第4章
緊急対応の原則
緊急対応要員の危険な任務
爆発物は有毒成分を含み、障害をひきおこす
爆弾事件に対応するための特別訓練
人命救助に優先される秩序回復の代償
海外レスキュー隊のモデルとなったイスラエルのSAR隊
市街地のSAR技術「軽度救出」と「重度救出」
非通常型兵器によるテロに備える
爆発現場での協同作業の難しさ
爆発による体の損傷
2発目の爆発の有無を確認するまでに現場に入らない
現場では通常、4つの責任レベルがある
遺体は有毒か
個人および組織の過剰反応で現場は混乱する
現場に集まる野次馬に対処する
現場の混乱をどう整理するか
第5章 爆発後の死者への対応
普通の死と異常な死
爆弾テロなどの大量死とどう向きあうか
多数の死者を一度に処置する
近親者による身元確認作業はどう進めるか
遺体処理をめぐって文化や習慣の違いがおきる
犯人逮捕につながる遺体解剖を納得させる
テロリストの狙いと政府諸機関の意志
爆弾テロにおける救出時間
病理学者が身元確認の責任者となる
指紋と歯で身元を確認する
PM(死後)記録とAM(生前)記録の照合
DNA鑑定のルールづくりを急ぐ
体にある手がかりで身元を確認する
体内検査で身元を確認する
所持品から身元を確認する
身元確認と犯罪捜査が両立することの難しさ
第6章 テロによる精神衛生上の対応
爆弾テロは、とくに強烈な不安と恐れをもたらす
被害者を分類する
テロによるさまざまな被害者
テロによる心理的ショックを診断することは難しい
精神ケアを含む緊急対応チームを常設する
精神衛生上のケアの対象域は広がる
インフォメーションセンターとホットラインを設置する
負傷者に対する支援は多岐にわたり、長期間つづく
文化的なシンボルを用いて犠牲者を追悼する(ユダヤ教の場合)
精神衛生上のケアと社会復帰が被害者の傷を癒す
第7章 群集をどう統制するか
治安当局はどんなものであれ人の集まりに目を光らせる
群集は事前の計画があれば誘導できる
群集行動に関する新しい理論
群集行動のタイプを知り、不測の事態に備える
権威を維持しながら群集を統制する
群集との正面衝突をさける
テロ事件では群集が暴徒化する恐れは低い
第8章 情報の伝達とマスコミ対策
緊急連絡システムは必要なときに駄目になる
犯人からの警告にどう対応するか
マスコミをどう使えば情報が伝わるか研究する
緊急事態のニュースはマスコミの恰好の材料とされる
突発事件は時間との競争で、報道は不正確になる
テレビ記者の餌食になる被害者
マスコミによるテロリストへの奉仕
報道の自由という大義名分
緊急対応機関とマスコミの協力関係
公的機関は情報を提供し、噂を防止する
正しい情報をマスコミにも提供する
危機に際しての公的機関の目標
マスコミの情報伝達能力を活用する
広報担当は住民のショックをいかにやわらげるか
政府と住民のホットラインがマスコミ報道に反映された
危機に際しての広報担当者の心構えとは
第9章 テロ事件からの回復と再建
テロを経験した者はその後遺症から逃れられない
逆効果になりかねない災害救援キャンペーン
復興、再建、リハビリへの長い道のり
緊急対応と復興の違い
被害者の怒りはテロリストではなく支援担当者に向かう
復興計画を円滑に進める6つのカギ
共同体を再建する
緊急対応計画の見直しは6カ月以内におこなう
被害を受けた共同体が責任者となって復興につとめる
第10章 大量破壊兵器の脅威
フィクションの世界から現実へ
実戦で使われた化学・生物兵器
現実味をおびた化学・生物兵器の脅威
テロ用武器に最適な化学・生物剤
毒物を特定し、消毒(制毒)する
化学・生物兵器に対する防護
化学・生物兵器テロはもはや時間の問題
地下鉄サリン事件が新しいテロの扉を開いた
ダーティボム(汚い爆弾)の恐怖
テロリストは攻撃レベルをエスカレートさせる
第11章 不透明な将来に備えて
テロの脅威は大きくなっている
テロ組織はさらに威力のある武器を求める
テロ防止は成果がみえにくい
テロ抑止に有効な手がないのが現状
地方自治体は事後対応を策定しておく
脅威の世界に生きる
索 引
訳者あとがき
訳者あとがき
本書は“Terror Bombing ― The new urban threat”の全訳である。爆弾テロをはじめとする各種テロ発生後の事態収拾の手順を、対応機関用に解説したもので、イスラエルが苦しい経験を通して学んだ教訓が豊富に盛りこまれている。著者が日本語版のためにとくに加筆し、さらにイスラエルの治安関係者M・D氏から写真提供を受けた。このように日本語版は原著より情報が多くなっている。
イスラエルのテロ経験
