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目 次

1 軍都東京………………………………………………………………………………………9

九段坂/宮城の反対側―三宅坂/樺美智子の死/天皇の居宅/近衛兵とクーデター/竹橋事件/二・二六事件と自由主義への圧迫/昭和天皇への強請/陸士エリート将校の教育と社会主義の浸透/陸大で教えられた湊川合戦

2 近衛師団長殺害………………………………………………………………………………32

近衛師団司令部への一通の親展書/ポツダム宣言/ソ連参戦/原爆投下/第一回終戦御前会議/陸相訓示と楠公精神/ポツダム宣言受諾の対米通知/保障占領/近衛兵の蹶起開始/近衛師団歩兵第二連隊第一大隊長、北畠暢男の決心/都電に乗って宮城乱入/近衛元首相の通過を止める/組織温存を願う陸軍省幹部の抵抗木戸=阿南会談/クーデターの共同謀議/二つの兵力使用計画案/米軍の東京へのビラ撒布/午後八時の陸相官邸会談/近衛師団司令部の早朝/公開されたクーデター計画/平泉邸に集まった刺客/阿南=梅津会談/昭和天皇の御前会議開催要求/陸軍省における書類焼却開始/NHK占拠/平川門を右折する一台の公用車/近衛師団長殺害/井田と水谷は東部軍司令部へ/下村情報局一行の監禁/近歩二連隊、吹上御苑に乱入/竹下、陸相官邸へ/師団長の遺体焼却/強姦略奪は軍の常/田中静壹による鎮圧/乾門確保とUターン事件/皇宮警士武装解除/反乱の失敗

3 畑中主犯説の誤り…………………………………………………………………………126

終戦クーデターの関連書籍/『東部軍終戦史』改竄の謎/実行犯窪田兼三の隠匿/十二日午前九時に開始されたクーデター/「上官の命令は天皇陛下の命令と思え」/近衛師団長「偽命令」/師団長はいつ殺されたのか/竹下・井田・畑中の目まぐるしい交錯/松岡洋右首相擁立工作/クーデターの主犯/なぜ捜査はなかったのか…刑事訴訟法と陸軍軍法会議法/畑中と椎崎の死因の謎

4 終戦クーデターの謎……………………………………………………………………161

御文庫に銃口を向けたことを否認する反乱側/日本の参謀将校の組織感覚/不破博と板垣徹/A級戦犯靖国合祀問題/反昭和天皇思想/平泉澄の説く「諫止論」/昭和天皇と平泉澄の対決/教科書疑獄事件の試練/三回落ちた陸大入試/三月事件をはじめて暴露した田中隆吉/宮廷で暴力を振る計画『永田メモ』/侍従武官を信用しなかった昭和天皇/陸大卒業生の陸軍/クーデターを首謀した陸軍統制派/片倉衷のクーデター計画/永田鉄山斬殺事件/二・二六事件後の皇道派将官の追放/宇垣内閣流産事件/林銑十郎内閣組閣のゴタゴタ/米内内閣倒閣事件/次官が大臣の寝首を掻く/阿南惟幾の腹芸「偽綸旨」/太平洋戦争へ突入/必勝の信念/独断専行/第二次長沙戦の怪/支那事変最悪の敗北を喫した将軍の栄転/第一次大戦末のドイツ陸軍/戦争の退路を断つ東条のやり方/硫黄島と沖縄における陸軍の敢闘/前科三犯「阿南惟幾」/陸軍幹部と阿南・竹下の対立/阿南陸相最後の命令/陸相の遺骸だけが残った/またもや荼毘

 



