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監訳者のことば
日本の対テロ特殊部隊

 重層的に配備されたアメリカのテロ対策部隊

 二〇〇一年九月十一日の同時多発テロは、アメリカのテロ対策を根底から変貌させることになった。
 実行犯の特定、テロ協力容疑者の身柄拘束、テロ資金の差し押さえ、旅客機自爆テロ対策などテロ直後に矢継ぎ早に打ち出された対策に始まり、国土安全保障省(既存の省庁から職員約十七万人を振り向け、当初予算に三百七十四億ドルを予定)を二〇〇三年一月に発足させることを決めるまで、そのダイナミックな変化の様子は、訳者の西恭之氏がまとめた巻末の記録『同時多発テロ以降のアメリカにおけるテロ対策』によって、日本の読者にもリアリティをもって伝わるはずだ。
 だが、テロ直後の日本の反応はアメリカとは明らかに異なっていた。テロ対策の角度から眺めたとき、あたかも同時多発テロなど起きなかったかのような、危機意識を欠いていると言わざるを得ない弛緩しきった光景が随所に見られたからである。
 たとえば、雨の日に総理大臣官邸を警備する警察官がフードを頭からすっぽり被っていたり、防衛庁正門に立つ陸上自衛隊員の八九式小銃に弾倉が装着されていなかったり、日本におけるテロ対策の不在を自ら宣伝するような有り様であった。
 フードを被れば音が聞こえにくくなり、気配を察知できないから、下手をすると忍び寄ったテロリストやゲリラに殺される恐れさえあり、警戒任務ではタブーとされているのは常識だ。銃弾が装填されていない小銃など単なる鉄の塊で、テロに対する抑止効果はゼロである。各方面からの指摘によって、今日では警察官はフードを被らなくなり、自衛隊員も弾倉を装着した八九式小銃を携行しているが、警察と自衛隊がこのレベルの基本を知らないのであれば、そこからテロリストにつけ込まれることさえ考えられるのだ。
 むろん、日本としてもテロ対策に取り組まなかったわけではない。総理大臣官邸を警備する専門の部隊(官邸警備隊)が発足し、日本と韓国が共同開催したサッカーのワールドカップでも、銃器対策部隊を競技場や原子力発電所などに配備した。そうした部隊が使う短機関銃(サブマシンガン)を千四百挺ほど導入することも行なわれた。抑止効果を求めて、警察の特殊部隊を含む展示訓練もマスコミに公開された。しかし、国際的に通用するかどうかを基準にした場合、日本のテロ対策はまだ入り口の段階にあると言わざるを得ないのが実情だ。
 こんな日本である。特殊部隊に関する認識も初心者のレベルにとどまっている。
 確かに日本でも、グリーンベレーをはじめとする軍の特殊部隊についてはかなり広く知られるようになった。出版物も少なくない。だが、同じアメリカの特殊部隊と言っても軍のものばかりではないことは、ほとんど伝えられてこなかった。
 実を言えば、アメリカでは軍以外にも連邦捜査局(FBI)に代表される警察組織に始まり、なんとエネルギー省までが特殊部隊を備えているのだ。
 そうしたアメリカの特殊部隊のうち、対テロ特殊部隊は軍がデルタフォース(陸軍第一特殊部隊デルタ作戦分遣隊)とSEAL第六チーム(海軍特殊戦開発群DevGroup)を代表格としているのに対して、それ以外の組織もHRT(FBI人質救出チーム)、USMSSOG(連邦保安官特殊作戦群)、NEST(エネルギー省核緊急事態捜索チーム)と遜色ない顔触れである。
 これらの対テロ特殊部隊について、読者諸賢は軍と警察の特殊部隊の決定的な相違点を知っているだろうか。その答えは本書の中で明らかにされているが、外見は同じように見えても、その任務は明らかに違っているのだ。そして、そのような個性的な特殊部隊が重層的に配備され、テロリストと対峙しているのがアメリカのテロ対策だと考えてよいのである。
 翻って日本はと言えば、警察庁、海上保安庁の順で警察組織から特殊部隊の整備が始まり、ようやく海上自衛隊に軍事組織として初めての部隊が編成され、続いて陸上自衛隊が特殊戦能力を整備し始めた段階にある。

