目 次
謝辞 3
著者の覚え書き 6
はじめに 7
1 ブラック・ウォーター 11
2 非情の海――訓練 一九七〇〜七三年 36
3 静かなる戦い――オマーン 57
4 ウェット・フィート 64
5 NATOの北部側面 79
6 死へのダイブ 91
7 超極秘任務 97
8 過激派の寝物語――一九七七年七月 106
9 赤の広場の銃撃戦 120
10 ソ連巡洋艦の裏側をスパイ 126
11 愛する仕事への復帰 161
12 一路、南へ――フォークランド戦争 174
13 接触、正面! 201
14 ペブル島を降伏させたスパイ 211
15 麻薬戦争 223
16 湾岸戦争――イラク通信網破壊作戦 一九九〇年 233
17 裏切り者 242
日本語版の読者へ 251
訳者あとがき 255
訳者あとがき
本書は、英国海兵隊特殊舟艇隊 S B S の元曹長ダン・キャムセルが自分の体験を綴った回想録 Black Sea : A Life in the Special
Boat Service(Virgin Publishing, 2000)の翻訳である。海の特殊部隊SBSの実態を描いたノンフィクション作品が日本に紹介されるのは本書が初めてになる。
おもに陸上での偵察・潜入作戦や対ゲリラ戦、対テロ活動を行なう英国陸軍の特殊空挺隊 S A S に対して、英国海兵隊の特殊部隊SBSは、海上・海中・沿岸での偵察・潜入作戦、破壊工作、対テロ任務を行なうのが仕事である。(SASとSBSの役割分担の境界線は、一般に高潮線から内陸に十二マイル行ったところにあり、その海側がSBS、内陸側がSASであるとされる。)
さらに、本書をお読みになればわかるように、最近では海上からの麻薬密輸摘発作戦にも従事している。アメリカ海軍の特殊部隊SEALと同種の部隊といえば、わかりやすいだろうか。
英国陸軍の特殊空挺隊SASについては、すでに数多くのノンフィクションが書かれているが、その海兵隊版であるSBSのほうは、規模も小さく、機密保持も厳重な部隊であったために、一九八二年のフォークランド戦争でその活躍がクローズアップされるまでは、ほとんど知られざる部隊だった。
フォークランド戦争以降もSBSの実態を描いた本は、ジェイムズ・D・ラッドの SBS : The Invisible Raiders やフィリップ・ワーナーの
The SBS があるだけで、それ以外には英国海兵隊や特殊部隊を扱った書籍のなかで部分的に言及されるにすぎなかった。(このほかに、冒険小説だが、アレグザンダー・フラートンのSBS三部作『SBS出動指令』『氷雪の特命隊』『偽の特殊部隊』〔いずれも伏見威蕃訳 ハヤカワ文庫刊〕がある。)
もともとSBSは隠密部隊ゆえにマスコミへの露出を嫌う傾向があったが、とはいえ、SASだけが一方的に注目を浴びる情況をSBSの隊員たちがおもしろく思うわけがない。ことに、SBSの隊員たちは、厳しいことで知られるコマンドー訓練コースを合格して海兵隊の一員となったうえに、さらにSBSの選抜訓練にも合格したエリート中のエリートという自負があるだけになおさらである(現在の英国海兵隊はコマンドー訓練コースに合格してグリーンのベレー帽を与えられなければ入隊を許されない。王族でさえその例外ではなく、かつて英国王室のエドワード王子もこのコースで挫折して、海兵隊将校の道を途中で断念している)。
この不平等な状態を是正するように、一九九七年にジャーナリストのジョン・パーカーがSBSの非公式なバックアップを得て、SBS : The Inside
Story of the Special Boat Service を発表した。しかし、これは元隊員が自分の体験を綴った著作ではないため、記録としては価値があるが、生々しさに欠けるうらみがあった。
