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 英語ブートキャンプにようこそ《加藤教官の軍隊式英会話》

「英語ブートキャンプ」への入隊を歓迎します。
ぼくは教官の加藤です。カリフォルニア州モントレーにある、米国防総省外国語学校(Defense Language Institute : DLI)の日本語学部部長をしています。
元米陸軍大尉(former U.S. Army captain)です。

 この講座は文字通り軍隊式で、机上で文法を勉強するものではありません。読者は陸軍のブートキャンプ(boot camp)つまり新兵訓練や射撃訓練(shooting training)、海軍(NAVY)、海兵隊(Marine Corps)の各種学校に体験参加します。時としてDLIや米軍基地内での日常生活(daily routine)も味わってもらい、そのなかで「実戦」英会話を身につけていきます。
主な訓練は:
*陸軍ブートキャンプ
*射撃訓練
*空挺学校
*水上サバイバル訓練
*ジェット機脱出訓練
*ジェット機搭乗訓練
*軍法会議通訳体験
*冬季サバイバル訓練
*DLI体験入校
などです。

 入隊条件は「何が何でも英語でコミュニケーションしたい!」という願望を持っていることです。もちろん「通訳になりたい」「国連弁務官として平和に貢献したい」「アメリカで看護婦になる」「米軍入隊する」「米国でスポーツ選手になる」「シリコンバレーでベンチャー企業を立ち上げる」など、夢や情熱があればなおさらけっこうです。
いずれにしても「英語ブートキャンプ」の読者は訓練状況にどっぷり浸かり、その場にいるつもりで会話してください。なり切ればなり切るほど上達が速くなります。

 軍隊では任務に出発する前、中隊軍曹(company first sergeant)が、各兵士が弾薬(ammunition)を持っているかどうか検査(inspection)します。これを弾薬チェック(ammo check)と言います。優秀な兵士が最高の武器を持っていても、弾薬がなければ任務(mission)を遂行できないからです。
当講座の読者にとって「弾薬」は単語や便利な表現(words and useful expressions)です。実戦(real war)では、携行弾薬が増えれば、作戦行動(operation)もより自由になります。同様に軍隊式英会話でも、弾数が増えればそれだけ自由にコミュニケーションできるようになるのです。

 一話完結の形をとっていますから、どこから入ってもかまいません。興味のある訓練や気に入った体験を何回も心のなかで反芻し、便利な単語や表現を口に出して覚えていってください。

 英語がいくらか分かるようになると文化や言葉の壁がぐっと低くなります。異邦の友人が現れ、活躍の舞台が世界に向かって広がります。広大なアメリカ大陸で最初に一人旅ができたときの満足は一生忘れないでしょう。毎日の生活のなかですら「何かをやっている」という充実感が湧いてきます。いや、ことによると米軍人の恋人だってできるかもしれません。人生が楽しくなるのは、こんなときです。それにはまず、十分な量の弾薬を蓄えることです。
では、始めます。
Fall in!
(整列!)

