【目 次】
第1章 最後の砦「ワンカー」 5
六〇年続くカレン族の独立戦争 10
敵が動き出す瞬間をじっと待っていた 13
「見える奴から片づけろ!」 17
撃っても撃っても、湧いて来る敵兵 26
俺たちが負ける訳がない…… 36
第2章 「俺には死がお似合いや」 42
いつも何かに腹を立てていた 45
戦場に引き戻す悪魔の囁き 54
多くのビルマ人学生に慕われた 60
「ここがワンカー。ワシらの死に場所や」 65
怖いからこそ、死について語らなかった 72
戦場のダンス 75
四人が揃って戦った、たった一度の戦闘 82
「絶対負けたらあかんのや」 88
第3章 最後まで戦い続けた男 94
空挺部隊出身の物静かな男 96
「お調子者はやはり信用できなかった」 102
すぐに逃げ出す男か、それともやれる男か 107
どんなリスクにも決して背を向けない 118
「君たちが参加するのは静かなる激戦だ」 123
「日本のパスポートは捨てました」 133
最後まで敵に後ろを見せなかった 143
第4章 カレンのためなら何でもやる 153
日本人兵士たちのリーダー的存在 158
旧日本兵の顔に泥を塗る訳にはいかない 164
辛いバンカー生活 170
フランス出身の「クレイジー・ブラザーズ」 182
「日本兵の幽霊を見なかったか?」 189
執念の橋りょう爆破作戦 196
西岡は傭兵ではなく、義勇兵だった 210
「もういいよ。ゆっくり休んでくれ」 215
終章 お前たちがいたから…… 225
あとがき 234
【あとがき】
カレン族とビルマ族の対立の歴史は、数百年前のビルマ王朝時代まで遡る。
その頃から長い間、カレン族は支配民族のビルマ族に虐げられ、重税や強制労働に苦しめられていた。
しかし一九世紀末にビルマ(現ミャンマー)がイギリスの植民地となると、イギリスの分断統治政策によりその構図が逆転する。それまでビルマ族によって支配されてきたカレン族が優遇され、逆にビルマ人は隅に追いやられるようになった。それがビルマ族の目には、カレン族がイギリスの手先となって自分たちを苦しめているように映ったようだ。
ところが第二次世界大戦が始まり、日本軍がビルマに進攻すると、日本軍を後ろ盾にしたビルマ族が、イギリス統治時代の憎しみや怒りを込めて、カレン族を以前にも増して厳しく迫害した。
カレン族とビルマ族を取り巻く環境はこのように複雑で、憎しみあってきた長い歴史がある。ある意味、大国のエゴが彼らの状況をより複雑にしていったと言ってもよいだろう。
そして戦後、ビルマ独立の気運が高まる中、カレン族は過去の歴史から再びビルマ族が支配する国家に参加するよりも、カレン族として独立することを望んだ。そしてKNU(カレン民族同盟)を組織して、平和的手段で独立しようと試みる。
しかし一九四八年にビルマの独立はなったが、カレンは独立を果たせなかった。そればかりか、独立後ビルマ族はカレン族に対する迫害を激化させ、各地でカレン族が襲撃・虐殺される事件が相次いだ。
ここに至って、KNUは武装闘争を決意する。一九四九年一月のことだ。
以来半世紀以上、カレン族は戦い続けている。
この本は、そんな長年にわたるカレン族の戦いに共感し、身を投じた日本人兵士たちの物語だ。
ここには私を除くと、岩本、今田、西岡という三人の男たちが登場する。
岩本は陸上自衛隊を除隊後、ラオスに渡って反共ゲリラに参加。約二年間ラオスで戦ったあと、引退を決意して日本に帰国し、警備会社に就職するが、しばらくして西岡の呼びかけに応じてカレン民族解放軍に参加した。
陸上自衛隊最精鋭といわれる第一空挺団出身の今田は、自衛隊を一任期(二年)で除隊してカレン民族解放軍にやってきた。
日本人兵士たちのリーダー的存在だった西岡は、我々の中で唯一自衛隊の経験がなかった。彼は大学を中退すると、岩本とともにラオスに渡り反共ゲリラに参加。そこで兵士としての経験を積むと、引退した岩本と別れてカンボジア、ベトナムを二年ほど渡り歩き、カレン民族解放軍に参加した。
