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傭兵部隊――。
俺、小峯隆生は、長い間この言葉に魅せられてきた。
最初は映画や小説の世界だったが、やがてノンフィクションの本を読みあさるようになり、事実としての傭兵の姿を追い求めるようになった。
「傭兵」あるいは「マーセナリー」、そして最近では「プライベート・オペレーター」という文字を目にするだけで、俺のなかにある冒険心に火がつき、男のロマンが体じゅうを駆けめぐる。
そうなるともう止まらない。空想が空想を呼び、名銃カラシニコフを手に、俺は戦場を駆けめぐっているのだ。
――うーん、傭兵になりたい!

 目 次

第1章 伝説の傭兵隊長「マイク・ホアー」 6

 どうやってならず者たちを手なづけたか? 11
 死ぬと思ったヤツから死んでいく 14
 セイシェル島クーデター失敗の真相 18

第2章 ボスニア外国人傭兵部隊 26

「みんな明るく迎えてくれましたよ」 27
 とにかくひたすれ走れ! 31
 もっともキツい「ライフルランニング」 34
 栄光の外人部隊が野菜ドロボウ? 36
 隊員同士で技術を教えあう 39
 追い出された自称特殊部隊員 42
 野外でのステルス移動訓練 45
 地雷やトラップ爆弾を除去する 49
 どんな傭兵が求められるか? 53
 対戦車ロケット砲を任された 56
 勝てそうならば攻撃する 62
 RPGロケット砲は2秒以内に狙って撃て! 67
 撃てば撃たれるRPGロケット砲 70
 戦死率は約20パーセント 75

第3章 最強のアフガン戦士 81

 志願してくる外国人はみんな義勇兵 81
 ムジャヒディンはなぜ強いのか? 87
 崖を登るとそこは戦争…… 90
 半歩前に出て信頼を得る 94
 地元民と同じ物を食べる 99
 戦争は、眠る時から始まっている 104
 ただ「攻撃に行く」と言われるだけ 109
「すげぇ! ソ連軍の戦車が動いてる」 111
 カブール川で決死の水くみ 120
 一瞬の判断が生死を分ける。それが戦場 125
「アフガンにいた」それだけで傭兵の評価が高まった 131

第4章 現代の傭兵「プライベート・オペレーター」 132

 軍隊がそのまま民間会社になっている? 136
 好きな特技が活かせて、しかも金になる! 142
「しかし自分は、金で命は売れません」 147
 最強のPO、レバノン軍団 153
 仲間ならいいが、敵にするとイヤな連中 159
 戦場で長生きできる秘訣とは? 163
 米兵が行けない場所に、まずPOが送られる 167
 日本人POになるためには…… 174
 PO出世コース。40歳で独立? 180

第5章 傭兵の心得 185

 足手まといにならないための体力トレーニング 186
「死んでも仕方ないくらいの覚悟を決める」 191
「生きるも死ぬも、すべて自分の責任」 196
「適度な恐怖心を忘れてはならない」 200
「メリットとデメリットを慎重に考えて選択する」 202
インタビューを終えて(小峯隆生) 206

 