その不満をついに解消してくれたのが、一九九八年に刊行されたダンカン・ファルコナーの First into Action : A Dramatic Personal
Account of Life in the SBS と本書である。SBSの隊員は、自分たちはSASよりも能力が高いと自負しているが、本書を一読すれば、その主張もむべなるかなと思える。潜水艦から発進して荒海にそびえる天然ガス掘削装置によじのぼったり、ソ連の最新鋭軍艦の底にもぐったりと、まさに007ことジェームズ・ボンド海軍中佐を地でいくような活動ぶりである。
ここでSBSの歴史について簡単に説明しておこう。現在のSBSの元になった部隊が創設されたのは、SASと同じく第二次世界大戦中のことである。ドイツ軍の電撃戦でヨーロッパ大陸から駆逐されたイギリスは、敵に一矢を報いるため、チャーチルの支持のもと、コマンドー部隊(奇襲部隊)を創設する。コマンドー各部隊は、それぞれ陸軍や海兵隊の志願者、さらには祖国を占領されたヨーロッパ各国の義勇部隊らによって編成された。そして、このコマンドー部隊の傘下に、カヌーを使って偵察や奇襲を行なう特殊舟艇セクション(スペシャル・ボート・セクション、略称SBS)が誕生するのである。
なお、ときを同じくしてSASのほうも別個に舟艇による奇襲作戦を専門とするD中隊を誕生させ、これがのちに特殊舟艇中隊(スペシャル・ボート・スクワドロン、これも略称はSBS)となり、さらに特殊舟艇隊(スペシャル・ボート・サーヴィス)と改称されるので、話がややこしい。しかし、両者には人員の交流はあったものの、基本的には別個の組織である。SASの特殊舟艇隊は戦後SASが一度解散したときいっしょに消滅し、その伝統は現在のSAS舟艇小隊に引きつがれているが、現在の海兵隊特殊部隊SBSとの歴史的なつながりはない。
いっぽう英国海兵隊でも、英国海兵隊ブーム・パトロール分遣隊(RMBPD)という秘匿名のもと、カヌーを使った破壊工作部隊が独自に創設された。そのもっとも有名な作戦が、本書でも触れられているフランクトン作戦である。大西洋からカヌーで川を遡航してボルドーの港に停泊する艦船を攻撃するというこの作戦は、「コックルシェルの英雄たち」として有名になり、戦後ホセ・ファーラー、トレヴァー・ハワード主演で映画化された。日本でも「生き残った二人」という邦題で公開されたから、年配の方はご存じの向きもあろう。(本書のなかに、SBSの志願者たちが麻袋の衣装一枚で放りだされ、翌朝までに三百五十マイル=五百六十キロ先の海軍基地にたどりつくように命じられる場面があるが、それとそっくりな場面が映画「生き残った二人」のなかにも登場する。)
第二次世界大戦が終了すると、こうした数多くの戦時急造部隊はほとんどが解散になった。陸軍のコマンドー部隊も解隊となり、海兵隊のコマンドー部隊のみが残された(その後、海兵隊全体がコマンドー部隊化された)。そして、コマンドー所属の各特殊舟艇セクションや海兵隊ブーム・パトロール分遣隊などの舟艇特殊部隊は統合されて英国海兵隊の小規模襲撃ウィングとなり、その傘下に各特殊舟艇セクションSBSが置かれる。そして小規模襲撃ウィング全体が一九五七年に特殊舟艇中隊(スペシャル・ボート・カンパニー、略称SBC)と改称され、さらに一九七五年に特殊舟艇隊(スペシャル・ボート・スクワドロン)となって、部隊全体の略称もSBSになる。その後、一九八七年にイギリス軍の特殊部隊の再編成が行なわれ、陸軍のSASと海兵隊のSBSを統括する特殊部隊グループが誕生すると、SBSはスペシャル・ボート・サーヴィスと改称されて今日に至っている。
