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「英語ブートキャンプ」への入隊を歓迎します。 この講座は文字通り軍隊式で、机上で文法を勉強するものではありません。読者は陸軍のブートキャンプ(boot camp)つまり新兵訓練や射撃訓練(shooting training)、海軍(NAVY)、海兵隊(Marine Corps)の各種学校に体験参加します。時としてDLIや米軍基地内での日常生活(daily routine)も味わってもらい、そのなかで「実戦」英会話を身につけていきます。 入隊条件は「何が何でも英語でコミュニケーションしたい!」という願望を持っていることです。もちろん「通訳になりたい」「国連弁務官として平和に貢献したい」「アメリカで看護婦になる」「米軍入隊する」「米国でスポーツ選手になる」「シリコンバレーでベンチャー企業を立ち上げる」など、夢や情熱があればなおさらけっこうです。 軍隊では任務に出発する前、中隊軍曹(company first sergeant)が、各兵士が弾薬(ammunition)を持っているかどうか検査(inspection)します。これを弾薬チェック(ammo check)と言います。優秀な兵士が最高の武器を持っていても、弾薬がなければ任務(mission)を遂行できないからです。 一話完結の形をとっていますから、どこから入ってもかまいません。興味のある訓練や気に入った体験を何回も心のなかで反芻し、便利な単語や表現を口に出して覚えていってください。 英語がいくらか分かるようになると文化や言葉の壁がぐっと低くなります。異邦の友人が現れ、活躍の舞台が世界に向かって広がります。広大なアメリカ大陸で最初に一人旅ができたときの満足は一生忘れないでしょう。毎日の生活のなかですら「何かをやっている」という充実感が湧いてきます。いや、ことによると米軍人の恋人だってできるかもしれません。人生が楽しくなるのは、こんなときです。それにはまず、十分な量の弾薬を蓄えることです。 目 次 1 英語ブートキャンプにようこそ《加藤教官の軍隊式英会話》 2 ブートキャンプで鍛えよう-1《ドリルサージャントには逆らえない》 3 ブートキャンプで鍛えよう-2《行進歌を一緒に歌おう》 4 ブートキャンプで鍛えよう-3《地獄の催涙ガス室体験》 5 ブートキャンプで鍛えよう-4《初の実弾射撃訓練》 6 エアボーンスクールで鍛えよう-1《地上1メートルの高さから降下?》 7 エアボーンスクールで鍛えよう-2《34フィートの降下訓練塔から飛び降りる》 8 エアボーンスクールで鍛えよう-3《本物の飛行機から初降下》 9 国防総省DLI体験入学-1《63週間で外国語を完全にマスターする》 10 国防総省DLI体験入学-2《「習ってません」は通用しない》 11 士官クラブに行ってみよう-1《レストランを予約する》 12 士官クラブに行ってみよう-2《料理を注文する》 13 基地で迷ってしまったら《I am lost を使ってピンチを切り抜ける》 14 基地で許可を得るには《戦車に乗って記念写真を撮ろう》 15 基地に忘れものをしたら《遺失物係に電話する》 16 海軍サバイバル訓練で鍛えよう-1《水没したヘリからの脱出訓練》 17 海軍サバイバル訓練で鍛えよう-2《酸素マスクを外すとどうなる?》 18 海軍サバイバル訓練で鍛えよう-3《装備を着けたままで泳ぐ》 19 超音速ジェット搭乗訓練-1《完全武装のサムライ》 20 超音速ジェット搭乗訓練-2《F/A-18戦闘機を操縦する!》 21 超音速ジェット搭乗訓練-3《初の超音速飛行を祝うパーティで…》 22 初めての射撃訓練-1《安全マナーを身につける》 23 初めての射撃訓練-2《銃が故障したら》 24 軍法会議を通訳する《正確で分かりやすい言葉を選ぶ》 25 アラスカでの冬季訓練-1《凍傷から身を守る》 26 アラスカでの冬季訓練-2《ワナを仕掛ける》 やめたくなったら読む話(1) |
あとがき 太平洋戦争前夜の1941年11月1日、米陸軍情報部日本語学校(Military Intelligence Service Language School)が、サンフランシスコのとある古びた格納庫で秘密裏に開校されました。 最初はジョン・アイソ、シゲヤ・キハラ、アキラ・オオシダ、テツオ・イマガワの4人の二世教授が52人の日系軍人と2人の白人軍人を教えるつつましい船出でした。 以来、この学校は移転と名称変更、教育言語の追加をくりかえし、1970年代、国防総省外国語学校(Defense Language Institute Foreign Language Center : DLI)として現在のカリフォルニア州モントレーに落ち着きました。24カ国語を教え、学生総数2500人、教官750名に達する全米一の語学学校です。 ぼくがここで教鞭をとり始めたのは「砂漠の嵐作戦」(Operation Desert Storm)から帰還後の1991年。陸軍中尉でした。 DLIで教えられる言語の盛衰は、アメリカの国益と密接に結びついています。1941年には日本語だったように、冷戦中はロシア語やドイツ語が幅を利かせました。トンキン湾事件を境に伸びたのはベトナム語でした。いま基地内を見回すとアラビア語、ペルシャ語、中国語、韓国語が主流です。 大使館付武官(military attache)や連絡士官、下士官(liaison officer, NCO)が多い日本語学部では、30代後半の職業軍人(Carrier Officers & Soldiers)も少なくありません。学歴はないが記憶力に勝る若者と、博士号まで持つ空軍パイロット、陸軍の精鋭「グリーンベレー」そして陸海空を舞台とする海軍特殊戦隊員(SEAL)などの中高年が机を並べるわけです。つまり、日本語学部の教官には、この両極端のグループをいかに平等に効率よく教えるかという難題が問われているのです。 本書は、2007年から週1回発行しているメルマガ「軍隊式英会話術」をもとに新たに書き起こしたものです。ここにはぼくの陸軍やDLIでの実体験がいっぱい詰まっています。 最後になりましたが、読者が英語をマスターする志を貫いて世界に飛び出し、新たな活躍の場を得られること望んでやみません。 カリフォルニア州モントレーにて 加藤 喬(かとう・たかし) |