あとがき

 昭和二十年八月十五日に発生した「終戦クーデター」は、明治維新以来の軍隊反乱事件として最大規模であり、近衛歩兵第二連隊総勢二千八百が決起し、昭和天皇の寝所を機関銃隊で包囲、二人の刺客が森赳近衛師団長と同席した白石通教中佐を殺害した。全員が原隊に戻り帰順したのは、その日遅く、夜九時過ぎであった。
  この間、殺害された師団長と白石中佐の遺体は焼却された。吹上御苑と宮内省庁舎に乱入した近衛兵の指揮をとった陸軍省軍事課員の畑中健二少佐と椎崎二郎中佐は死亡、阿南惟幾陸相は陸相官邸で自殺した。
  阿南・椎崎・畑中の遺体(三神、『竹下日記』)は検屍を受けることなく、大本営陸軍部内(現防衛省敷地内)で焼却(荼毘、『竹下日記』)された。なぜ遺体を焼却したのか? 理由は「証拠隠滅」以外考えられない。死亡原因を生き残った犯人は不明にしたかったのだ。
  戦後、このクーデターまたは殺人事件について、いっさい司直(警察・検察と憲兵隊)の捜査は入らなかった。明治憲法施行以来、ただ一つの捜査の手が入らなかった殺人事件であろう。ところがこの事件について「畑中主犯説」と呼ばれる定説が現在にいたるまで存在する。
  畑中少佐がクーデター全部について指揮し、最後についても「自主的に結末をつけた」(井田(岩田)正孝『雄誥』)、すなわち責任をとって自殺したというのである。一方、八月十二日から阿南惟幾陸相はクーデター計画に賛同していた。
  この阿南陸相の行動については「腹芸」(角田房子『一死大罪を謝す』)と説明される。阿南が反乱に賛成したのはジェスチャーあるいは腹芸で、真意は反乱反対=ポツダム宣言受諾であったとする。クーデター失敗を演じることによって、むしろ本格的反乱を未然に防止したというのである。
  このようなことがあるはずがない。それであれば陸相は、近衛師団長殺害の前に自殺でも布告でもなんでもして、陸軍将校によるクーデター反対を意思表示すればいいのである。
  さらに腹芸説は「阿南惟幾はポツダム宣言受諾が相当前から不可避と思っていた」との前提に立っている。八月十五日、同日停戦になり、その後現在まで平和を続けている日本を見れば、確かに阿南が継戦を主張したはずはないと思いがちである。
  ポツダム宣言受諾=停戦成立の反対の極は、本土決戦であった。米軍が九州あるいは関東に上陸し、その侵攻を阻止する戦闘が発生する。最終的に力尽きるとも、数週間にわたって日本本土に「戦線」をつくることは可能であろう。おそらく日本軍民の死者は五百万以上、米英ソ軍の死傷者は百五十万以上に達する。日本本土で戦えば日本軍の兵站線はつながっており、島嶼戦より米英ソ軍に被害を浴びせることが可能であろう。太平洋上の島嶼戦のように日本軍の一方的な敗退とはならない。
  出来上がった戦線を越えて、陸軍の野戦軍司令官が米軍司令部に停戦=降伏をもちかけたとしよう。国際法から、米軍はこの降伏を拒否することができない。

