗よりも成功が増え始めるかすかな光が見えた。アスカリ将軍の亡命、アル・サフィールのVXガス工場での「不幸な出来事」、北東部シリアにある施設のイスラエル軍による隠密攻撃、イマッド・マグニエー暗殺などは、イランとの戦いで情報機関がいい方向に機能し始めたことを示しているのかもしれない。
  モサドとCIAは、両国の通信傍受機関とともに、イラン、シリア、そして北朝鮮の非通常兵器開発を遅らせるのに十分な情報の収集に成功した。イスラエルは現在でも「ベギン・ドクトリン」を採用していると世界に公言している。このドクトリンが最初に実行に移されたのは、1981年に行なわれたバグダッド近郊にあったオシラク原発の空爆だった。イスラエルは周辺諸国がイスラエルを破壊する兵器を開発することを断じて許さない。第2次世界大戦が終了して60年以上経つが、イスラエルの指導者たちはホロコーストの教訓を忘れてはいない。イスラエルは存在する脅威をいかなる手段を用いても排除するのである。
  これは将来の中東の安定化に重要な意味を持つ。イスラエルへの核攻撃が可能となり得る国家はシリアではなくイランである。シリア北東部でイスラエルが実行したことは、イスラエルがイランの脅威を除くために軍事攻撃を真剣に考えている事実を示唆している。これはヨーロッパ諸国に対するシグナルでもあった。もし問題を解決できないのであれば、われわれは兵隊を送ってそれをやらざるを得なくなる、ということだ。このメッセージはアラブ諸国にも伝わったようだ。予想通り攻撃は中東諸国から非難されたが、それほど激しいものではなかった。中東地域でシリアの核武装化と広がりつつあるイランの影響を懸念していたのはイスラエルだけではなかった。アラブ諸国の指導者の多くは、アサドの鼻っ柱がヘシ折られたことを喜んだ。またシリアへの攻撃は、イランの核施設空爆のリハーサルの意味合いがあったことから、世界の反応は、特に周辺国からのものは、悪くなかった。
  イスラエルからすれば、攻撃の成功に喜んでばかりはいられなかった。それは状況の暗い部分も映し出していたからだ。イランの最高指導者であるアヤトラ・ハメネイは、前任者のホメイニよりもイスラム革命の輸出においては成功していた。ヒズボラはレバノンにおける最も力のある政治的かつ軍事的勢力となっていた。リーダーのハッサン・ナスララーはマグニエーが暗殺された後、イスラエルとの戦争は今後、世界的規模で行なわれる、と宣言した。イランとつながったハマスもガザを支配している。イラン革命防衛隊に支援されたテロ組織は、イラクで米軍に大きな打撃を与えた。イスラエルにメンツを潰され復讐に燃えているシリアのバシャール・アサド大統領は、イランと軍事的に連携し、経済的にもテヘランに頼り始めた。
  2007年2月の上院軍事委員会でのブリーフィングで、米国家情報長官のマイケル・マコンネルはこう語った。
「イランの影響力は、その核開発プログラムの脅威を超えるかたちで高まりつつある。タリバンとサダム政権の消滅、原油収入の増加、ハマスの選挙での勝利、そしてヒズボラの対イスラエル戦での勝利は、イランの影響を地域に拡大させた……イランのアフマディネジャド政権は……イランの積年の目的を遂げるために、より強引で攻撃的な戦略に打って出ている……イランのテロ戦略の要はレバノンのヒズボラである……(ヒズボラは)組織またはイランの存続が危ぶまれると感じた時には、アメリカの標的に攻撃を仕掛ける計画を立てている」
  その後少しして奇妙なNIE(国家情報評価)が発表されたが、イランの核開発が重要な段階に入っているのは間違いない。NIE報告書の内容が正しかったとしても、だ。西側諸国の人々は、自国の情報機関がこれから直面する途方もないチャレンジに対処する能力があることを祈るばかりだ。30年にわたるイランとのシークレット・ウォーズは猛火の中に終わりを迎えるのか? それともイランを抑えこむことができるのか?
  小さな火花が中東を猛火に包むこともあり得る。1967年4月、イスラエルの戦闘機がシリアのミグ6機を撃墜した。イスラエル空軍の輝かしい戦果だった。が、いま考えれば、その2ヵ月後に誰もやりたくなかった戦争を勃発させた原因のひとつがこれだった。2007年のシリアでのアメリカとイスラエルの成功を見る時、この時の教訓を忘れるべきではないだろう。
  イスラエル、アメリカ、そして世界は注意を怠ってはいけない。

Ronen Bergman(ロネン・バーグマン)
1972年生まれ。イスラエルの著名な調査報道ジャーナリスト。イスラエル最大の新聞イェディオト・アハロノト紙の政治・軍事アナリスト。モサドの研究でケンブリッジ大学から博士号を取得。ニューヨーク・タイムズ紙、ウォールストリート・ジャーナル、ニューズウィークその他多くの新聞雑誌に寄稿。

佐藤優(さとう・まさる)
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。1985年に同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在英国日本国大使館、在ロシア連邦日本国大使館に勤務した後、本省国際情報局分析第一課において、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で東京地検特捜部に逮捕され、2005年に執行猶予付き有罪判決を受ける。2009年に最高裁で有罪が確定し、外務省を失職。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。2006年に『自壊する帝国』で第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』『交渉術』『外務省に告ぐ』『国家の「罪と罰」』など著書多数。

河合洋一郎(かわい・よういちろう)
1960年生まれ。米国ボイジ州立大学卒業。国際関係論専攻。90年代初めより、国際問題専門のジャーナリストとして、中東情勢、テロリズム、諜報機関その他を取材。「週刊プレイボーイ」「サピオ」などに記事を多数発表。