 目 次

1 英語ブートキャンプにようこそ《加藤教官の軍隊式英会話》

2 ブートキャンプで鍛えよう-1《ドリルサージャントには逆らえない》

3 ブートキャンプで鍛えよう-2《行進歌を一緒に歌おう》

4 ブートキャンプで鍛えよう-3《地獄の催涙ガス室体験》

5 ブートキャンプで鍛えよう-4《初の実弾射撃訓練》

6 エアボーンスクールで鍛えよう-1《地上1メートルの高さから降下?》

7 エアボーンスクールで鍛えよう-2《34フィートの降下訓練塔から飛び降りる》

8 エアボーンスクールで鍛えよう-3《本物の飛行機から初降下》

9 国防総省DLI体験入学-1《63週間で外国語を完全にマスターする》

10 国防総省DLI体験入学-2《「習ってません」は通用しない》

11 士官クラブに行ってみよう-1《レストランを予約する》

12 士官クラブに行ってみよう-2《料理を注文する》

13 基地で迷ってしまったら《I am lost を使ってピンチを切り抜ける》

14 基地で許可を得るには《戦車に乗って記念写真を撮ろう》

15 基地に忘れものをしたら《遺失物係に電話する》

16 海軍サバイバル訓練で鍛えよう-1《水没したヘリからの脱出訓練》

17 海軍サバイバル訓練で鍛えよう-2《酸素マスクを外すとどうなる?》

18 海軍サバイバル訓練で鍛えよう-3《装備を着けたままで泳ぐ》

19 超音速ジェット搭乗訓練-1《完全武装のサムライ》

20 超音速ジェット搭乗訓練-2《F/A-18戦闘機を操縦する!》

21 超音速ジェット搭乗訓練-3《初の超音速飛行を祝うパーティで…》

22 初めての射撃訓練-1《安全マナーを身につける》

23 初めての射撃訓練-2《銃が故障したら》

24 軍法会議を通訳する《正確で分かりやすい言葉を選ぶ》

25 アラスカでの冬季訓練-1《凍傷から身を守る》

26 アラスカでの冬季訓練-2《ワナを仕掛ける》

やめたくなったら読む話(1)
やめたくなったら読む話(2)
やめたくなったら読む話(3)
英会話上達のコツ(1)
英会話上達のコツ(2)


あとがき

 太平洋戦争前夜の1941年11月1日、米陸軍情報部日本語学校(Military Intelligence Service Language School)が、サンフランシスコのとある古びた格納庫で秘密裏に開校されました。
「まず敵を知る」
当時から情報を重視する米軍の姿勢の現れでした。

 最初はジョン・アイソ、シゲヤ・キハラ、アキラ・オオシダ、テツオ・イマガワの4人の二世教授が52人の日系軍人と2人の白人軍人を教えるつつましい船出でした。
開校から数カ月後、フランクリン・ルーズベルト大統領が、行政命令(Executive Order)9066号を発令しました。民主国家アメリカで、なんらの法的手続きも経ず、日系米国市民や在米日本人が強制収容所への移住を余儀なくされた、あの法令です。多くの二世を抱える陸軍日本語学校も例外ではなく、山深いミネソタ州サベージ基地に移転しなければなりませんでした。
いわれない敵性市民(hostile citizens)の汚名を着せられていた彼らが「名誉挽回」(Redeeming of Honor)にかける気概は悲壮で、午後10時の消灯後も毛布のなかで懐中電灯の光を頼りに勉強したと言います。配属後、卒業生たちは南方の島々に赴き、玉砕覚悟の日本兵に投降を訴えたり、捕虜となった日本兵の尋問(interrogation)や捕獲文書の翻訳、暗号解読に活躍しました。
見通しの悪いジャングルでの任務には日本兵と間違えられ誤射される危険がつきまといましたが、彼らは怯みませんでした。その勇敢さから「ヤンキーサムライ」と呼ばれるようになったのです。
約6000人に達した二世卒業生の活躍は、太平洋戦争終結を2年早め、米軍将兵100万人の命を救ったとも言われています。

 以来、この学校は移転と名称変更、教育言語の追加をくりかえし、1970年代、国防総省外国語学校(Defense Language Institute Foreign Language Center : DLI)として現在のカリフォルニア州モントレーに落ち着きました。24カ国語を教え、学生総数2500人、教官750名に達する全米一の語学学校です。
DLIは太平洋を見下ろす小高い丘の斜面にあり、全米屈指のゴルフ場や高級住宅街に隣接していますが、それが少しも不自然ではありません。軍の基地というよりは、瀟洒な大学キャンパスか史跡のような趣なのです。
ある意味で、それはどちらとも正しいのです。軍組織ですが、DLIはカリフォルニア州立短大として認められており、高卒の若い兵士はここで修めた語学単位を将来の大学教育に活かすことができる仕組みになっています。また、敷地自体もスペイン統治時代に築かれた要塞(Presidio)で、州の文化遺産に指定されています。

 ぼくがここで教鞭をとり始めたのは「砂漠の嵐作戦」(Operation Desert Storm)から帰還後の1991年。陸軍中尉でした。
英語が苦手だった者が、米軍で日本語を教えると思いもよりませんでしたが、砂漠生活に辟易としていた自分は即諾しました。