 インタビューを終えて
 2004年3月31日、イラク中部のファルージャで、4人の米国人民間人が殺害された。彼らは、米国の民間軍事会社ブラックウォーターの社員で、「ブライベート・オペレーター」と呼ばれていた。
 さらに同年4月4日、同じくイラク中部のナジャフで、ブラックウォーターの武装警備要員8人が、数百人の過激派民兵と交戦し、連合国暫定当局の現地本部を守り抜いたというニュースが飛び込んできた。
 早速、私は元米陸軍特殊部隊グリーンベレーの三島瑞穂氏に事件の概要を聞くため、国際電話をかけた。
 三島氏の説明によると、ブラックウォーター社は元米海軍特殊部隊シールズの隊員が設立した米国最大手の民間軍事会社で、関連企業をいくつも抱えているという。しかもファルージャで焼き殺された4人のうちの1人は、三島氏のよく知る人物という。
「プライベート・オペレーター」の語源は、どうもブラックウォーター社の社員自身が自らをそう名乗ったことで広まったらしい。米軍最強の特殊部隊デルタ・フォースの隊員は、自らを「作戦を遂行する者」として、「オペレーター」と自称していた。私立探偵は「プライベート・アイ」と呼ばれる。そこで「民間で作戦を遂行する者」である民間軍事会社の社員は、「プライベート・オペレーター」、略してPOと呼ぶようになった。
「プライベート・オペレーター」とはいったい何者なのか。これまでの「傭兵(マーセナリー)」とどこが違うのか。私は取材を開始した。
 POの実像を明らかにする前に、傭兵とは何かを知っておく必要があるだろう。そこで国際ジャーナリストの河合洋一郎氏に、伝説の傭兵隊長として名高いマイク・ホアー中佐について語ってもらうことにした。これで傭兵の原点を知ることができた。
 つぎに現役の傭兵として活動する高部正樹氏に、自身が参加した80年代後半のアフガン戦争での義勇兵、90年代のボスニア紛争時の傭兵の戦いについて話を聞いた。高部氏の傭兵経験から、実戦というものがどんなものか実感することができた。
 こうして取材を進めていくうちに、傭兵とPOの違いもだんだんわかってきた。現場で働く両者の資質に、それほど大きな差があるわけでない。違いがあるとすれば、雇用体系とそれに伴う報酬額である。
 POが先進国の政府の意向を受けた民間会社に雇用されているのに対し、これまでの傭兵は、紛争をしている当事国の現地政府や武装集団による採用だった。紛争当事国の多くは発展途上国であり、その政府や武装集団で金銭的に裕福なところなど基本的には存在しない。さらに現地採用なので支払われる報酬は、当然その発展途上国のレートであり、先進国の人間から見れば微々たるものだ。一方、POの場合は先進国の国家と企業がスポンサーなので、報酬は先進諸国の給与ベースで支払われる。たとえ同じような仕事をしても、傭兵とPOでは給与面では天と地ほどの差があるのだ。
 実は現在のような民間軍事会社(ブライベート・ミリタリー・カンパニー、略してPMC)は少なくとも70年代半ばには存在しており、90年代には冷戦終了により軍隊の縮小が各国でおこなわれたことから、退役した特殊部隊出身者たちによって各地にPMCが設立された。しかし、基本的には買い手市場であり、POの多くは先進国の軍・警察の特殊部隊出身者たちで構成されていた。
 この構図に変化が出始めたのは9・11以降の対テロ戦争からである。アフガンでの対テロ戦争では、元特殊部隊員によるPOが米英軍に協力し、カルザイ新政権の要人警護に始まり、新生アフガン軍の指導教官などをつとめた。その頃はまだ特殊部隊員出身のPOだけで、数が足りていた。
 だが、イラク戦争で状況は一変する。一気にPOの需要が増え、「イラク・バブル」と呼ばれる事態が出現したのだ。
 三島氏の友人でもある日系のシンセキ元米陸軍参謀総長は、イラクの戦後統治には米軍兵力70万人が必要であると見積もった。しかし、少ない兵力で可能とするラムズフェルド国防長官らに強引に押し切られ、結果、シンセキ氏は、陸軍参謀総長の任を解かれた。
 しかし、実際問題として、ラムズフェルド国防長官が送りこんだ総兵力十数万人の英米軍だけでは、イラクの治安平定は無理だった。
