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目  次

第1章 9・11同時多発テロの衝撃

 テロ直前のフォート・ブラッグ基地
 9段階のレベルで緊急時に備える
 QRF出動!

第2章 あこがれの星条旗

 日本人は米軍に入隊できるのか?
「イエス、君が米軍に入隊することは可能だ」
 米軍入隊の条件

第3章 ROTC・陸軍予備役士官訓練部隊

「君は今日から士官候補生だ」
 厳しいが充実していた士官候補生の毎日
 頼りになる先輩、加藤大尉
 将校ではなく兵士として入隊

第4章 陸軍最精鋭の第82空挺師団

 絶対に落第できない空挺学校
 最新装備で訓練に明け暮れる
 ドイツ軍の落下傘徽章と最優秀歩兵章
 合格率40パーセントのEIB訓練

第5章 アフガニスタン最前線へ
 
 ついに来た出撃命令
 なぜアフガン人と戦うのか?
 あらゆる最新装備が支給された
「あなたは今日からアメリカ国民です」
「アフガン到着。もうあと戻りはできない」
 悪夢の再現!ブラックホーク・ダウン
 地雷原のど真んなかで敵襲に備える
 陸の孤島、最前線基地
「敵襲!敵のロケット攻撃だ!」

第6章 アルカイダとの死闘

 見えない敵からの砲撃
 死んでも死にきれない同士討ち
 敵のロケットサイトを強襲攻撃
 恐怖のアンブッシュ
 食事をともにしながら現地に溶けこむ
 アルカイダのメンバーを逮捕!

第7章 さらば、アフガニスタン

 特殊部隊との合同作戦
 突然の帰国命令
「早くアメリカに帰りたい」
「君はもう兵士じゃなく将校なんだ」
 11年ぶりの再会

 

 


あとがき

 私が日本を飛び出してから、はや15年が過ぎた。その間、この本では到底書ききれないさまざまなことがあり、結果的に、米国民から尊敬と敬愛を受ける米国陸軍将校・陸軍少尉という地位を手にすることができた。日本人としては、かなり特異な人生を送っているといえるだろう。
 私は現在も正規軍の軍人であり、日々多忙な軍務をこなしている。現役の軍人が本を出版するというのはきわめて異例なことだ。
 当初、私は出版の依頼はお断りしようと思っていた。千日をもって初心とし、万日をもって極める≠フ言葉にあるように、私はまだ修行中の身であり、現役軍人であるからだ。
 だが、出版社の熱心な誘いを聞くうちに、私のこれまでの経験が、読者、とくに自分の進路に迷っている日本の若者たちに何か役に立つことがあるのではと思い、筆をとる決意をした。
 アフガニスタンから帰国してすぐの話になるが、私はファイヤッテビル市にあるショッピングモール内のベンチに腰かけて、通り過ぎる人々の流れを長いあいだぼんやりながめていた。週末ということもあって、家族連れが多く、モールは混雑していた。アメリカではどこでも見かけるありきたりの光景だった。
 そのとき突然、幸せそうにショッピングを楽しむ家族の姿が、異様なことのように私には思えてきた。それは数日前までいたアフガニスタンの日常生活とあまりにもかけ離れていたからだ。
 アメリカや日本などの先進国では、水道の蛇口をひねれば浄水された温水が出てくる。多くの人が自家用車を持ち、清潔な服を着て、レストランでおいしい食事をとることができる。だが先進国ではこれら当たり前のことが、アフガニスタンでは存在しなかった。あるのは、終わりの見えない内戦、民族間の殺戮、貧しい生活、そして放置された無数の地雷だった。貧困にあえぐ第三世界が存在するのは知っていたが、実際に目の当たりにすると人生観を変えるほどのショックを受けた。
 死ぬ間際に数百万円をつぎこむのが先進国の医療だが、アフガニスタンではたった数十円の薬や予防接種がないため多くの子供たちが死んでいった。幼稚園の子供に高額の授業料を払って受験勉強させる日本の教育と較べて、アフガニスタンでは多くの子供が学校に行けない。行けないどころか、行く学校すら満足にないのだ。何かが間違っている……。
 私はモール内の人の流れを見ながらそんなことをずっと考えていた。
 私がアフガニスタンでやってきたことは、微々たることかもしれない。だが、いつかそれが積もり積もって大きな結果となって現れるはずである。
 私がアフガニスタンを去る直前、デコボコだったFOB(前線基地)に面した主要幹線道路は、日本製のブルドーザーによって平らで走りやすい道路に生まれ変わった。そして米軍の協力によってデンバー市(仮名)に新しい小学校が建設された。復興のペースは遅いが、アフガニスタンの情勢は確実に良くなっている。
 日本にも少数ながらイラクやアフガニスタンに行って何かをしたい、現地の復興に貢献したい、と真剣に考える若者がいると聞く。だがやみくもに現地に入って、命を無駄にするような愚だけは避けて欲しい。その熱意を正しい方向に持っていっていただきたい。
 本書に登場するアフガニスタンの地名や人名、コールサインなど多くは仮名である。それは『不屈の自由作戦』がいまなお継続中であり、現在も私のいたFOBが存在するからだ。今この瞬間にも、敵のロケット攻撃にさらされている私の同胞が、このFOBにいる事実を理解していただきたい。
 最後になったが、今まで私を応援してくださった方々へ、心から感謝の意を表したい。私がここまで来れたのは決して私ひとりの力ではなかった。多くの人たちの支えがあってここまでやって来れたのだ。
 アフガニスタンやイラクで正義に殉じて戦死した仲間たちの冥福を心から祈ると同時に、今なお最前線で戦っている戦友の武運を祈りながら、この「あとがき」を締めくくることとする。
 2005年6月
                                      飯柴智亮
飯柴智亮(いいしば・ともあき)
1973年東京都出身。16歳で渡豪、現地の高校を卒業。19歳にて渡米、北ミシガン州立大学にて学ぶ。専攻は国際政治学および法規執行学。同時にROTC・米陸軍予備役士官訓練部隊に所属し、陸軍士官候補生として軍事学を学ぶ。1999年米国陸軍入隊、空挺学校を卒業後、精鋭で知られる第82空挺師団に配属。2003年には『不屈の自由作戦V』に参戦、アフガニスタンにてタリバン/アルカイダ残党勢力の掃討作戦に従事。2003年米国市民権取得後、2004年7月陸軍少尉に任官、2006年6月中尉に任官、現在に至る。