戦後のSBSは、上陸予定地点の情報収集や破壊工作を行なう海兵隊直属の特殊部隊として、極東や中東に配備され、ボルネオ紛争やオマーンで銃火の洗礼を受けた。また、一九七二年五月には、洋上の豪華客船QE2を爆破するという脅迫電話が入り、第二SBSの指揮官リチャード・クリフォード中尉と陸軍武器隊の爆弾処理将校ロバート・ウィリアムズ大尉、SASのクリフ・オリヴァー軍曹、SBSのトム・ジョーンズ伍長がパラシュートで洋上に降下し、QE2に乗りこんでいる。爆弾は結局発見されなかった。
その後のフォークランド戦争や湾岸戦争での活躍ぶりは本書のなかで描かれているとおりだ。湾岸戦争での活躍に付け加えると、クウェート解放のとき、SBSのチームがヘリで空からロープ降下して英国大使館を奪取している。
湾岸戦争後のSBSは、ボスニアやコソボの平和維持活動のために派遣されたほか、東チモールに平和維持部隊が送られたとき、オーストラリアやニュージーランドのSAS部隊とともに、第一陣としてディリ空港に三十名の隊員が乗りこんだ。また、一九九七年には、スコットランド北部の核燃料施設で、警備状況をテストする任務を与えられたSBSの隊員十二名が、わずか数分で施設を占拠してみせ、警備責任者が辞任に追いこまれる事件が起きている。
SBSの規模は、一九八七年までは現役隊員が百二十〜百五十名、予備役隊員が五十名程度で、本部および訓練スタッフと第一、二、三、五、六の現役SBSと第四の予備役SBSで構成されていた(第五SBSはもともとは予備役部隊だったが、原油掘削装置や原発の警備を専門とする海兵隊コマッキオ中隊隷下のSBS隊となり、予備役隊員は第四SBSに統合された)。
一九八七年には、特殊部隊グループの誕生によって、SBSの組織改編が行なわれた。対海洋テロ任務を与えられていた第一と第五SBSは、コマッキオ中隊の二個小銃小隊が加わって対海洋テロ専門部隊のM中隊となった。このM中隊の傘下には、ブラック、ゴールド、パープルの各小隊が置かれている。
また、潜水やカヌー、高速艇などを使った潜入離脱を専門とするC中隊、舟艇や小型潜水艇などの運用を専門とするS中隊が編成され、SBSは技能別の組織に改編された。英国国防省によればSBSは四個中隊編成ということだから、このほかに予備役の中隊があるようだ。現在の隊員数は二百から二百五十ということである。隊のモットーは、Not
By Strength, By Guile(力ではなく、策略によって)。
SBSの選抜訓練はSAS以上に厳しいことで知られる。現在では、SBSへの志願者は、年二回行なわれるSAS/SBS合同の統合特殊部隊選抜コースをパスしなければならない。
しかし、SBSではその前に、隊員の適性を試す二週間の予備選抜(部内では acquaint と呼ばれる)が行なわれる。第一週目はボート操船段階で、ここでは体力や水練、カヌー術が試される。第二週目は潜水段階で、潜水の訓練が行なわれる。この適性試験にパスしてはじめて、十五週間にわたる本番の選抜コースへと進むことができるのである。
この統合選抜コースは、ブレコン・ビーコンズ国立公園で行なわれる三週間の体力・持久力訓練、二週間の予備ジャングル訓練、ブルネイで行なわれる六週間のジャングル訓練、一週間の将校用訓練と通信訓練、一週間の支援火器訓練、二週間の陸軍戦闘サヴァイヴァル教官コースで構成される。これをパスすると、専門技能を身につけるための十六週間の継続訓練に移る。これはおもにSASの本部であるヘリフォード基地で行なわれ、その内訳は、爆破訓練が二週間、監視哨の訓練が一週間、近接戦闘の訓練が二週間、個人技能の訓練が八週間、パラシュート降下訓練が三週間である。
このパラシュート訓練を終えると、SBSの志願者は別にされ、さらに八週間かけて、カヌーや舟艇の操船法や潜水の専門技能、潜水艦を使った潜入、水中爆破、水中ナヴィゲーション術、実戦的な水中工作活動などを学ぶのである。これが完了してやっとSBSの志願者は三等スイマー・カヌー員(SC3)の資格を与えられ、SBSへの仲間入りをはたすことができる。(SBSの選抜訓練の詳細については資料によって記述がまちまちだが、以上はおもに