 DLIで教えられる言語の盛衰は、アメリカの国益と密接に結びついています。1941年には日本語だったように、冷戦中はロシア語やドイツ語が幅を利かせました。トンキン湾事件を境に伸びたのはベトナム語でした。いま基地内を見回すとアラビア語、ペルシャ語、中国語、韓国語が主流です。
アメリカにとって、厄介が予測される地域の言語が伸びるといっても良いでしょう。したがって教える側にとっては二律背反の心境です。1979年のイラン革命で米国に亡命したイラン人教授に体育館などで顔を合わせると、母国と米国との間で身動きならない苦しい胸のうちを聞かされることもあります。
実際に戦火を交えているイラクやアフガニスタン出身教授の場合はもっと過酷なことでしょう。中国語や韓国語の教官だって、明日は我が身の心境かもしれません。この点、日本語学部は例外です。

 大使館付武官(military attache)や連絡士官、下士官(liaison officer, NCO)が多い日本語学部では、30代後半の職業軍人(Carrier Officers & Soldiers)も少なくありません。学歴はないが記憶力に勝る若者と、博士号まで持つ空軍パイロット、陸軍の精鋭「グリーンベレー」そして陸海空を舞台とする海軍特殊戦隊員(SEAL)などの中高年が机を並べるわけです。つまり、日本語学部の教官には、この両極端のグループをいかに平等に効率よく教えるかという難題が問われているのです。
実を言えば、生え抜きの職業軍人の方が学生としては扱いにくいこともままあります。彼らの多くが、これまでの人生で失敗を体験したことのないエリートだからです。
完璧主義者(Perfectionist)たちは、まだあどけなさの残る2等兵、1等兵が膨大な漢字や単語を嬉々として消化し、奇怪な文法を操る様に驚愕するのです。生まれて初めて挫折の苦さを味わい、ストレスと自責に苛まれます。
生真面目で自分を笑うことのできない者ほど危ないと言えます。放っておくと、ストレスが昂じて爆発してしまうからです。佐官クラスが激昂したら、一兵卒はその場で萎縮してやる気を喪失してしまいます。
だから教官は、それぞれの学生が耐えられる限界を常々感じ取り「力の抜きどころ」を押さえておかなければならないのです。生やさしいことではありません。大学院や研修会で学べることでもありません。長年、海千山千の学生と接触することで培われる、一種の職人芸だといえるでしょう。
どれほど教室環境がデジタル化され、紙の辞書が電子辞書やノートパソコンに取って代わられても、機械が生身の学生に言葉を教えるわけにはいかない所以です。

 本書は、2007年から週1回発行しているメルマガ「軍隊式英会話術」をもとに新たに書き起こしたものです。ここにはぼくの陸軍やDLIでの実体験がいっぱい詰まっています。
また新しい試みとして、全文をぼくが朗読した音声ファイルと、講義の様子が分かる動画ファイルをネット上に収録してあります。ぜひ参考にしてみてください。

 最後になりましたが、読者が英語をマスターする志を貫いて世界に飛び出し、新たな活躍の場を得られること望んでやみません。

                カリフォルニア州モントレーにて
加藤 喬

加藤 喬(かとう・たかし)
米国防総省外国語学校日本語学部部長。元米陸軍大尉。1957年SF作家・翻訳家である福島正実の長男として東京に生まれる。都立新宿高校卒業後、79年に渡米。カリフォルニア州立短大ラッセン・カレッジ、アラスカ州立大学フェアバンクス校で学ぶ。哲学を専攻する一方、米陸軍予備役士官訓練部隊(ROTC)で訓練を受ける。88年空挺学校を卒業。91年湾岸戦争に志願し第164直接支援整備中隊中隊長代理として「砂漠の嵐」作戦に参加。米国に帰国後、カリフォルニア陸軍州兵部隊第223語学情報大隊に転属し中隊長を務め、日米合同演習「山桜」で陸上自衛隊との連絡任務につく。退役後、現職。哲学修士。著書に第3回開高健賞奨励賞受賞作の『LT―ある“日本製”米軍将校の青春―』(1994年、TBSブリタニカ)、『名誉除隊』(2005年、並木書房)がある。現在、メルマガ「軍隊式英会話術」を配信中。