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書評紹介

「数あるSAS関連書と比較しても、よく書けている」《ガーディアン》紙

「わたしがいままで読んだSAS関連書のなかではベストの作品。とくにアフガニスタンでの任務を描いた部分は、地獄の一端を垣間見せてくれる。読みごたえのある作品だが、気の弱い読者向きではない」イギリス国防省高官《フォーカス》誌

「ハンターの筆致には要所要所にユーモアがちりばめられている。戦争の悲惨な暗闇の描写にも深みがあり、著者の人間性が行間からあふれでている」《トリビューン》紙

「……本書は、ソ連のMiG戦闘機を撃墜するために、SASがアフガン・ゲリラにミサイルの使い方を訓練したイギリス情報部主導の作戦の実態をこれまでになく詳細に描いている」《デイリー・テレグラフ》紙 


目  次

プロローグ アフガニスタン一九八五年七月  5
第一部 北アイルランド作戦  11
第二部 アフガン戦争  107
第三部 SASコマンド  217
エピローグ 対海洋テロ訓練  305
 訳者あとがき  309


訳者あとがき

 本書は元SAS(イギリス陸軍特殊空挺隊)の一等准尉ギャズ(ゲアリー)・ハンターが、北アイルランド紛争から最近のシエラレオネの内戦にいたる自らの体験をつづったノンフィクションThe Shooting Gallery(一九九八)の全訳である。
 湾岸戦争におけるSAS隊員たちの苦闘を体験者がみずから描いた『ブラヴォー・ツー・ゼロ』(アンディ・マクナブ 伏見威蕃訳 ハヤカワ文庫)が世界的な大成功をおさめたあと、マクナブと同じブラボー・ツー・ゼロのチームから生還したクリス・ライアンの『ブラヴォー・ツー・ゼロ 孤独の脱出行』(関根一彦訳 原書房)がやはり人気を博したおかげで、イギリスではSAS関連書籍の一大出版ブームがおとずれた。元SAS隊員がぞくぞくと体験記の出版契約を結んでいるという噂が流れ、一時期はイギリス国防省が元SAS隊員の執筆に警鐘を鳴らしたほどだった。
 そんななかで登場したのが本書である。筆者のギャズ・ハンターはSAS隊員を父に持ち、幼いころからSAS連隊の本拠地であるヘリフォードのブラッドベリー・ラインズ基地を遊び場にして育った。SASに入隊してからはB中隊の一員として、アンディ・マクナブやクリス・ライアンの上官を務め、最終的にはノンキャリア組の最高位の一つである一等准尉の階級でSASを離れている。まさにSASの裏も表も知りつくした人物で、SAS隊員の真打登場といっていい。ちなみに、マクナブの第二作『SAS戦闘員』(伏見威蕃訳 ハヤカワ文庫)では著者のことを「非常に分別があり、敵にまわしてはならない人物だった。……ギャズににらまれたら厄介なことになる」と評している。
 本書の最大の読みどころは、全篇の三分の一を占めるアフガニスタンの場面だろう。一九七九年末に起きたソ連軍によるアフガニスタン侵攻は、ゲリラ勢力の頑強な抵抗のおかげで頓挫し、結局はソ連にとってのヴェトナム戦争と化して、ソ連帝国崩壊の遠因ともなった。この戦いで重要な役割を果たしたといわれているのが、西側が供給した最新鋭の携行式地対空ミサイル、スティンガーである。アフガン・ゲリラ「ムジャヒディーン」にとって最大の脅威だったソ連の攻撃ヘリ、ミル28ハインドDを撃破するためには、このミサイルがぜひとも必要だった。そして、このミサイルの使いかたをムジャヒディーンに教えたのが、本書の筆者、ギャズ・ハンターなのである。
 以前から、アフガン戦争にSAS関係者がかかわっていたという噂は根強くあった。イギリスにとってアフガニスタンはインドを植民地支配していた時代から、深いかかわりのあった国である。トニー・ゲラティのWho Dares Wins; The Story of the SAS 1950-1992(一九九二)は、一人か二人の元SAS隊員がアメリカの国防情報局(DIA)のために一九八〇年から一九八一年にかけてアフガニスタンに潜入して、ソ連のヒップ・ヘリコプターのチタン製防弾板を持ちかえった、と書いている。また、ジャーナリスト出身のイギリス作家ジェラルド・シーモアが書いた冒険小説『攻撃ヘリ〈ハインド〉を撃て』(田中昌太郎訳 ハヤカワ文庫)では、SAS隊員がアフガンに潜入して、スティンガーでハインドに挑んでいる。しかし、こうした噂の当事者が、自分の口でこれほど詳細にその事実を語ったことはいまだかつてない。まさに貴重な証言である。