 米国は、わが国自衛隊も含め、世界各国に「イラク復興」の名のもとに軍隊をイラクに送らせた。それでも十分ではない。
 そこで兵員の不足を補うため民間軍事会社に輸送や警備など一部業務を肩代わりさせることとなり、POの大量投入が始まったのだ。
 金のあるところに人も企業も集まる。イラクでは2005年5月時点で約2万人以上のPOが活動し、PMCも乱立して今や軽く100社を超えている。
 当然のことながら今度はPOの確保が問題となる。なにしろ先進国の特殊部隊経験者の絶対数は少ない。たちまちトップクラスの人材は枯渇し、各PMCはほかに手を伸ばし始める。特殊部隊ではない、一般部隊を経験した元軍人たち、元警官たちにリクルートを開始した。
 そうしたイラクをめぐる裏事情は、日本人の多くは気づかず、知っていても他人事だった。ところが、ある事件をきっかけに一変する。2005年5月8日、イラクで英国の民間警備会社「ハート・セキュリティー」に雇われた元フランス外人部隊の日本人PO斎藤昭彦氏が、アンサール・スンナ軍を名乗る武装勢力の攻撃を受け、拘束された。残念なことに、その後、戦死していたことが確認された。
 このニュースに日本中が揺れた。日本人POが存在したのだ。
 だが私は驚かなかった。すでにある日本人POと、2004年春にコンタクトができていた。山本覚真氏(仮名)だ。彼の取材を通じて、POの活動の一端を知った私は、週刊『プレイボーイ』(2004年21号)に特集として記事を発表し、大きな反響を呼んだ。
 山本氏によると、POの活動は、PMCから送られてくるeメールで始まるという。
 米国の主要なPMCはすべて米政府、つまり国防総省のコントロール下にあり、どんな人間がどんな資格や技能を持っているか、すべて掌握している。そこから個人情報がPMCに流れて仕事のオファーが来るというのだ。PMCからそんなメールを送られる日本人POは、山本氏によると10名は下らないという。
 今回の斎藤氏の事件をきっかけにして、日本でも「プライベート・オペレーター」の存在が認知された。
 80年代から、フランス外人部隊に入隊したり、傭兵の道を志す日本人が増えた。
 現在の日本にはその経歴を活かせる場所は存在しない。ゆえにこうした場所で生きていくことを選んだ男たちが、「プライベート・オペレーター」を目指すのは自然の流れなのだ。
 山本氏によると、アフリカ、中東で企業の施設警備、要人警護に従事するフランス外人部隊出身の日本人が複数いるという。
 斎藤氏がハート・セキュリティーに雇用されてイラクに入ったように、ほかにも日本人がPOとしてイラクで活動しているとみてまず間違いない。何と言ってもイラクはPOにとってゴールドラッシュなのだ。
 1950年代、米ソ超大国の代理戦争となったアフリカの利権をめぐる争いで、「傭兵」が長い眠りから覚めて復活し、その後、高部正樹氏のような薄給で戦う義勇兵の時代をへて、21世紀の今、米国の政策の変更から「傭兵」は「プライベート・オペレーター」と名前を変えて、新しい傭兵ビジネスとして生まれ変わったのだ。
 私は、今後、第2、第3の斎藤氏が登場することは間違いないとみている。
 戦うことを厭わない、サムライの血筋は日本人から絶えることはないからだ。
                                      小峯隆生
●登場人物
三島瑞穂(みしまみずほ)元米陸軍軍曹でグリーンベレー在隊21年のキャリアをもつ。現在、危機管理コンサルタントとして活躍。ロサンゼルス在住。
河合洋一郎(かわいよういちろう)1960年生まれ。国際ジャーナリストとして欧米のみならず中東各地を精力的に取材。世界の情報機関に取材源をもつ。
高部正樹(たかべまさき)元航空自衛隊パイロット。80年代後半アフガニスタン紛争に参戦後、90年代カレン独立運動、クロアチア外人部隊に参加。(仮名)
山本覚真(やまもとかくま)射撃、レンジャー技術、近接戦闘術など複数の各国のタクティカルスクールで技量を磨き、現在OPとして活動中。(仮名)
●インタビュー
小峯隆生(こみねたかお)1959年生まれ。銃マニアで実戦以外の射撃はほとんど経験。映画監督、小説家、週刊プレイボーイの軍事班記者として活躍。