序文
この10年ほどの間に、巷の書店でパラレル太平洋戦争物というか、仮想世界において日本海軍が大活躍する本をよく目にするようになりました。こうした本が書かれる、あるいは読まれる背景には、一部の日本人、特に太平洋戦争の戦史に興味を抱いているほぼ全員の心の奥底に潜む一つの固定観念が影響していることは間違いありません。
この固定観念とは、要約して乱暴な言い方をすれば「日本は戦争に負けても戦艦大和は世界一」的な考え方です。
日本が戦争に負けた原因として一般に挙げられるものは、軍事面に限定すれば、第一に合衆国の圧倒的な生産力による物量作戦、第二が科学技術の差といったところでしょう。つまるところ、「国力の差があり過ぎるから負けても仕方ないやい!」といったもので、この思いは「兵力が互角ならアメリカ野郎なんかに負けるもんか!」という方向へ暴走していくことになります。
ここで対米戦の主役としてスポットライトを浴びるのが日本海軍なのですが、その日本海軍とはどのようなものだったのでしょう。
一般に知られる開戦直前の日本海軍のイメージは、ワシントン、ロンドン両軍縮条約の制限を受け、艦艇の保有量こそ世界第3位に甘んじているものの、世界唯一の強力な空母機動部隊を整備、日夜の「月月火水木金金」の猛訓練による高い訓練度と、役に立たなかったとはいえ世界最大の戦艦大和の建造に象徴される優秀な技術力を持つ、極めて質の高い戦闘集団ということです。
こうした強力な海軍なら、空想小説の中でも少し初期設定を変更すれば、あるいは、より優秀な指揮官が指揮すれば、あるいは、ほんのわずかな運命のいたずらで、戦争に勝てるかもしれない、という考えに至るのは仕方ないことかもしれません。
しかし、この仮想戦記類の、余りに常軌を逸した展開は、逆に一つの疑問を投げかけることとなったのです。
はたして「日本海軍は本当に強かったのだろうか?」と。
太平洋戦争開戦前、日本海軍にとっての仮想敵国は、いうまでもなく合衆国であり、戦前の基本構想は、一般に漸減作戦といわれるものでした。
この作戦は、開戦直後の日本軍の攻撃で孤立したフィリピンを救援するため来航する優勢なアメリカ艦隊を、中部太平洋で、陸上攻撃機や潜水艦で攻撃し、その戦力を徐々に減少させ、最後に小笠原諸島沖で戦艦同士の艦隊決戦により雌雄を決するというものでした。
この「米艦隊を日本近海で迎撃する」という構想は、日露戦争直後からすでに存在し、この間、第一次世界大戦やワシントン海軍軍縮会議、新兵器としての航空機や潜水艦の登場など、政治的、軍事的に海軍作戦に重大な影響を与えると思われる因子が幾つもあったにもかかわらず、基本的に変更されることはありませんでした。
この事実は、この作戦が世界情勢に対応した大戦略の一環として生み出されたのではなく、「バルチック艦隊撃破の栄光を再び!」という日本海軍の「夢」が描かれているに過ぎないように思えてなりません。
また、日本海海戦での大勝利が日露戦争終結に大きな影響を与えたという事実は、日本海軍首脳部の頭脳に強烈にインプリントされており、これにより、太平洋戦争において、戦争終結に有効な手段を見いだせない日本は、海軍の作戦指導を、病的なまでの艦隊決戦主義へと駆り立てていくことになるのです。
ところが、この日本海軍の「夢」は、開戦初日に崩壊します。よく知られている通り、日本近海で雌雄を決するはずのアメリカ戦艦部隊が、1941年12月、南雲艦隊の航空機の攻撃を受け、真珠湾で全滅したからです。
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