イスラエルは、独立前の1920年代からアラブのテロに見舞われ、独立後もとくにガザ方面からのフェダイーン(自殺攻撃隊)のテロに悩まされた。60年代中期以降はPLO各派によるテロが激しくなった。テロ組織が国際連携を強めるのもこの時期以降で、テロ対象が航空機、在外イスラエル公館、エルアル国営航空事務所などにもひろがった。
自動車爆弾を含む自爆テロが悪名をはせるようになったのは1983年、レバノンである。アメリカ大使館、同海兵隊、フランス空挺隊、イスラエル国境警備隊が大きな損害をこうむった。イスラエルの一般市民を狙った最近の自爆テロは、その第1号が1993年4月16日、オスロー合意の少し前である。場所はヨルダン河谷のメホラ近郊。自動車爆弾で自爆し、ユダヤ人8名が犠牲になった。
自爆テロはいくつかの波があり、第2波がオスロー合意。第3波は96年2〜3月、短期間だが大きな被害があった。第4波が2000年9月末以降である(自爆件数2001年35件、2002年60件、2003年26件)。ちなみに女性の自爆テロ第1号は2001年1月27日、場所はエルサレムであった。爆弾ベルトに10キロもの爆発物をつけて、妊婦を装った女性。体の不調を訴えた女性。男子兵士は女性の身体検査に躊躇するし、アラブの文化も尊重しなければならない。体の不調を訴えられると、チェックを大雑把にして早く済ませようという心理が働く。救急車も自動車爆弾用に使われる。2002年3月にはEU代表部盗難車が自動車爆弾に仕立てられた。
自殺を禁じるイスラム教ではあるが、宗教の“権威”者が認めれば、禁止の枠はとり払われる。1996年3月、スンニ派の聖職者シェイク・ユスフ・アルカイダウイ師が、アラブ・イスラム世界へ向けカタール放送の生中継で、反ユダヤ闘争の自爆は殉教であると述べた。ベルトこみの爆弾が1式で1000ドル。あとはその爆弾もろとも自分を吹き飛ばす人間の確保である。
実行犯の3分の2が17〜23歳、残る3分の1は24〜30歳で、30歳を過ぎた自爆犯はほとんどいない。未婚者が圧倒的に多い。学歴は初等教育、中等教育、高等教育とほぼ3分の1ずつである。著者のいうドロップアウトの夢想家は、ヨルダン川西岸のナジャフ大学、ガザはイスラム大学から出てくる(テルアヴィヴ大学戦略研究所調べ)。
本書では自爆犯が決行前に恍惚状態になると述べているが、アラブ側でも同じ見方が多い。たとえば、自爆テロを殉教として肯定するカイロのアインシャムス大学精神病理学科のアデル・サデク教授も、やはり法悦の状態を認めている(なお銃撃テロについても、実行犯に退路が用意されておらず、彼ら自身アアリャト・イシティシュハディヤ―自己犠牲行為―と呼ぶ。この殺人行為も殉教の一種である)。
対応の混乱が予想される大量破壊兵器テロ
地下鉄サリン事件のあと、イスラエルから調査団が来日し、病院(聖路加、東京警察)、消防、警察、営団地下鉄などで、初動の対応問題を中心に詳しく調べた。
1990〜91年の湾岸戦争時イスラエルはイラクからミサイル攻撃を受けた。そのミサイルには大量破壊兵器搭載の恐れがあり、イスラエル政府はガスマスクを解毒剤のアトロピンとセットで、国民1人1人に支給した。
しかし、準備はしても、いざという時の住民の対応は別である。イスラエル国防軍(IDF)によると、イラクは1991年1月18日から2月25日までイスラエルをターゲットに39発を発射し、38発が着弾した。ミサイルには高性能爆薬だけで、化学・生物兵器が搭載されていなかった。ミサイルの直撃で多数の建物が損壊した。重軽傷者208名がでた。死亡13名のうちミサイルによるものは2名。残る11名は着弾時のショック死4名、ガスマスクの誤装着による窒息死7名であった。そのほか225名が病院に搬送された。ミサイルであわててアトロピンを膝に打って体の不調を訴えたのである。
備えがあっても、このような事態がおきる。ましてや何の予備知識も準備もない状態のところへ、化学・生物兵器を都市部で使われたら、その混乱は測り知れない。東京のサリン攻撃は、晴天の霹靂、まさに想像の埒外であった。湾岸戦争時の騒ぎから4年たっていたが、イスラエルは日本の対応を反面教師として、その初動の混乱からいろいろ学んだ。
ガスマスクといっても、乳幼児、呼吸器障害(喘息、気管支炎)のほか、宗教上の理由からアゴ髭を長くのばした人も多いので、それぞれの対応が必要である。いざという時はホームフロントコマンドが軍の直接指揮下に入って対応する。
大衆を楯にとるテロ掃討の難しさ
