はじめに
海上保安庁は、陸の警察と消防が合体したような組織で、その任務は日本の海上の安全と治安を守ることである。
具体的には、海難救助、海上交通の確保、海上防災から、密輸や密航、海賊の取り締まりまで、その任務は幅広い。最近では、テロ対策や海洋権益の確保など、国際問題に直結する任務が重要視されている。
こうした多様な任務を遂行するため、海上保安庁は巡視船など約510隻、航空機70機を全国に配備している。職員も1万2000人を数え、世界有数の海上保安機関といえる。
その海上保安庁内に、まったく謎に包まれた部隊が存在することを知っている人は少ない。私がその秘密部隊のことを知ったのは、90年代の初頭だった。
そしてつい最近まで、どんな部隊なのか、その詳細はまったくわからなかった。
2001年から、私は週刊『プレイボーイ』の軍事班に所属して、数々の軍事特集の取材に参加してきた。
取材先の軍事専門家やジャーナリスト、作家が異口同音に言うのは、
「海上保安庁は、自衛隊に比べて秘密主義すぎる。納税者への説明義務を果たしてないのではないか」
という不満だった。
いま海上保安庁が組織をあげてバックアップしているのが、羽田の「特救隊(特殊救難隊)」を主人公にした『海猿』だ。同名の漫画を原作にして、映画、テレビ化されて話題となり、特救隊を目指す若者が増えているという。
たしかに「人命救助」は海上保安庁の主要な活動の一つである。だが、前述した通り、海上保安庁は、消火、人命救助という消防・救難活動のほかに、警察行動の側面も有している。武器を携行し、海上の治安を守り、テロ対策に命をかける保安官の存在を忘れてはならない。
2001年12月22日、北朝鮮工作船の自沈事件が発生した。
激しい銃火を交えたすえに、大爆発を起こして沈んだ様子を撮影したテレビ映像を見ているうちに、私はある疑問が生まれた。
それは、なぜ北朝鮮の工作船は、対空機関砲、対空ミサイルを含むこれほどまでの重装備を備える必要があったのかという疑問だった。
そして、ある答えが頭にひらめいた。
「この工作船の連中は、かつて強力な相手と戦った経験がある! その相手とはおそらく海上保安庁の中にいる」
その相手こそ、海上保安庁がその存在を公には認めていない特殊部隊SSTに違いない。
取材を進めていくうちに、その思いはいつしか確信に変わった。
SST(スペシャル・セキュリティ・チーム:特殊警備隊)の取材を開始して、困難をきわめたが、複数の海上保安庁関係者から話を聞くことができた。
そのなかの一人、坂本新一(仮名)氏と、すべての取材が終わったあとにこんな会話をした。
坂本氏は、海上保安庁特殊警備隊SSTの関係者だ。
一見すると、どこにでもいる普通のサラリーマンという風貌だった。そう坂本氏に第一印象を伝えると、
「特殊部隊員は、街なかでも、目立たないことを第一と考えておりますから……」
と言って、坂本氏は苦笑いした。
だが、話を聞くうちに、坂本氏がときおり見せる厳しい視線と口調には言いようのない迫力があった。声も実によく通る声なのだ。その声の迫力こそ、さまざまな現場で、相手を威圧し、従わせ、同時に部下を率いてきたことを実感させてくれた。
小峯(以下「――」)なぜ取材を受けることを決意したんですか?
坂本 理由は3つあります。第1の理由は「危機感」です。
――危機感?
坂本 はい。我々は、警察や陸上自衛隊にたいへんお世話になって、今日のSSTを作り上げることができました。
思想的な面では、今でこそ「危機管理」という言葉や考えは当たり前ですが、当時はなかなか実感もなく、初代内閣安全保障室長の佐々淳行さんが書かれた『危機管理のノウハウ』がバイブルになりました。技術的なことは、はじめは銃の専門誌を頼りに情報を集めました。その世界では有名な民間人にも教えを乞いました。
しかし、米海軍特殊部隊シールズ(SEALs)に教わった瞬間から、すべてが変りましたね。
――何が変ったですか?
坂本 全く違うんです。本物と民間は。民間人はどうやっても、本物のテクニックに触れることはできません。そのことがわかってから、我々は本物に学ぶことだけに専念しました。
最初は米海軍特殊部隊シールズでした。目からウロコが落ちるというのはこのことだと納得しましたね。本物は違います。
シールズ隊員から、
「ここで、君たちに教えたことを他言してはならない。我々が教えた理由は、君たちが特殊部隊の仲間だからだ」
と言われました。
テロ対策の最新テクニックは秘伝中の秘伝なのです。民間人が知りえるレベルでありません。
シールズから始まったSSTの海外修行は、その後もつづき、ここでは話せませんが、世界のトップクラスといわれる複数の部隊の胸を借りて、技術を修得してきました。
今やSSTは、アジアの国々にその特殊技術を教えるレベルまで技量を高めることができました。はじめはシールズの生徒だった我々が、アジア諸国の先生になった訳です。
――そんな教える立場になったのに、何に危機感を持っているんですか?