 ハーグ陸戦規定第二十三項には、特別の協約により禁止された措置に加えて、
「降伏を受け入れないと宣言すること」を禁止する項目がある。

 第一次大戦の終末、大正七年十一月、ドイツの参謀次長ルーデンドルフは、この項目を利用して停戦を申し込み、そのじつ、ドイツ軍をライン河まで撤退させ、軍を再編、改めて再戦することを目論んだ。つまり恒久的な停戦ではなく、一時的に連合軍の鋭鋒を避ける策略であった。この見込みは無残に失敗した。ドイツ兵が戦意を喪失してしまったのだ。一度、休戦が伝わると、軍隊を再度、戦争に奮い立たせることは至難である。これはこのときの米軍にもあてはまる。
  日本政府のポツダム宣言受諾の意図が伝わり、それで命のかかる上陸戦を再度命令された将兵が奮起できるであろうか? アメリカは上陸戦後、日本の司令官から停戦を言われれば拒否は難しく、停戦して日本の「陸軍」と交渉するしかなくなる。交渉相手を外務省から陸軍省に変更せざるを得ない。将兵は消滅・復員となっても、交渉を担当する陸軍将校団は米国に守られて存続できる。敗戦後には、交渉当事者になることこそ、組織存続のカギとなる。
  停戦後の平和条約交渉は数年かかる交渉になるが、おそらく条件はポツダム宣言より悪化し、日本の領土は四島でなく本州に限られるだろう。だが降伏条件に興味なく、ただ陸軍組織存続にかけたとするならば、このシナリオの実現可能性は高い。
  昭和二十年八月の陸軍省部軍人は、第一次大戦敗北直後のドイツ高級軍人がとったのと同様な、この手段にかけたのである。すなわちそのトップの阿南陸相が「初めから継戦は不可能」と思っていたというのは誤りで、腹芸説など成立の余地はない。阿南や省部将校はこの国民や将兵の犠牲を省みない「一撃和平論」を主張したのである。陸軍エリート将校は陸軍組織存続だけしか考えていないと評すべきであろう。
  畑中主犯説とは、この「一撃和平論」の真意を隠蔽し、殺人や死体遺棄、天皇の寝所包囲という極刑に値する犯罪を死者に責任転嫁しようとする「最後の足掻き」「死人に口なしの論理」でもあった。
  戦争は王家の墓場であった。敗戦になると君主の権威は失墜し、混乱の中、革命やクーデターが発生、君主制は転覆した。第一次大戦では、敗北したロシアのロマノフ家、ドイツのホーエンツォレルン家、オーストリア=ハンガリーのハプスブルク家、オスマン帝国のカリフ家が倒れた。第二次大戦でもイタリアのサヴォイア家が戦後しばらくして追放された。敗北した国家の君主制は、ほぼ全部といっていいほど生き残れなかった。
  日本の天皇家は、あれほどの第二次大戦の大敗北にもかかわらず存続した。これは世界史上における奇跡である。
  終戦クーデターは、敗戦国においては、ありふれた事件であった。仮に成功すれば日本における天皇制は瓦解したであろう。クーデターの大義は「国体護持のため継戦、本土決戦、一撃和平」であった。この倒錯した考え方には、大方の陸軍幹部もついていけなかった。国体護持と本土決戦が矛盾したからである。
「定説」の畑中主犯説は、この倒錯を完全に隠ぺいし、生き残った首謀者の死んだ下僚への責任転嫁の企てであった。死体焼却は証拠隠滅、文書改竄は証拠のでっち上げであった。
  犯人の真の意図の一つ、国体=天皇制破砕は、完全に失敗に帰した。だが現在において、別の狙い、官僚独裁の再度出現の可能性は消えているのだろうか。

別宮 暖朗(べつみや・だんろう)
1948年生まれ。東京大学経済学部卒業。西洋経済史専攻。その後信託銀行に入社、マクロ経済などの調査・企画を担当。退社後ロンドンにある証券企画調査会社のパートナー。歴史評論家。ホームページ『第一次大戦』(http://ww1.m78.com)を主宰するほか『ゲーム・ジャーナル』(シミュレーション・ジャーナル社)に執筆。著書に『中国、この困った隣人』『旅順攻防戦の真実』(PHP研究所)、『東京裁判の謎を解く(共著)』(光人社)、『誰が太平洋戦争を始めたのか』『日本海海戦の深層』(ちくま文庫)、『戦争の正しい始め方、終わり方(共著)』『軍事のイロハ』『韓国の妄言』『失敗の中国近代史』『太平洋戦争はなぜ負けたか』『「坂の上の雲」では分からない日露戦争陸戦』『日本の近代10大陸戦と世界』(いずれも並木書房)、『帝国陸軍の栄光と転落』『帝国海軍の勝利と滅亡』(文春新書)がある。