中東には大衆動員式のテロもみられる。2000年9月末に始まるパレスチナ人のインティファダがその例である。子供を前面にたてた投石隊のなかに銃をもった者がいて射撃をする。マスコミの目にさらされたなかでの対応は、きわめて難しい。イスラエル側は狙撃によって銃撃者を倒す方法(潮の干満作戦と称した)をとったが、それでも投石者に犠牲者がでる。子供が負傷すると、「かわいそうに子供までが」と同情はそちらへいく。人家の密集地をテロの拠点にされると、その掃討は大変難しい。2002年4月のジェニン掃討がその例で、ジェニン市の一画を掃討するだけで2週間も要し、おまけにジェニン大虐殺などと根拠のない非難まで浴びた。相手側の死亡は52名(うち非戦闘員はイスラエル側発表で14名、人権団体ヒューマンライツ・ウォッチ調査では22名)、イスラエル軍兵士の死亡は23名である。大虐殺をやるのなら、砲爆撃を加えればよく、一画を徹底破壊するのに1日もかからない。
低強度紛争としてのテロとその対応
機甲師団や砲兵部隊がほとんど役に立たない対テロ戦は、低強度紛争(LIC)であり、主に都市部軍事作戦(MOUT)となる。使用武器も非致死性武器(NLW)が必要である。インティファダ勃発後イスラエルは日本を含む西側諸国に調査団を送った。日本では警察当局からデモ鎮圧機材の説明を受けた(2004年3月イスラエルで第1回LIC国際会議が1週間の日程で開催され、日本を含む35カ国から専門家が参加した。イスラエルの経験に対する関心の深さが伺える会議であった)。
NLWは相手を殺さず不具にもしない、相手側の動きを封殺し、分散させる。広域の大きなターゲットに有効であることを前提とし、人間の五官に作用するものが開発中である。たとえば聴覚は、不快高音の発生や声の人工合成が含まれる。後者は相手方リーダーの声を合成し、偽情報や誘導に使う。視覚利用にはたとえば3次元ホログラムによる偽ターゲットの造成がある。
情報活動も大きな役割を果たす。イスラエルの開発した広域監視・モニター装置「セキュアM」はアテネオリンピックでも使用されたが、エルサレム旧市でテロを含む犯罪の90%減という成果をあげている。1982年のレバノン戦争(ガリラヤ平和作戦)で実戦配備となった小型無人偵察機(UAV)、住民の間に設けたネットワークからの情報蒐集(HUMINT)も効果がある。消極防衛の一環として、80年代から装輪または装軌式の爆弾処理ロボットが使われている。ショットガンの装着が可能で、遠隔装置によって遠くへ爆発物を運び爆発させることもできる。
しかし何といっても重要なのは予防であり、それには情報が不可欠である。イスラエルの治安筋によるとテロの実行計画は1日平均50件、そのほとんどが少なくとも実行途中で阻止されている。イスラエルの蓄積をベースとする本書には学ぶべき点が多々ある。
滝 川 義 人
ハイム・グラノット(Hayim Granot)
危機管理、災害/被害学の専門家。バールイラン大学社会学部教授。1975年以降、民間防衛機構(のちにホームフロントコマンドに改組)の主任コンサルタントとして、緊急事態下における住民行動について助言。1989年集団緊急状況研究プロジェクト(Mass
Emergency Project, MEP)を創立、現在その最高責任者。イスラエル国防省と「緊急事態下の共同体」、ブローデル災害研究所と「災害時の老人、虚弱者、身障者の退避」について共同研究を実施。専門誌「Disaster
Prevention & Management」に産業災害などの論文を定期的に寄稿。主要著書「想像を絶する事態発生に備えて―化学・生物戦に対する住民行動、2000」。レビンソンとの共著には「交通・輸送災害ハンドブック、2002」がある。
ジェイ・レビンソン(Jay Levinson)
文書鑑定の専門家。ニューヨーク市立大学で古代アラム語の文法と語彙論を専攻。CIAで語学の専門家として勤務したあとイスラエルへ移住、イスラエル警察に奉職。イスラエル警察科学研究所所長、インターポール鑑識委員会委員長、ジョン・ジェイ警察カレッジ(ニューヨーク市立大学)教授などを歴任。主要著書「問題文書鑑定―法律家の手引き
2001」。
滝川義人(たきがわ・よしと)
長崎県出身。早稲田大学卒業。ユダヤ、中東軍事紛争の研究者。主要著書に「ユダヤ解読のキーワード」、「ユダヤを知る事典」、「ユダヤ社会のしくみ」。訳書にヘルツォーグ著「図解中東戦争」、米軍公刊戦史「湾岸戦争」、オローリン編「地政学事典」、ヴィストリヒ編「ナチス時代ドイツ人名事典」など多数。
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