坂本 はい。訓練や機材については「創意工夫する」ということが最も重要です。つまり考える力ですね。考える力があれば、訓練であっても本番と変わりない経験ができるものです。
そこを考えずにいると、非常に危険です。その点で、今日の自衛隊の一部の部隊を見ていると、民間の射撃コンテスト上がりの方々が、出入りしています。
我々は、彼らを「ゲーマー」と呼んでいます。ゲームのプレーヤーですから、実戦任務とはかけ離れた世界です。
間違った者から教われば、技術も装備も10年は遅れてしまいます。最近の日本を取り巻く国際情勢を見ると、その遅れは致命的です。
私は、自分の命を盾に、日本人の生命と財産を守るために、与えられた技術と装備で、戦ってきました。その技術と装備が間違ったものであれば、実際に生命を落とすのは、それを使い、実際に戦う隊員たちなのです。
間違った者に教われば、その危険性が増します。教えた者は死にませんが、隊員は命を落とします。その危険性が増大していると判断したからです。
一度、揃えた装備をなかなか変えられないのは、どこの官公庁の組織も同じです。
――よくわかりました。2つ目の理由は何でしょう?
坂本 それは、優秀な隊員をSSTに集めるためですね。
SSTの存在をある程度、知らさないと、優秀な隊員は集まりません。
――どんな人材をSSTは求めているんですか?
坂本 仲間を大切にする、協調性のある人ですかね。
まずは海上保安庁に入ってください。話はそれからです。(笑)
――いま海上保安庁ですっかり有名になったのが『海猿』。羽田の特救隊ですね。彼らがSSTの隊員に対して「お前ら、人殺しだろ?」と言ったという話は取材中に聞き、強く印象に残っています。
坂本 もちろん我々は反論しました。
「お前たちは、ボンベとロープを持って人の命を助けに現場に行く。俺たちSSTも人命救助なんだ。銃を持って、助けに行くケースもあるだろ」と。
――シージャックされた船から特救隊は人質になった乗客を救助できませんからね。
坂本 その時は、まず武器を持ったテロリストを我々SSTが排除し、人質になった乗客を救けます。羽田の特救隊と、大阪のSSTは、海保の機能の両極です。
――だが、SSTは表舞台に出られない……。
坂本 そうです。何度か公表される機会はありましたが、結局、上層部のコンセンサスが得られず、今日に至っています。
自分も素顔も本名も出せないのも、そのためです。
――英国の特殊部隊SASのアンディ・マグナブ氏も、同じく英海軍特殊部隊の『SBS特殊部隊員』(小社刊)を書いたダン・キャムセル氏も素顔と本名は出していません。
坂本 本当の特殊部隊員だから、素顔と本名はさらせない。また、国家の機微に関わることは、当然ながら死ぬまで明かすことはありません。
――でも、沈黙しているだけでは、本当の抑止にはなりませんよ。
坂本 まあ、そうですね。まだ我々はしゃべることに慣れていません。
しかし、SSTに優秀な人材を集めるには、ある程度、部隊の存在を知って欲しいとは思っています。
そして3つ目の理由は、一般の国民に、今の日本の国境警備の実態を知っていただきたいからです。その最前線で我々SSTと、海上保安官が協力して海洋権益を守っている姿を少しは理解していただけたのでは、と思っています。
一つの島を失うだけで、国家にとってどれだけの損失があるか……。日本は日本列島と言われるように、島で成り立っている国家ですから。
SSTの実像を伝えるのに良いエピソードがある。
ある日、上層部から、SST基地に、命令が下る。
「SST、行けるか?」
SSTは即座に答える。
「行けます!」
そして、ひと呼吸おいて、SSTが上に尋ねる。
「それで、事案は何でありますか?」
そこではじめて、どんな事件と場所に出動するのか、聞くのだ。
「行けません」とは絶対に言わない。
まず、「行く」と答えるのだ。
そこに、日本人の生命と財産の危険があるならば、必ず出動して、その危険を取り除く。
もちろん危険が及ばないと確認されるまでは帰らない。
そして、出動した全員で帰ってくる。
『勇気ある撤退――出動したら、必ず全員で帰って来よう』
それがSSTの合言葉なのだ。
そして、それこそが、SSTが最強の海の特殊部隊である証しなのである。
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