 警察、海上保安庁、自衛隊の特殊部隊

 日本の特殊部隊で最も早く編成されたのは警察庁の特別急襲チーム(SAT Special Assault Team)で、人質救出などを任務としている。バングラデシュでの日航機ハイジャック事件(ダッカ事件)などを受け、一九七〇年代後半に設けられたものだ。一九九五年六月、全日空機ハイジャック事件にあたり函館空港で機内に突入したとき、その存在が公式に認められた。
 射撃や格闘技に秀でた二十五歳以下の独身警察官で編成され、警視庁(三チーム)、大阪府警(二チーム)をはじめ北海道警、福岡県警など七都道府県警察に合計二百人が配備されている。アメリカFBIのHRTなどと共同訓練を重ねている日本警察きっての精鋭たちである。英国SAS(特殊空挺連隊)の兄弟組織オーストラリアSASの訓練施設「キリングハウス」(パース)で対テロ訓練を重ねているという情報もある。
 海上保安庁の特殊警備隊(SST Special Security Team)は、一九八三年創設の関西国際空港警備隊と一九九二年に編成されたプルトニウム海上輸送のための特殊部隊を統合、一九九六年五月に発足したとされている。
 選りすぐりの若手海上保安官約四十人で編成、アメリカ海軍のSEALや陸上自衛隊第一空挺団で訓練を行なっている。潜水、パラシュート降下、陸上戦闘、格闘技、ラペリング(ヘリからロープで降下する技術。陸上自衛隊は「リぺリング」と表記している)などに高い能力を備えている。
 能登半島沖と佐渡島沖の不審船事件(一九九九年三月)では追跡する巡視船内で待機、同年秋にも、海賊に襲われた日本企業所有の大型貨物船アロンドラ・レインボーの救出に向かう巡視船に乗り込んでいた。二〇〇〇年、沖縄近海を航行中のシンガポール船籍の貨物船内で中国人船員による暴動が発生した際は、ヘリコプターから急襲して制圧した。奄美大島沖での不審船事件(二〇〇一年十二月末)では、ジェット機とヘリコプターを乗り継いで現場近くの巡視船「おおすみ」まで到着したが、不審船が操業中の中国漁船団に紛れ込む可能性があったため巡視船による強行接舷が採用され、出番はなかった。
 海上自衛隊の特別警備隊(SGT Special Guard Team)はアメリカ海軍のSEALをモデルとしており、二〇〇一年三月に発足した。ヘリコプターと小型舟艇、潜水により艦船の制圧、敵陣地の強襲などを行なう。広島県江田島に拠点を置き、防衛庁によれば三個小隊六十人。世界の特殊部隊同様、幹部(士官)十人のほかは曹(下士官)で編成されている。
 奄美大島沖の不審船事件では、海上自衛隊は発足したばかりのSGTの投入を準備していた。海上警備行動が発令されたとの想定で待機、あとは首相の承認による防衛庁長官の命令を待つばかりだったという。命令までに不審船が沈没したため、初出動は実現しなかった。
 SAT、SST、SGTともに、装備はドイツ製サブマシンガンMP5、国産の八九式小銃、狙撃用ライフル、スイス製ジグザウエルP226拳銃、突入作戦で使う特殊閃光音響弾(フラッシュバン)、暗視ゴーグルなどとされている(海上自衛隊のSGTは国産の九ミリ機関拳銃を装備)。
 陸上自衛隊の特殊部隊整備を象徴しているのは、西部方面普通科連隊の新編と新訓練施設の完成だろう。
 西部方面普通科連隊は二〇〇二年三月二十九日、島嶼部への侵略行為に機動的に対処するため長崎県相浦駐屯地に編成された。定員六百六十人。三個中隊編成で、陸上自衛隊では初めて中隊ごとにレインジャー小隊(三十人編成)が組み込まれている。
 部隊は目達原(佐賀)や高遊原(熊本)の航空基地から大型ヘリコプター(CH‐47チヌーク)で武装工作員が潜入、あるいは潜入する可能性のある離島へ急派される。半径六十キロをカバーするレーダーによって、周辺海域を航行する船舶の監視も行なう。
 続いて二〇〇二年四月、西部方面隊曽根訓練場に新訓練施設が完成した。都市型災害や建物における近接戦闘などを想定したもので、二〇〇一年三月から建設に取り掛かっていた。鉄骨三階建て二棟と平屋一棟の計三棟で総床面積千百平方メートル。交戦訓練用装置によって、より実戦的な訓練ができるようになっている。
 四月二十三日の訓練開始式では、第四十普通科連隊(北九州市小倉)の四十人が人命救助システムを使って建物内の被災者の捜索、救出、搬送を訓練したほか、窓、非常階段、屋上や、地上から梯子を使って迅速に屋内に進入、室内の掃討を行なう基礎的戦闘訓練も行なった。
 隊員たちは、迷彩戦闘服に装備装着用戦術ベスト(防弾チョッキ兼用)、ヒジあて、ヒザあて、ゴーグル、バラクラバ帽(目出し帽)など特殊部隊用装備を着用、屋内進入の役割によってサーチライトを装着した八九式小銃と九ミリ拳銃を使い分けた。普通科連隊によっては、テロリストやゲリラを対象とする近接戦闘用にすでに国産の九ミリ機関拳銃を装備しているところもある。