 この点にはイギリスのマスコミも注目している。マクナブの『SAS戦闘員』出版差し止め事件のせいだろうか、本書には国防省や対外情報部MI6などによって検閲が行なわれた形跡が見られる。それでも《デイリー・テレグラフ》紙のマイクル・スミス記者は、本書がムジャヒディーンに対する支援がMI6とCIAによって行なわれたことをこれまでになくはっきりと裏づけていると書いている。記者は、ロンドンのベルグレイヴィアのさる邸宅で行なわれた打ち合わせに出席したうちの一人はMI6の局員、もう一人はCIAの局員であることは明白であると断定している。また、ハンターが、ムジャヒディーンに協力しているあいだ、SASを除隊していたと主張している点についても、「これは第22SAS連隊の常套手段で、こうした作戦に従事する隊員は、連隊が積極的に関与していることを否定できるように、一時的に予備役に編入されるのである」といっている。そう聞くと、ハンターがいったん隊を離れたあとでふたたび同じ階級で復帰しているというのも、なにやら意味ありげだ。
 このほかにも北アイルランドの隠密作戦、コロンビアの麻薬撲滅作戦、ザイールやシエラレオネの悲惨な内戦、カルト教団の籠城事件など、本書にはSASの活動がつぶさに描かれている。隠密部隊の例に漏れず、決して心地よい場面ばかりではないが、それを救っているのは、事実を冷静に分析し、つねにユーモアを忘れない著者の筆致だろう。こうした体験記は一歩間違うと自慢話の羅列に終わる危険性があるだけに、イギリスの書評でも、そうした著者の執筆態度は高く評価されている。
 本書を一読して驚かされるのは、世界でも最高レベルの特殊部隊であるSASが、著者が入隊したころには、前世紀の遺物のような隊員が幅をきかす旧弊で閉鎖的な組織であったという事実である。第二次世界大戦以降、かずかずの武勲をたてたエリート特殊部隊といえども、やはり人間が作り上げた組織であるから、栄光によりかかって改革をおこたれば、必然的に動脈硬化を起こす。SASの場合には、おりしも激化していた北アイルランド紛争でのIRAとの戦いによって、いやでも時代に適合するための変革をおこなう必要があった。それがのちのイラン大使館人質事件やフォークランド戦争での成功を生むことになる。そして、著者のギャズ・ハンターは、その変革を担う新しい波の一人として、そのSASの近代化に大きく貢献したのである。それは、彼が最終的にはSASのなかでも最エリートの集団である対革命戦ウィングの副指揮官の要職をまかされたことでも明らかだ。
 著者は何度か「小隊を運営する」といういいかたをしているが、これは小隊長や中隊長などの指揮官は将校がつとめ、下士官や准士官は実務面でそれを補佐する構造になっているからである。しかし、配置転換や原隊復帰で隊を離れることがある将校にくらべ、ノンキャリアの下士官や准士官は現場の経験が豊富で、兵の心も知りつくした、いわば一線戦闘部隊の屋台骨なのである。実際、下士官の優秀な軍隊は強いといわれる。本書でも、SASはおれたちが支えているのだというノンキャリア組の気概が、はしばしから感じ取れる。そういった意味では、本書は、今日のSASをもっともよく知る人間の手になる貴重な内幕レポートといっていいだろう。

 二〇〇〇年九月


ギャズ・ハンター(GAZ HUNTER)
元SAS連隊一等准尉。SAS隊員を父に持ち、幼いころからSAS連隊の基地を遊び場にする。15歳で学校をやめ、さまざまな職についたのち、イギリス陸軍に入隊。ロイヤル・グリーン・ジャケット連隊に5年勤務してからSASの選抜訓練に合格。SAS連隊B中隊に配属され、アンディ・マクナブやクリス・ライアンの上官として中隊最先任下士官に昇進する。最終的には、一等准尉として、SAS対革命戦ウィングの副指揮官を務める。また、1980年代にはアフガニスタンに赴いて、ソ連占領軍と戦う抵抗組織のメンバーたちにスティンガー地対空ミサイルの操作法を教え、ソ連軍敗北のきっかけを作った。

村上和久(むらかみ・かずひさ)
1962年札幌生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社編集部勤務をへて翻訳者に。訳書にジョン・ニコル『交戦空域』(二見文庫)、北島護名義で『SAS戦闘マニュアル』『軍用時計のすべて』『第2次大戦各国軍装全ガイド』(いずれも並木書房)などがある。