SBS : The Inside Story of the Special Boat Serviceをもとにした。)しかも、SBSの一般隊員がさらに伍長、軍曹と昇進するためには、そのあとも二等スイマー・カヌー員、一等スイマー・カヌー員の資格を取らなければならない。
SBSの隊員になるには、これだけ苛酷な選抜をくぐり抜けなければならないわけだが、本書を読めばそれもまた必要なことと納得させられる。SASが目標への接近に海空陸とさまざまな選択肢を与えられているのに対して、SBSは空または水上・水中の二通りの接近法しか許されない。水というのはただでさえ危険の潜む環境である。目標にたどりつくだけでも困難なのに、SBSの隊員たちはそれから任務をはたさねばならないのだ。
ところが、SASの隊員はSAS加俸(手当)がもらえるのに、SBSの隊員にはそうした加俸がない。これは英国海兵隊全体がコマンドー資格を持ったエリート部隊であるという考えかたからきている。したがってSAS/SBS合同の統合特殊部隊選抜コースをパスして、SAS加俸を受ける資格ができたのに、そのあとSBSの訓練に合格してSBSに入れば、その資格を失ってしまうのである(ちなみに海兵隊からSASに入る者もいる)。
それでもSBS隊員が高い士気を維持しつづけられるのは、英国海兵隊、ロイヤル・マリーンズの一員であるという誇りゆえにちがいない。実際、SASの隊員がほかの陸軍将兵を見下したような態度を取るのに対して、SBSの隊員はほかの海兵隊員とわけへだてなく付き合うという話だ。
最後になったが、著者のダン・キャムセルは二十二年間SBSに勤務したあと曹長で退役し、現在はイギリス国外に住んで、「日本語版の読者へ」にもあるように自分の会社HEATを設立し、特殊部隊の設立に手を貸すかたわら、執筆活動をつづけているということだ。
なお、本書の翻訳に際しては、水中処分の専門家である元海上自衛隊海将補小林幸雄氏に潜水に関する貴重なご教示をいただいた。記してお礼を申し上げる。ただし、訳文に誤りがあればもちろん訳者一人の責任である。また、原文には、軍艦の名前など、ところどころに著者の記憶違いと思われる箇所があったので、複数の資料を参照して可能なかぎり訂正したことをお断わりしておく。
二〇〇一年十月
ダン・キャムセル(DON CAMSELL)
元英国海兵隊特殊舟艇隊SBS(スペシャル・ボート・サーヴィス)曹長。1971年英国海兵隊入隊。74年史上最年少でSBSの選抜試験に合格。以後、北アイルランドでの対テロ作戦や北極圏海域でのソ連軍の情報収集に従事。78年ソ連の大型巡洋艦「キーロフ」の水面下の様子を初めて写真撮影に成功。82年フォークランド戦争、90年湾岸戦争に作戦チーム・リーダーとして参加。SBSに22年間在隊。一等スイマー・カヌー員の資格をもつ。退役後は特殊部隊での経験を活かした警備コンサルタント会社(HEAT)を設立。2人の息子と1人娘の家族5人暮らし。
村上和久(むらかみ・かずひさ)
1962年札幌生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社編集部勤務をへて翻訳者に。訳書にジョン・ニコル『交戦空域』(二見文庫)、『鼠たちの戦争』(新潮文庫)、『SAS特殊任務』(並木書房)、北島護名義で『SAS戦闘マニュアル』『軍用時計のすべて』『第2次大戦各国軍装全ガイド』(いずれも並木書房)などがある。
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