 始まったばかりの日本のテロ対策

 このように、確かに日本でも特殊部隊の整備は警察、海上保安庁、自衛隊ともに進められてはいる。しかし、形だけは一人前の特殊部隊に見えても、修羅場を潜ってきたテロリストの目は誤魔化せない。
 一例として、日本の特殊部隊が使っているヘリコプターの問題がある。いかに隊員たちの練度が高くても、ヘリコプターが基礎的な防弾装備しか備えていないことは外見を一瞥すればわかる。テロリストは、まだ特殊部隊が搭乗している状態でヘリコプターを撃墜しようとするだろう。ある特殊部隊幹部の嘆きには危機感が滲んでいた。
「政治家や役所の上層部は、ヘリを単なる輸送手段だと思っている。しかし、特殊部隊にとってはヘリは最も重要な武器なのです。専用の機種を使うことは常識です。ヘリのパイロットや整備士さえも武器だと考え、特殊部隊専用の人材を育てなければ作戦の成功はおぼつかないと言えるほどです」
 要するに、特殊部隊の作戦は特殊部隊用のヘリコプターと要員を備えて初めて万全なものとなるのである。ちなみに、アメリカの特殊部隊デルタフォースが使う中型ヘリMH‐60Kペイブホークの場合、地形照合装置などの航法機器だけでなく、耐弾性でも外見では同じUH‐60ブラックホークに大きく水をあけている。
 ブラックホークは、七・六二ミリの高速ライフル弾に耐える設計になっているが、ペイブホークは二三ミリ機関砲弾にもびくともしない。湾岸戦争のとき、イラク軍の対空砲火をかいくぐって戻ってきたペイブホークの機体は、四十三発の二三ミリ機関砲弾の弾痕が刻みつけられていた。防弾装備で機体重量が四トンほど重くなった分、エンジンの出力も大きく、ブラックホークの千六百九十馬力エンジン二基に対して、三千四百馬力エンジン二基を搭載していると言われる。
 同じくデルタフォースが使うツインローターのMH‐47Eチヌーク(ボーイング・シコルスキー社)の場合、アメリカ陸軍や陸上自衛隊が使っているCH‐47Dチヌークが三千馬力エンジンを二基搭載しているのに対して、やはり四千六百八十七馬力エンジンを二基と大幅にパワーアップされている。
 この問題については、警察庁、海上保安庁、自衛隊から「特殊部隊用のヘリはとてつもなく高価で、それを導入したら他のヘリを買えなくなります」と弁解する声が聞こえてくる。これは、やり繰りを全く考えていない無能な経営者や主婦(主夫)に通じる怠慢としか言い様がない。
 たとえば、行政財産の処分に関する法制度を一新して、警察、消防、海上保安庁のヘリコプターの大部分は、自衛隊の払い下げで充当できるようにするのである。これらの組織のヘリコプターの通常任務は、自衛隊が二十年使ったヘリコプターでも、あと二十年ぐらいは十分に使えるからだ。そして、そこで浮いた資金を使って特殊部隊用のヘリコプターを導入するのである。これを「やり繰り」と言う。専用のヘリコプターを持たない結果、特殊部隊が全滅するような事態は、それこそ警察官、海上保安官、自衛官が何百人も死ぬような事態につながりかねないことを理解して、無用な対抗意識や縄張り根性を捨て去ることを考えてほしい。
 ヘリコプターひとつとっても、そうした基本的な理解に欠ける日本である。特殊部隊を整備したと言っても、NESTのように核テロに対処することはおろか、裁判官、検察官、弁護士などの法曹関係者や裁判の証人をテロリストから守る能力にも、決定的に欠けている状態だ。要するに、日本のテロ対策は緒についたばかりなのである。
 しかし、悲観的な材料ばかりではない。これまで、縦割りの弊害の中で国民の生命・財産を守るために協力し合うことさえ少なかった警察、海上保安庁、自衛隊が、特殊部隊という第一線部隊の活動を通じて、欧米諸国なみの協力関係を築いていく兆しをすでに見せているからである。テロリストと対峙する現場では、縄張り意識を捨てて協力し合わなければ特殊部隊は全滅する恐れさえある。そうした第一線のプロフェッショナルたちの声が官僚主義の弊害を打破し、日本のテロ対策が国際水準を満たしたものになる日は遠くないと、私は確信している。
 日本が今世紀を通じて安全で豊かな国として生き残るには、切り札としての対テロ特殊部隊の早急な整備は避けられないテーマである。そうした現状認識のもと、訳者の西恭之氏に日本の読者向けの適切なテキストのリサーチをお願いし、出会ったのが本書である。西氏は現在、アメリカの名門シカゴ大学博士課程で安全保障を専攻する俊英で、私と出会った当時はスタンフォード大学の二年生であった。その後、同大学を優等で卒業、コロンビア大学修士課程を一年で修了し、民主党衆議院議員のスタッフを経て現在に至っている。テンペスト社編『生物化学兵器』(二〇〇〇年九月、啓正社より出版)に続き、今回も翻訳を快く引き受けていただいた。
 本書は一九九七年に出版されたものだが、一九九五年四月のオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件から説き起こしたプロローグの表題「アメリカでは起きないはずだった」を見ればわかるように、あたかも同時多発テロを予測したかのような警告と問題提起を行ない、以来、アメリカをはじめとする世界のテロ対策専門家の必読書となっているものだ。日本の専門家にとっても参考になる部分は少なくないはずだ。日本のテロ対策の向上に本書が少しでも役立つことを願っている。と言っても、監訳者の私自身が「日本の軍事専門家」のレベルを脱していないこともあり、内容の理解や訳出の過程で少なからず不安を残すことになった。お気付きの点は、是非、ご叱正を賜りたい。
 最後に、本書の意義を理解し、快く出版を引き受け、煩雑な編集作業をして下さった並木書房の皆さんに心より御礼申し上げたい。
 二〇〇二年八月
                            小川和久(軍事アナリスト)