みんな、私がカレン民族解放軍に参加した当初からともに戦った戦友だった。みんな男らしく勇敢に戦い、散っていった。
私が本書を書こうと思ったのは、何にでも見返りを求める腐ったこの世の中で、何の見返りも求めず、遠い国の少数民族のために命を懸けて戦った男たちがいたということを知って欲しかったからである。
誰にも知られることのない戦いの中で、日本人である彼らがカレン族のためを思っていかに生き、戦い、そして死んでいったのか。彼らがどんなところでどんなことをして、何を話し、何を見てきたのか。そんな、今となっては私しか知らない彼らの姿を伝えたかったからである。
ともすれば、彼らのような戦争に関わる人間はマイナスイメージが先行しがちで、批判を受けることも少なくない。その気持ちもわからないではないが、それは一面的な見方である。
自分の意志で、純粋にまっすぐ生きた彼らの姿を、本書を通じて少しでもわかってもらえれば幸いだ。
彼らは本当に、自らの命を顧みずに自分の信念に生きた男たちなのだ。
そんな彼らを思い起こす時、ひとつの言葉が頭に思い浮かぶ。
「義をもって死すとも不義をもって生きず」
幕末の戊辰戦争で激戦となった会津戦争を、会津藩士たちはこの精神で戦い抜いたという。
これこそ、彼らにぴったりの言葉のように思えてならない。
彼らはずっと昔より迫害され続けてきたカレン族の歴史を知り、自らの尊厳のために独立を勝ち取ろうとするカレン族に正義を見出した。そしてカレン族の苦難を目の当たりにし、今、目の前の脅威にさらされている人たちの命を守れるのは俺たちしかいないという衝動に駆られて戦った男たちなのである。
戦死した敵兵に同情を寄せつつも、味方を守るために絶対に負けてはいかんと戦い続けた岩本。
そのチャンスがありながらも、陥落しそうなキャンプから逃れることを潔しとせず、最後の瞬間まで戦い続けた今田。
リーダーとして日本人兵士たちの先頭に立って戦い、自分の持てるすべてをカレンに捧げた西岡。
日本に帰れば、カレンの戦場とは比較にならないほど豊かで楽に生きる道があっただろう。しかし彼らはそんなものには目も向けなかった。カレン族の窮状を知ってしまった以上、それを見て見ぬふりをして生きることは、彼らにとって自分自身の誇りと正義に悖る行為以外の何物でもなかったのだ。
彼らはどんなに辛くても苦しくても、決して楽な道に逃げる言い訳を探そうとしなかった。どんなに大きなリスクに直面しても、決して背中を見せようとはしなかった。
みんな自分自身の信じた義と信念に、まっぐに生きた男たちだった。
要領よく生きることが当たり前の現代日本の中で、このような生き方は笑われるかもしれない。馬鹿にされるかもしれない。
だが私は、愚直と言ってもいいほど不器用に、しかし自分の信念を貫いて生き抜いたこの男たちとともに過ごせたことを心から誇りに思っている。
なお日本人兵士三人については、プライバシーに配慮して仮名を使い、顔写真に修正を加えたことをご了承いただきたい。
またこの本の執筆にあたり、多大なるご支援とご協力をいただいた並木書房の編集部ならびに針生達也氏に心から感謝したい。
最後に、これまでの苦しい戦いの中でその尊い命を捧げた多くのカレン軍兵士、外国人兵士、そして三人の日本人兵士たちの冥福を心から祈りたい。 高部正樹
高部正樹(たかべ・まさき)
1964年愛知県生まれ。高校卒業後航空自衛隊に入隊。航空機操縦士として訓練を受けるが、訓練中のケガが原因で除隊。その後80年代後半にアフガニスタンに渡りムジャヒディンの一員として実戦に参加。90年代よりカレン民族解放軍に参加し独立戦争を戦う。その後ボスニア・ヘルツェゴビナに渡り、クロアチア傭兵部隊に参加。1995年より再びカレン民族解放軍に戻る。2007年7月傭兵休業を宣言し、帰国。現在はフリーライターとして書籍や雑誌への執筆、講演や取材活動、またテレビのコメンテーターとして活動。著書に「戦争ボランティア」「戦争志願」(並木書房)、「戦争理由」(徳間書店)、「傭兵の誇り」(小学館)、「傭兵のお仕事」「今、知るべきコンバットサバイバル」「傭兵の生活」(文芸社)がある。 |