目次


監訳者のことば 日本の対テロ特殊部隊(小川和久) 1

プロローグ アメリカでは起きないはずだった  18

第1章 テロに包囲された世界  30

第2章 テロリストを監視する  51

第3章 デルタフォースと海軍特殊戦開発群  63

第4章 FBI人質救出チーム(HRT) 82

第5章 連邦保安官特殊作戦群  122

第6章 NBCテロを封殺せよ――核緊急捜索チームなどのエリート部隊  149

第7章 テロ対策部隊の武器と装備  174

第8章 訓練と戦術  198

追補・同時多発テロ以降のアメリカにおけるテロ対策(西恭之)  220

用語解説  251
索引  254


STEPHEN.F.TOMAJCZYK(スティーヴン.F.トマイチク)
テロ専門家。ニューハンプシャー州厚生省広報官であり、非常事態管理者としてFEMAの訓練を受けている。ミシガン大学卒。『爆弾処理部隊』『現代米軍用語辞典』など、軍事・警察・防災について9冊の著書がある。国際対テロ・保安専門家協会(IACSP)および国際非常事態管理者協会(IAEM)会員。

小川和久(おがわ かずひさ)
1945年、熊本県生まれ。中学卒業後、第7期自衛隊生徒として、陸上自衛隊生徒教育隊に入隊。陸上自衛隊航空学校、同霞ヶ浦分校で航空機整備を学ぶ。その後、同志社大学神学部を中退。日本海新聞記者、週刊現代記者を経て84年、日本初の軍事アナリストとして独立。危機管理総合研究所長の立場で政府や政党に政策面から助言を行ない、上級職国家公務員、自衛隊高級幹部の研修講師など公的な活動を行なっているほか、テレビ、ラジオにもコメンテーターとして登場している。著書・訳書に「危機と戦う――テロ・災害・戦争にどう立ち向かうか」(新潮社)、「生物化学兵器」(監訳、啓正社)、「ヘリはなぜ飛ばなかったか」(文藝春秋)など多数。

西 恭之(にし たかゆき)
1974年、兵庫県生まれ。スタンフォード大学政治学科卒。1997年にコロンビア大学で政治学修士号を取得後、衆議院議員秘書を1年半務める。現在、シカゴ大学大学院政治学専攻科博士課程で安全保障を研究している。訳書に「生物化学兵器」(啓正社)

アメリカの対テロ部隊
―その組織・装備・戦術―

2002年9月10日 印刷
2002年9月25日 発行

著 者 スティーヴン F.トマイチク
監訳者 小川和久
訳 者 西 恭之